パロディ同人が自虐した意味を理解しましょう。

  22, 2016 10:22
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パロディ同人が自虐したのは著作権問題を隠蔽するためです。

まず最初に使われた言葉は「ヤマもオチもイミもない」を縮めたものでした。けれども、1998年以来、それが「トランスゲイである」という誤解が流布したために忌避されるようになりました。

入れ違うように登場した新しい造語は、PCのキーボード誤変換(の発想)に基づくものでした。当時はちょうど「Windows98」の普及期に当たっていたのです。

字義通りには確かに「傷んで食えなくなった女子」ですが、見方を変えれば「男ではありません」と云っているのです。つまり、トランスゲイ説を否定しているのです。

つまり「著作権問題の隠蔽を意図して自虐語を用いた同人は、トランスゲイだと思われたこともあるが、あくまで女性である」と云っているのです。

本物のトランス人権団体からクレームが来ると困るからです。本当にトランスだと思われて、福祉団体などが動き出してくれても困るからです。

榊原の本のタイトルを見て、同人は「しまった」と思ったはずです。せめて『耽美の時代』とか『ボーイズラブの系譜』とかにしといてほしかった。

この時点では、著作権問題が解消されたわけではありません。まだTPPは提案されておらず、誰も「二次創作を規制対象から外す」とは云ってくれていなかったからです。

それどころか、国際的ゲームソフトという著作権管理にひじょうに厳しい新たな鬼門が登場したこと、さらにたいへん有名な原作者によって二次創作の禁止が宣言されたことなどがあって、同人界は1980年代以上に著作権問題には敏感になっていたのです。

すでに出版業界ではボーイズラブという言葉が使用されており、それは市販品ですから「自由に買ったり読んだりしていいんです」というのは、確かに女性の権利です。

しかも、男性が社長をつとめる出版社が売ったものを買っただけなのですから、男性によって女性の権利が認められていると云える。出版社の大事なお客様であり、間接的に法人税の納入者でもある読者は、自虐する必要がないのです。

社会学者は、研究材料にしたければ「女性の間で一風変わった文庫が流行している」と研究材料にしてもいいし、評論家は批評文を書いてもいいし、全国新聞が書評欄に(取り上げたいと思えば)取り上げたっていいのです。

でも、二次創作は自由ではないのです。あくまで見つかっちゃ困るのです。

間抜けな社会学者・評論家によって「新時代の女性による勇気ある自己表現」などと持ち上げられ、新聞から注目されたり、テレビ取材が来るようじゃ困るのです。全滅しちまうのです。だから自虐し続ける必要があったのです。

これが分かってない人は「見つかっても大目に見てもらえる」とか、「編集部がなんとか」とか、甘ったれたことを考えている人です。

そういうわけですから、あなたがご自分のBL論にパロディ同人界の隠語を用いるのであれば、「恥ずかしいことではない」というのは「著作権侵害することは恥ずかしいことではない」という意味です。

「男性中心社会によって自尊心を欠損させられたことの埋め合わせだからやむを得ない(私に罪はない)」というのは、女性が男性漫画家の著作権を侵害することを男性に責任転嫁したということです。

「いや、そうじゃない。市販されているBL作品の論評をしているだけだ」というなら、あなたは、ただのBL読者です。

あなた自身の「自虐して同情を引きたい」という自己満足なんか、どうでもいいのです。

当方が指摘していることは「プロとパロを混同することは、プロにとっても、パロディ同人にとっても迷惑だ」ということです。

それとも自分が二十四年組や角川の文庫を好むことを自己弁護するために、パロディ同人を指さして「あの人たちもやってます!」と責任転嫁しますか?

自分の人権運動のために、他人の看板を横取りするのですか?

それがフェミニズムですか?

【混同さんの末路】

ところで、プロとパロを混同した中学生は何をするか?

自分の「同人誌」を宣伝するのです。注目されてはいけないという先輩たちの気持ちを理解できていないわけですから、やたらと同級生や後輩に声をかける。

「同人誌即売会に行こうよ」と誘う。「私が案内してあげる」と自慢する。すると、どうなるか?

「来年は私も出品してみよう」と思うお友達が、すっっごい勢いで増えるのです。そして自分自身が淘汰されるのです。赤字と不良在庫を抱えて撤退です。

先輩たちが自虐した理由を勘違いしていたから、本当に「組み合わせ」だけ描いていればいいと思っていた。

だから創作の技法が正しく身についていない。同人誌即売会という物理的に限定された会場から弾き出されて、より広い通販市場に挑戦しても太刀打ちできない。むろんプロにはなれない。

でも先輩たちは、本当のことを教えてくれないのです。「ヤマもオチもないって、そういう意味じゃないのよ」とは云ってくれないのです。なぜか?

にわかライバルが自滅してくれたほうが有難いからです。

だから「著作権裁判を回避するために自虐した上で、眼の肥えたお客様に飽きられないように最大限の努力をしなければならないのよ」とは教えてくれないのです。

【同人のジレンマ】

「プロと混同されて、社会学者・メディアによって『新時代の女性の自己表現』などと持ち上げられ、注目されるのは、告訴されやすくなってしまうので困る。しかし、混同した間抜けが客を呼んで来てくれた」

という、ものすごいジレンマを抱えてしまったのが既成の同人です。

だから「隠語は中学生たちが誤解している通り『組み合わせ』という意味のままにしておけばいい。なにもこっちから『じつは著作権問題です!』なんて云う必要はない。

でも、混同さん自身が『新時代の女性の自己表現』だと思って、人権運動を始めてしまい、メディア取材を受けるようじゃ困る。まして、ゲイと連帯したがるようじゃなお困る。人権問題ということになれば政治家・NPOが動き出す」と思うわけです。

つまり、話の見えているベテラン同人ほど、「ちゃんと説明してあげる」などと発言しないので、「にわか」さんによる「こういうの何々って云うんだって」という勘違いだけが一般社会に広まってしまったというのが、この業界なのです。

【少女は男装の麗人になりたかったのです】

子ども達が、本当に誰にも教わらない内に「同人誌」を仕上げて来たというならともかく、プロ漫画家の誰々から影響を受けたと自分で云ってしまう以上、彼女たちは、都会で一人暮らしする大人の女性に憧れたのです。

ホモのオッサンに憧れて、男性らしく薄毛や中年太りに悩みたかったのではありません。

だからこそ、新宿二丁目を訪れて、彼らの弟子にしてくださいと頭を下げたのではなく、指さして笑いものにしたのです。

「少女」は、男装の麗人みたいなカッコいい大人の女性になって、都会で一人暮らししたかったのです。その第一歩が、都会の即売イベントに参加し、売上金を手にして自活の道を得た気分になることだったのです。

もし、これを1990年代の成人女性が「男性社会に傷つけられ、女性自認に自信をなくした少女たちのやむを得ない所業」というふうに云ったのなら、最大の問題は、彼女たち自身が深いミソジニーにとらわれ、女性自認を自虐していたことです。

みずから都会で一人暮らしするカッコいい大人の女性のロールモデルになることができず、少女が韜晦し、非行化することを放置し、男性に対する被害者意識を強調することに耽溺して、みずからを甘やかしてしまったことだったのです。

本当に必要なのは、自活する女性が社会人として礼儀をわきまえて行動するという、新しい時代の倫理を確立することだったのです。

そのためにも「少女」が韜晦する真の理由が権利問題の回避であることを見抜くべきでした。

「少女」は結婚できないからグレていたのではなく、一人暮らしすることには誇りを持っていたんだけれども、その手段が法的問題を含んでいることには、さすがに大きな顔をできなかったのです。

だから、1990年代の時点で社会学者が二次創作の権利問題を認識できていれば、自活を望む女性が決して告訴されないように、政府に対して「パロディ創作を著作権法の特例として認めるべきです」という提言を成すことができたはずなのです。

やっておけば、今ごろ騒がなくても良かったのにねェ……。

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