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バブル同人の甘えの象徴。

意外なようですが、パロディ同人が自虐したのは、男性同士を描いたからではないのです。男性の原作者がBL化をいやがるので禁止されやすいからでさえないのです。

これは証明問題の一種と思ってもらえばいいです。

プロによる少年趣味作品と混同され、社会学者・メディアから注目され、テレビ局の取材が入ったり、一般読者の見物(ひやかし)が増えれば、困るのはパロディ同人のほうです。親告されなければ問題ないはずのものが、著作権者に通報が行きやすくなり、親告されやすくなるからです。

まず、この点を押さえれば、なぜパロディ同人のほうから差別化を図ったのか、おのずと理解されて来るのです。

【元祖女流の不寛容】

二十四年組は、自作の「二次創作」の販売に対して、差し止め請求と謝罪文の掲示を要求したことがあります。1983年頃のことです。

女流による男性同士という表現の元祖と見なされ、女性の表現の自由に最も理解があるはずの女の先生も、パロディとなると許さないのです。

とくに二十四年組は、彼女たちのせいで「男性漫画家・作家に迷惑をかけることになった」と思われてしまっているわけです。

だから、もしパロディ同人が刑事告訴された場合には、彼女たちは「きちんと罪をつぐない、心を入れかえて、まじめな漫画家になってほしいです」と云わざるを得ない立場です。

彼女たちは「私自身はパロディ同人活動を応援しているわけではありません」という姿勢を示す必要があるのです。

「おなじ『少年愛』を愛するものとして、著作権侵害を応援します」とは云えないのです。筋が違うのです。

BLであることと、二次創作BLであることは、決定的に違うのです。

パロディ同人は自己責任です。誰も味方はいません。他人のせいにはできません。たとえ母親のトラウマでBLしか読めない体にされたとしても、パロディではなくオリジナルを描けばよいのですから、言い訳にはなりません。

でも、1970年代のパロディ同人たちは、ちゃんと分かっていました。だから自虐したのです。同人のほうから、プロの立派な作品に対して、一線を引いたのです。

では、なぜプロとパロが同じ名前で呼ばれるのか?

1980年代の新人類が勘違いしたのです。その時、その隠語は、当の1980年代の少女自身の「甘え」を象徴する言葉となったのです。

【少女の弱者特権】

じつは、二十四年組(の一人)が謝罪文の掲載を要求した相手とは、市販の雑誌だったので、この場合の係争相手は出版社の社長である男性であり、女性の権利を守るための闘いだったと位置づけることもできます。

逆にいえば、「二十四年組も少女によるパロディ同人活動なら認めている」ということもできそうです。

が、反証を申し上げます。

パロディ同人が女流作品の二次創作を手がけることが少ない理由として、本人たちが「本当は少女漫画家になりたかったから」という声があります。

でも、おかしいですね? パロディは「青田」のはずです。少女漫画家になりたいなら、少女漫画の二次創作をさせて頂けば、勉強になるはずです。

じゃなくて、パロディ同人の側に「二次創作は失礼だから、女の先輩を怒らせないように遠慮する」という自覚があるということですね。では、なぜ男性の先輩には遠慮しないのでしょうか? 男性の先輩の二次創作は失礼ではないのでしょうか?

この問題を解く魔法の呪文は「弱者特権」です。女の子だから男の漫画家から大目に見てもらえるのです。少なくとも本人がそう思っているのです。

この意識を新宿二丁目へ持ちこむと、ゲイに面と向かって「私のほうが可哀想でしょ? 母親がトラウマなんだよ? ゲイはいいなァ。いつまでも男同士で遊んでいられて、結婚しなくていいから」と云っちゃう人になってしまうのです。

これ、ひっくり返すと「いつまでも男同士で遊んでいてはいけません! 女性は結婚と育児で大変なんですよ! 早くカミングアウトして私たちの人権運動に協力しなさい!」と説教するオバサンになってしまいます。

自分自身の偏見を利用して、自分に「被害者」というレッテルを貼り、自分よりも法的権利を保障されていない被差別者たちに依存する、甘えの構造。

この点で、プロとパロを混同し、二十四年組に責任転嫁する1980年代同人と、その言い草を真に受けて研究したつもりになっている「フェミ」な人々は、同類なのです。

【80年代非行少女】

子どもの非行は子どもの責任ではない。おとな社会の責任である。どうせみんなやっている。自分だけ叱られる心配はない。どうせ大人もずるいことをしてるじゃん。だから私がやったっていいじゃん。

まさに1980年代非行文化の言い草ですね。でも、二十四年組はオリジナル美少年漫画の元祖であって、アニメキャラクターを無断利用することの元祖ではないのです。

じつは、1980年代の少女たちにとって、1970年代以来の生き残り同人というのは、大学生以上の年齢に達していたはずですから「おとな」と感じられた可能性が高いのです。

なかには、二十四年組(1949年前後の生まれ)と同世代の同人もいたでしょう。1980年なら、まだ31歳です。確かに、男女とも「漫画に夢中になっている内にこの歳になってしまった。永遠のモラトリアム」などと云いたくなるお年頃です。

それを中学生が見れば「おとなもやってる」と思えるのです。

でも、1970年代初頭にデビューした二十四年組と、いつの間かパロディ専業になってしまった「おとな」達を同列にはできないのです。本人たちも、自分でそれを分かっていたのです。

プロからパロを見た時にも、パロからプロを見た時にも、「一緒にされちゃ困る」と思ったのです。それぞれに理由があったのです。プロとパロは一心同体ではありません。一蓮托生でもありません。

一蓮托生ということにしておけば自分が責任逃れできると考えたのは、1980年代組です。

【みんなで渡れば怖くない】

市販雑誌『OUT』がアニパロ特集を組んだのが1980年。

個人的には、この当時の子どもたちの間で「おとなになってもアニメを見る人のことをオタクっていうんだって」という恐ろしい都市伝説が囁かれているのを耳にしたことがあります。

それだけ「アニパロ」という表現技法、「アニメオタク」という存在が認知され、その大集合する場所として「コミケ」という催事が有名になったのが、1980年代です。

そうなってから参加した子というのは、もともと「群れ」に加わって騒ぐのが好きなタイプと考えることができます。それはそれでいいです。本人が楽しい分には悪いことではないです。重要なのは、他の「クラスタ」との違いです。同人といえども一枚岩ではないことです。

1970年代の漫画同人・アニメファンとは?

学校内でコツコツと漫画を描いてる奴なんて、俺ら3人だけ。アニメ映画の話が通じるのは、俺ら3人だけ。漫画同人会とアニメ研究会で合同しても、6人。全校生徒一万人の大学の中で、たった6人。全校生徒一千人の高校の中で、たった6人。他の奴らはスポーツやディスコダンスで青春をエンジョイしている。

でも描きたいから描くのです。その道で食って行こうと思ったら、プロになる他ないのです。

そこへ声をかけて「オリジナル作品を売り出せる場所を用意したよ。アマチュア同士で助け合おう」と云ってくれる人があった。すごく嬉しかっただろうと思います。そういう寂しさを抱えていた代わりに「みんなもやってるから」という責任転嫁の気持ちを持っていなかったのが1970年代同人です。

たとえアニパロに手を出したとしても自己責任。当時のアニメ(とくにSFアニメ)は原作漫画が存在しなかったんですから、編集部なんか関係ありません。

でも、80年代組は「みんな」を言い訳にしてしまった。「プロもやってる」と勘違いしてしまった。でも、プロが描いたものはオリジナル美少年漫画であって、アニメキャラクターの無断利用ではありません。

「ヤマもオチもないから読まないでください」という自虐は、1970年代参加組が主流だった頃には、プロに対する差別化・同人の自己責任性と「他人に迷惑をかけない」という覚悟を示す言葉だったのに、1980年代組がプロとパロを混同した時「みんなやってるからいいじゃん」という甘えの象徴となったのです。

ゆえに、じつは「ヤマもオチもない」という隠語は、「少年愛」という意味ではないのです。

今でいう「二次創作BL」であることが重要なのです。「BL」のことではないのです。ここ間違えやすいところです。

今さらビックリ仰天ですが、ひたすら論理的に突きつめて行くと、そうなるのです。

社会学者がパロディ同人に注目するようになったのは1980年代末くらいからのようですが、この人たちは、研究のプロのくせに、ほんの十年ばかりさかのぼって用語の定義を確認することさえ出来なかったのです。

噂に流され、思い込みだけで、ズレた議論を進めてしまう日本の学者たち。ほかの分野でも見られる現象ですね。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。