二次創作BL同人の心得(3) ~本物に甘えない。

  24, 2016 10:22
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【創作物が生む偏見】

ここで最初にBLの話題を出したのは、竹宮恵子『風と木の詩』が「少年愛は切ない」という言葉で紹介されているのを読んだのがきっかけです。ゲイ差別との混同を避けたいと思いました。

「男同士って禁断の愛だから切ないですよね。なのに、いつからホモになったんですか? 美しい少年に出会ってしまったからですか?」という人がいると、困るのです。

ゲイコミュニティは「男子校でいたずらされたからホモになった」「顔が女性的だからホモになった」という偏見に、すごく悩まされています。

国会・地方自治体の議員、教育委員会の中にも、まだ「ホモになる」という誤解をしている人がいて、なかなか人権運動が進まない。

でも、創作者たちとしては、偏見・差別を助長することが本意ではなかったはずです。竹宮自身が「女性の内面表現」と云った通りです。

それは、べつに嘘でも方便でもないのです。「女性的な顔をしているほうが価値が高い。物語の主人公にふさわしく、作中人物からも読者からも愛される資格がある」という考え方は、女性ナルシシズムそのものだからです。田亀・戎橋流男性ナルシシズム表現と比べてみると、よく分かるのです。

ですから当方も、森茉莉・二十四年組愛読者の一人として、「女性ナルシシズム表現の一種である」と、くり返し指摘するものです。

だからこそ、奇妙に強気な「女性の特権」という意識に駆られた言動が生まれやすいことを危惧するものです。

【ゲイに会いに行く必要はありません】

当方におけるBL論は社会批評の一種です。とくにBLおよび同人活動を弁護したつもりの「フェミニズム」に対する批判です。

「男性中心社会の横暴によって傷つけられた少女に特有の病的な心理・行動」という結論を共有し、研究者自身および一部BLファンに「弱者特権」という口実を与えた人々への批判です。

創作表現活動の規制や、同人誌即売会の閉鎖を狙うものではなく、ほかの街でやらかさなければよいのです。主旨をご理解いただければ幸いです。

したがいまして、当方のBL関連記事は、全て「実在ゲイに甘えるな」という結論に収斂します。

たとえば「もともと森茉莉のような大人の女性のものでした」といった場合には、「少女ブリッコしてゲイに依存するのは良くない」という意味を含んでいます。

「もともと純文学を下敷きにしています」といった場合には、「最初からフィクションなのですから、ゲイに質問する必要はありません」という意味です。

「真の表現主題は女性ナルシシズムです」というのは、もちろん「ゲイと話が合うつもりになるのは勘違いです」という意味です。

女性がBLに描いてあるようなことが本当に起こるのかどうか確かめたいなら、歌舞伎町へ行って、ストレート男性に向かって、「いつホモになるの?」と質問するのが本当です。

それは怖くて出来ないが、ゲイだったら怖くないので何とでも云えるというなら、その心が差別です。

これに対して、「でも私はアダルトチルドレンだし~~」とか、「だって私は漫画しか読んだことないし~~」とか変な自慢クレームして来る人は、やっぱり、やっちゃってます。

【ゲイは吊橋理論を認めません】

「吊橋の上で恐怖感を共有することによって同性愛が芽生える」という発想は、二次創作BLそのものです。決して新宿二丁目へ持ちこむことではありません。

ゲイコミュニティは絶対に「ホモになる」という発想を認めません。認めれば「ホモになった奴を治す。ホモになることを予防する」という考え方が出てくるので、「ホモになった奴を逮捕・収監する」という結果につながって行くからです。

この程度のことは、自分の頭で考えれば分かるはずなのです。

自分自身の創作物が「ヤマなしオチなしイミなし」という言葉を真にうけた中途半端な物だったとしても、社会問題を考える時まで途中で終わりにしてしまってはいけません。

自分で考える前に他人に依存して、「え~~? どーして質問しちゃいけないの~~? どーして~~?」と連発する女を、ゲイは「子どもっぽくて可愛いな」とは思ってくれません。マジでウザいと思うだけです。

他人に「私って可愛いでしょ」という自己満足への同意を強制してはいけません。同じストレート女性であれば「このネイル、可愛いでしょ」という自慢話も通じるかもしれませんが、ゲイには通用しません。

あえて云えば、彼らは、黙っていれば「ふつう」の日本人として暮らすことができ、基本的人権を侵害されずに済むのです。

でも新宿二丁目に顔を出しているということは、カミングアウトした状態です。そのこと自体が「ゲイだと知っても差別しないでほしい。利用しないでほしい。貴重な時間を邪魔しないでほしい」という人権運動を意味するのです。

【業界通ぶりっこ】

コミケは1975年に始まっています。1970年代後半に高校生だった人は、1980年代には成人します。夜の街へ行って、お酒を飲むことが可能になります。その1980年代に入ると同時に、ゲイコミュニティから被害報告が挙がり始めました。

残念な一致は、同人(=出展者)によるものではないかもしれません。買って読んだだけの人によるものかもしれません。借りて読んだだけの人によるものかもしれません。「そういうものがある」という噂だけ聞いた人によるものかもしれません。

いずれにせよ、プロとパロを混同する人は、同人誌即売会の中でしか通用しないジョークを他所で使ってしまうということですから、業界通ぶることが好きです。

だから、新宿二丁目へ顔を出すようになった途端に「ニチョ、セクマイ、ノンセク」といった略語・隠語を使うようになった人は、このタイプです。

中高生時代には「やおい、がゆん」といった同人界の略語・隠語を、他所で使っていたわけです。

成人してからは、「私は『オトメ』よ」と云いながら、ストレート仲間を引き連れて、ゲイバーへ乗り込んで、酒を出せと要求するわけです。未成年者が酒飲んじゃいけません。

【学校秀才の成れの果て】

自戒いただきたいのは、この点で、同人も社会学者も同類だということです。舶来の専門用語を得意になって使う人と、同人誌即売会で覚えたばかりの隠語を他の場所で使う人は、根本的に似ているのです。

暗記力に優れた学校秀才。

大学の先生はもちろん、同人ってのも読み書きの得意な人ですから、もともと学校の成績が良いほうだったのです。

これが世間知らずで、どこへ行っても学校と同じように「質問すれば親切に教えてもらえる」と思い込んでいる。「いいところに目をつけたね」とほめてもらえると思い込んでいる。自分がちやほやしてもらえると思い込んでいる可能性が高いのです。

でも、本当の処世術とは、自分なりの人脈を活かして情報収集し、「そういうことがあったんだ……」と事情をわきまえておいて、当人の前では知らん顔している、というものですね。

たとえば、同じご町内や職場の目上の人に面と向かって「昔、近所とトラブルがあったから怒りっぽい人になっちゃったって本当ですか~~!?」なんて、訊かないものですね?

だからこそ、世の中に噂が飛び交い、憶測が飛び交うのですが、その利点を活かすことができずに「直接訊いてみよう!」と思っちゃう人を、ゲイコミュニティが「どこの田舎の中学生だ?」と思ったとしても無理はないのです。

ここでひじょうに厄介なのが「女性の弱者特権」という考え方で、女性の知識欲を男性がさまたげてはいけない、女性が社会勉強しようとしているのだから男性は協力しなければいけないという意識が、無礼を無礼と思わせないのです。

従来の男性社会が守ってきた約束事を「控えめさを要求するのは女性に対する抑圧よ」と称して、わざとマナー違反・ルール違反するのです。そういう「少女」を生んでしまったのが、1980年代フェミニズムというやつです。

これは「私のことかしら?」と思う方が、いちいち自己申告しなくていいですから、自分で気をつけてください。新宿二丁目で我がもの顔に振舞う女性は都会的なのではありません。都会のルール・大人が酒を飲むときのマナーを知らない恥ずかしい人です。

ここで「だって私は永遠のオトメよ!(なんちゃって。イエ~~イ)」と開き直ってはいけません。本物の現役パロディ同人さんたちが困るからです。

【創作と現実を混同する弱者特権という暴力】

たとえば、仁侠映画を見たからといって、本物の山口組へ乗り込んで「人を斬ったことありますか?」と質問する人はいませんね?

右京さんや、コナンくんが好きだからといって、自分も犯罪捜査に参加させてもらえると思って警視庁へ乗り込む人もいない。

怖いからとか、叱られるからとかいう以前に、「そんな読者は困る。イタイ」と分かっているはずの人が、新宿二丁目だけは例外だと思ってしまう。

新宿二丁目へ行った時だけ、「女の子だから何をやっても許される」と思ってしまう。これがマジョリティの横暴でなくて何なのか。

なぜ「男がガールズトークに首を突っ込んじゃダメよ」という人が、ゲイボーイズトークに首を突っ込みに行ってしまうのか。

彼らは女性を差別して、仲間に入れてやらないのではないのです。もともと彼らのほうが差別されていて、「ふつう」の店でデートしていると、笑いものにされたり、殴られたりするから、彼らだけで静かに飲める店を、街を、わざわざ築き上げたのです。

そこは、彼らにとって、わずかに許された「アジール」であり、彼らの弱者特権が保障されている場所のはずです。

せっかく避難場所にたどり着いたのに、そこまで追いかけてくるストレートがいるなら、彼らにとっては怖い憲兵に追いかけられて「検閲だ!」と云われたようなものです。

この恐怖が、同人なら分かるはずなのです。政治家や教育委員会がコミケに来ちゃったようなものです。きゃーーーー。

あらためて申し上げます。「同人やっていた」人には、強い自戒が必要です。

自分の都合で他人の創出キャラクターを無断利用していたという人が、「私はまったく自分勝手な人間ではない。誰にも迷惑かけていない」と云うことは、やっぱり出来ません。

「自分は他人の人権運動まで自分に都合よく解釈してしまう癖がついているかもしれない」と、自分を疑うことを覚えてください。

もし、それを「同人やっていたから仕方ないじゃん」と開き直るのであれば、同人界は人権侵害の青田だということになってしまいます。それでは現役同人がひじょうに困るのです。

それは、少なくとも同人の先輩がやることではないです。

【それぞれの権利】

というわけで、当方が1970年代まで遡って、用語の分離を試みるのは、混同の原因が差別意識であることを自覚して頂くためです。その意識を新宿二丁目へ持ち込まないためです。

新宿二丁目には「女性もどうぞ」と云ってくださるお店もあることですから、行くことは行ったっていいですけれども、「少女」を口実にしてルール違反・マナー違反するべきではないはずです。

あえて例えれば、彼らは宗教や民族の違う人々です。おつきあいさせて頂く前に、価値観の違いを認め、云ってはいけないジョーク、訊いてはいけない質問をわきまえておきましょう。

少女だから知らなくていいということはありません。子どもが知らずに他人のおうちでご無礼を働いたのなら、尚のこと、おとなは子どもを再教育しなければなりません。

これを昔の学者が主張できなかったことが痛恨のミスなのです。

おそらく、本人たちが自分自身で「まだ少女」と称することを面白がってしまったせいです。それで実社会におけるマナー違反を許してもらえると思ったなら、少女が大人の男性の厚意を当てにするという「甘えの構造」です。

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