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柳田国男『遠野物語』新潮文庫

そのとき炭取は廻っている。(p.144 三島由紀夫『小説とは何か』より)

平成28年6月1日発行。唯青き山と原野に梟が飛ぶカバー画:小林敏也。

大きめの活字で読みやすく、山本健吉による解説、吉本隆明・三島由紀夫の論考が併録され、文庫のくせに索引までついてる豪華お買い得な逸品。新潮社の本気。なお、タイトルは「とおのものがたり」です。

約160頁の薄い本で、旅のお供にも最適。本文は87頁で終わっちゃいまして、あとは解説です。本文は漢文書きくだし調ですが、むずかしい単語は使っておらず、たいへん分かりやすいです。

柳田は兵庫県のお医者さんの六男。本人は東京帝国大学法科卒。子どもの頃から詩を書いたり短歌を詠んだりしていたようで、青年期から紅葉・花袋などの文人と交流し、卒業後は農商務省でお役人やりつつ、早稲田大学で農政学の講義をしつつ、紀行文を書いたりしていたアマチュアながら、明治文学そのものの青年期(がちょっと引きこもっていく現場)に立ち会っちゃった、ひじょうに恵まれた位置にいた人のようです。

34歳の明治42(1909)年2月から、早稲田の学生・佐々木くんの語ってくれる故郷・遠野郷の昔話を筆記して、8月には実際に遠野へ行ってみて、翌年6月に刊行。

三島も絶賛した紀行文の暗誦したいばかりの美しさは、序文として巻頭に掲げられているので、実物に当たって御覧になって。

本文のほうは、まだ若い佐々木くんが、よくぞこれだけ大量の昔話を記憶していたものだと思います。祖母から聞いたか、親から聞いたか、子ども同士の「学校の七不思議」のような話題の一種か。

柳田以前に、まずは彼自身の語り口が、長年の間に磨きぬかれた物語の原型の密度の濃さを持っていたのでしょう。

それをいたずらに叙情的にふくらませず、まさに法律の文書のように、農商務省の公文書のように、淡々とまとめた柳田のセンスには、詩作や短歌で鍛えた省略の美学も効いていたのでしょう。

一つ一つのお話は、すごく短いんですけれども、脳内には深い山の気配が立ちこめ、あちらの山で狐に会い、こちらの山で狼に会い、あるいは人を探して鳥の声を聞き、あるいは石にもたれて空まで昇ってきたような気分にもなり、読了した時にはずいぶん長い旅をしてきたような心地になることです。

幽霊は出てきても坊さんは出てこず、あと弔いてと頼む声もなく、物語といっても結末はつかず、山があっても落ちがないというか、木々の間に落ちてしまったらそれっきりというか、奇跡も何も起きず、大団円などあり得ず、本当に素っ気なく、いままさにその山間に住んでいる人々の心に息づく「噂」の一種であって、誰も意味なんか考えてないという、そのこと自体が脳に休息をもたらしてくれるようでもあります。

山に住む人々というか神々というか、異質な存在を遠野郷の人々が怖がることは不思議なほどですが、顔が赤くて眼が輝いているというのは、やっぱり異民族が住んでいたのかなァと思われることです。検証のしようもありませんが、赤い顔した河童の子が胡桃の樹の間からこっちを見ていたなんて話は可愛らしいです。キャラクターデザインは、水木しげる……。

炭取が廻る話はあまりにも有名で、澁澤龍彦も(三島を通じて)言及していたような気がしますが、どの本だったかな? 老人の着物の裾を三角に縫ってやった家人の心遣いが偲ばれるとともに、本人は娘さんのことが心残りだったんじゃないかなと気になりました。

山本健吉の解説は、佐々木の貢献を充分に評価し、柳田の文学歴を紹介した手堅いもので、吉本の評論は、すべての話を3種類に分類する着眼点が吉本らしく、かつ、それを説明する文体が行きつ戻りつまだるっこしく、それはまたそれで吉本らしく、柳田が作中の猟師に乗り移ったように語っているというんですが、吉本自身もその柳田に乗り移ったように語る幻視者の一人であった気が致します。

三島はさすがの論理性で、1970年の初出だそうですから、この名文をものした後で、本人が異界へ行ってしまったのでした。


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Misha

Author:Misha
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書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

映画評は、アップロードする以上は「下げる」ようなことは言わないことにしております。あらすじもあまり申し上げませんので、楽しみに御覧になってください。記事冒頭の色つき文字は映画中の台詞・挿入歌の歌詞からの引用です。

なお、取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

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解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。