1958年、内田吐夢『森と湖のまつり』東映東京

  12, 2016 10:20
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昔々の物語。詩人は消えても歌は残る。

製作:大川博 原作:武田泰淳 脚本:植草圭之助 撮影:西川庄衛 美術:森幹男 アイヌ風俗考証:更科源蔵 アイヌ舞踊指導:河野廣道 

昭和三十三年度芸術祭参加作品。東映現代劇が総力を結集し堂々世に問う空前の話題巨編。武田の原作は「本年度最高のベストセラー」だそうです。(予告篇より)

大北海道、大ロケーション、大敢行。雄大に、遠大に、のけぞるばかりにスケール感あふれる吐夢的構図から入ります。民族差別という重い社会問題を主題に据えつつ、美しいカラー撮影を背景に、ロマンスとアクションをバランスよく配した内田の巨匠ぶりが良く分かる傑作だと思います。

SLとボンネットバスとオート三輪が健在で、テレビが普及し始めた頃のようで、ノスタルジーではなく1958年当時のリアリズムと思われます。

シャンソンをくちずさみながら片手でシェイカーを振る寒い国の不良(=高倉)は27歳。まさに男性監督から愛される典型の、純真な美貌とひたむきな演技の持ち主。

もう一人、恐ろしいようにギロリと眼力のある色男(=三国)との対立の構図が明確化し、話がワイルドになるまでが長いですが、この泰然自若ぶりが吐夢話法なので頑張りましょう。

東京から来た若い女流画家を(内地の観客が感情移入しやすい)狂言回しに、アイヌの若い女性数人の口から被差別の悲哀と怒りを語らせるのは、この当時の男性作家お気に入りの手法ではあって、そのかたわらで痩せた土地に押し込められた老人たちは伝統を守りながら美しく滅んで行こうとし、中年はやさぐれて内地のやくざ者のようになりつつあり、若者は純血の誇りを研ぎ澄ます。でも……。

滅び行く文化への愛惜と贖罪。偽善の自白。脚本には無駄がなく、スタイリッシュな場面もいっぱいです。

最終的に原作者のナルシシズムは本当のことを云ってのけた「先生」に重なるのかな、などと思いました。

集落はセットなのか、祭りの歌舞は現地の素人さんなのか。撮影裏話が気になるところですが、民族衣装をまとった祭礼儀式を平服の道民が大勢囲んで見物している様子が印象的です。

「いい絵を描くために実際の風景を見たい」という画家の情熱は偽善ではないんだけれども、ご苦労様なことではあります。有馬稲子がすごい「ピリカ」(美人という意味らしい)で、言葉のアクセントに癖があって、実在感高く、印象的です。

世直しものの一種ではあって、西部劇にひねりを加えた感。みずから馬を乗りこなす子役が良い味つけです。

その後の一太郎は網走へ行ったりしたかもしれませんが、母の描く絵の奥に父の姿を探す子は、1959年生まれと考えると、2016年現在、まだ還暦前。どんな人生の旅を辿りつつあることでしょうか。



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