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差別する心は、自他を比較し、価値判断する心から生まれて来ます。

だから、他人を「かわいそう」と云って笑っていた心は、急に他人がうらやましくなって、自分が可哀想になってしまうこともあります。

いっぽう、男女を比較して「男のほうが得してる」と思う心は、男性が被害者として描かれている物語なら楽しく読むことができる、ということがあります。

したがって、アンハッピーエンド型の過激BLしか読めないという人が、他の女性を「遅れてる」などといって笑いものにしていたのに、身の上話を始めると「あたしって世界で一番不幸なの」と、お涙頂戴になってしまう、ということがあります。

頭がおかしいのではなく、自他を比較し、差別することが好きなだけです。

【渾名をつけるのが好き】

「名指した時点で差別」ですから、このタイプは、他人を「どうせ何々のくせに」と渾名のようなもので呼ぶことが好きです。また自分自身についても、自己診断で「私って何々症候群なの」とか「ナントカチルドレンなの」と、レッテルを貼ることが好きです。

そこから「私って世界で一番可哀想でしょ?」という身の上話と、「だから、あなたが何々してくれるでしょ?」という弱者特権利用へつなげて行くわけです。

これは根本的には、世界中の女性に共通の処世術ということもできます。

どこまでいっても、女性は男性よりも体格・腕力で劣り、いざ戦争・災害となったとき、役に立たない。電気の供給がなくなって、あとは「人力」となった時、やっぱり腕力があるほうがいい。

ありていにいって、男10人チームと、女10人チームで「砲弾運び競争」とか「家屋を建てる競争」をやれば、男チームのほうが勝つに決まっている。

おそらく、料理や裁縫も、できる男性にはできる。男8人で船を建造し、一人が皆のぶんの服を縫って、一人が全員分の料理をする。それで船出してしまえる。よりよい土地を求めて旅立つことができる。実際に、軍隊や、探検隊というのは、それでやっているわけです。

女たちは、同じ人数が集まっても、男と同じようにはできない。まったく出来なくはないけれども、材木を切り出してくるだけでも、倍以上の人手が必要でしょう。そういう点では永遠に男性に勝つことはできません。

すると(古い映画に観られるように)どうせ夫に殴られるんだから、うっぷん晴らしのために女同士でイジメ合うのも仕方がないという理屈も生まれて来るわけですが、できればここからやめて行くのがよいでしょう。

「どうせ将来は姑にイジメられるんだから、今のうちから女学生同士でイジメ合うのも仕方がない」で終わりにせずに、そもそも年上の女性が若い女性をイジメなくなれば良いわけです。

「母親のトラウマ」なんてのも、やはり母親が娘に優越しようとする心から発生するわけで、虐待の連鎖というのは、残念ながら、どこかで誰かが(仕返しを断念して)もうやめるということによってしか断ち切ることができません。

今日から心がけることは出来ます。

なお、ツイッターは、実名制ではないので、昔の同級生や親戚が本気で心配して見舞いに来たり、医師を紹介したりといったことがないですから、「ナントカ症候群ごっこ」が発生しやすいところです。

【若い人々の反感】

前にも申しましたように「1980年代ふう過激BLにはついて行けない」という声は、女性の社会進出が実際には充分ではなかった1980年代を背景に、ルサンチマン表現として過激化したタイプのBLが、いまの時代に合わなくなったという事情を反映している可能性があります。

つまり、若い人々は、自分自身が1980年代組から「格下」に見られ、差別されることに反対していると見ることができます。

「実際に年下のくせに、逆らうなんて生意気よ」と云うこともできますが、せめてBLファン同士だけでも、そろそろそういうのやめませんかという提言です。

やはり「同人」というと、売上を比較して競争意識・差別意識に駆られやすいわけですが、現代のSNS利用者・市販BL読者は、自分たち同士では競争していないので、同人の差別意識に「ついて行けない」と思うことも多いのです。

それが同人バッシングにつながるようでも、また不幸です。

少なくとも現在では売買に関わっていない人くらいは、昔の競争意識を克服できるといいかと思います。

【心のゾーニング】

というわけで、世界観の暗い過激な創作物を好む心と、実在の他人を差別する心を「ゾーニング」しましょう。

まだまだ女性にとっては生きにくい世の中です。

その中で「どっこい生きている」という女性が、たまには過激BLで「胸のつかえが取れた」という気分になっても良いことです。そのための創作物です。

でも、自分より条件の不利な人・弱った人を笑いものにすることはやめましょう。

他人をうらやましく思ったり、自分が可哀想になってしまうこと自体は、自己愛の一種ですから、自己保存本能の内でもあり、他人から「やめろ」と云われても、なかなか急にやめることは出来ません。

でも、思ったことをそのまま云わずに、創作物に転換するといったことはできます。「世の中は間違っている」といった批判の文章に結実させることもできます。政党政治につなげて行くこともできるかもしれません。

少なくとも、自分より法的権利の保障されていない人々と自分を比較して「ゲイはいいなァ。私のほうがもっと可哀想よ」と云っちゃうのは、やめましょう。

SNSは、いちおう文字情報なので、なんか書いている気分になることはできます。

ただし、オノマトペが連なっている式の過激BLばかり書いていた人は、じつは長い文章をまとめることに慣れておらず、本当に自己憐憫的な言葉を思いつくままにSNSに落としてしまう(というかアップロードしてしまう)ことがあるので、気をつけましょう。

SNSは、同人誌即売会ではないのです orz

【いもうと自認】

なお、「いもうと自認」の記事で申しました通り、一見すると男勝りな過激BL好みは、自分自身を「可愛い女の子」と思うことと矛盾しません。

自分自身は小さく無力な女の子だから、「お兄ちゃんにやってもらう」というのが、BLを成り立たせる根本動機です。

寺山修司は、さすがに炯眼ではあったのですが、描いた当人は26歳だったことを見落としたのが痛恨のミスでした。

一見すると、立派な職業を得て都会で自立できたように見える女性の中に「女の身では限界がある」という、いわゆるルサンチマンの心があって、無力な(読者の)少女に託して、「お兄ちゃんを呼んでくる」という手法によって、ストレス発散的な作品を構想・制作する。

それが創作物である限りにおいて認められるが、現実に発揮されてはならない。

むしろ、自分自身の中のルサンチマン、代償的な差別意識、残酷性を客観視するために創作活動が成されるのであって、それで興奮したことによって現実の差別行動がパワーアップされてはならない。

ここまで持ってくる必要があったのです。いや、あるのです。

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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。