デイモスは裏切りの神であり続ける必要がある。

  04, 2016 10:23
  •  -
  •  -
池田悦子原作・あしべゆうほ作画『悪魔の花嫁』。

1975年から連載されている作品で、不定期掲載となりつつ最終回を迎えていない。少女漫画には時々あるパターンです。

デイモスは、裏切りの神であり続ける必要があるので、ヴィーナスとの約束を果たしてしまうわけに行かないのです。

現実なら、美奈子がどんどん歳を取るので、永遠の美と若さの女神(の神霊の引越し先)には相応しくなくなってしまい、デイモスは結局「約束を果たさなかった男」として、終わる話なのです。

彼自身はその後も人間世界をさまよい続ける。美奈子は輪廻転生して、またどこかに生まれ変わるかもしれない。

蝶になるかもしれない、猫になるかもしれないけれども、おそらく彼は彼女(?)をも見守り続けるのです。ヴィーナスに責められ続けながら。

これが本当のプロット。

映画なら美奈子の転生後の姿をデイモスが樹上から見つめる場面をラストに、これから何百年も同じことが繰り返されることを暗示して「終」の文字が出るところです。

けれども、少女漫画の約束事として、ヒロインが(恋愛も何も成就させないまま)おばあちゃんになっちゃった、死んじゃったというところまで描けないので、「永遠に果たされない約束」という本来のテーマを表現することが出来ないのです。

彼は、約束を守らない男の象徴。つまり約束を守らない男に対する女の恨みの結晶。

彼が約束を守ってしまった瞬間に、女は恨む対象をなくし、物語はハッピーエンドとなって終わるのです。

でも、この話は最初からそれを志向していない。

人間社会に裏切りが存在し続ける以上、彼も裏切りの神であり続ける。にわとりが先か、卵が先か。

【社会進出できない美奈子】

1975年は、女子学生がブルージーンズ着用で受講することの是非を問う議論が起きた年なのだそうで、背景となる社会はオイルショック不況。

女性の原作者としては「男は威張ってるだけで頼りにならない」というテーマを表現したいところです。

ほんと云うと、美奈子自身が恋愛を封印して、バリバリ働く女になって、そのまま亡くなってしまえば、当てにならない男と、独立自尊の女と、男を待ち続ける女(ヴィーナス)の三者三様の人生を示すことができて、うまく収まった挙句に不毛である。

美奈子は社会的には成功したのに、心の底ではデイモスの影に怯え続け、「女の幸せ」をつかむことができなかった……というわけで、じつに現代社会を象徴する話になることができたのです。

女性的な美貌の持ち主で、歳を取らない男というのは、萩尾望都『ポーの一族』にも通じる要素で、やはり歴史と文学をよく勉強して、人間社会を長いスパンで(高い樹上から)見渡す視点を手に入れた女流の意識を象徴しているのです。

が、中高生向けの少女雑誌という本来の掲載誌の性格があって、美奈子には悲劇のヒロイン属性がついたまま。デイモスが実際には自分に手を出すことができないことを見切って、大学へ進み、キャリアウーマンになっていくという姿を描くことができない。

プロットあるいは原作者の心理の根本に、まだ女性が本格的には社会進出できていなかった時代の「男のせいで」という恨みの気持ちのほうが強く、それを乗り越えて新たな第一歩を踏み出すという局面へ移って行くことができないのです。

Related Entries