そして伝説が始まる。 2010年『ロビン・フッド』視聴記♪

  19, 2012 22:55
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これは……!(*´∀`*) 3Dは酔う感じで苦手なのですが、これの3Dだったら観たいです。
アメリカ映画界はロビン・フッドの「伝説」を語ることから自由になったのですね!
(ほんと言うとそれはディズニーで終わっている)

だから、ロビン・フッドの名を使って体よくなんちゃって史劇を描いたっていう言い方もできるっちゃできるけど、ここはフッドの話であるかどうかをさておいて、当時らしさをよく描き込んだなァ!! でいいと思います。

サー・ウォルター役フォン・シドー、王太后役アトキンスはじめ男女とも並み居る高齢な役者が美しく気高く、彼ら俳優の歩んできた道は映画界の道でもあり、彼らの成熟は映画界の成熟でもある。

非常に気に入りました。農作業がきちんと描かれているところが。 
まずそこ? うん。まずそこ。
有輪鋤もない貧しさよ!ってとこ。斜めがけスリングで種まきする姿とか。藁葺き屋根の小作農の家。高床式倉庫。けして優雅ではない地方豪族の暮らし。修道僧が養蜂と酒の醸造にたずさわっている様子。そして村の中心にケルト時代の遺跡が生きているところ。常に人々の活動を見守るように映し込まれているところ。

ケヴィン・コスナー版は、逆に城主や教会の豪華な内装を映して(古典的なイメージにおける)中世への憧れをかきたて、娯楽活劇として非常に出来が良かったと思うけど、あれから20年の間に歴史研究が進んだこと、一般に広まったこと、それをきちんと受ける映画界の誠実さ、またCGや色合い補正・映像のスピードや効果音の音量を自在に操ること、高速カメラなど技術の進歩によって映画の表現力が増した様子が感慨深く、順番に見て良かったです(*´∀`*)

以下は細かいネタばれになります。



遠矢の名人「ロングストライド」のロビン。分かりやすい。

ストーリーは、「え、そう来る!?」といいたいほどの自由な脚色と、歴史的事実の重み、丁寧な考証によるそれらしさ、またジョン王はこういう人だった・フランス王フィリップといえばこんな感じという固定イメージ、かと思えば「何も娯楽映画でそこまで」という戦場リアル描写、かと思えば「気高き老領主の最期はこうでなくっちゃ」(フォン・シドー万歳)、「悪役はここまでやってくれなくちゃ」(年寄りを後ろからという極悪非道)というお約束感、さらには主人公がリーダーシップを発揮できる男であることの描写の自然さ、それにしても一弓兵に過ぎなかった者にしては弁が立ちすぎるとか「森で病気していた子供のくせに初めての戦場で活躍しすぎw」というご都合主義を織りまぜて、実に巧みだったと思います。

これはドラマ『ROME』でもやっていた。

また一人の男に、男の友情・父と子の絆(×2)・宿命の対決・いい年した男女が淡い恋を深めていく初々しい様子、子供たちの心を人生の先輩としてつかむ様子など全ての要素を集中させて、中だるみ感がない。これだからアメリカの脚本てやつは。と思ったら『L.A.コンフィデンシャル』の人だった。失礼しました(ノ´∀`*)

女性の活躍も、もはや「女だてらにw」という揶揄の目線がなく、ごく当たり前、かつ誇り高く、家と村・子供たちを守る主婦として描かれ、「女の仕事を捨てることがカッコ良かった」80年代から「女の仕事は大事なんだ」と変化したことを表すところでしょう。

嫁が舅をみとる、というのは私は洋画で初めて見たような気がします。ラストではマリアンが「見ていて、ウォルター」と舅に呼びかけますが、似たようなことを『向かいの窓』(2004年)でもやっていた。血の繋がらない老人の支えになり、逆に彼を心の支えにする、そのような女性が描かれるようになったと。
シドーの「いかにもじいさんらしい猫背で足元もあぶないのにカッコいい」という演技もすごかった。いや、81歳のリアルなたたずまいがそのまま美しかったというべきか。

これを「再び女を家にとじこめるのか」と考えるか「各々の自然な在りようでできることをする」「支えあいの時代」と考えるか。

舅のいいなりに新しい夫を迎え、頼もしい彼を憎からず思っても、どこか恥ずかしく、体を許すタイミングは私が決めるという描写もかつては考えられなかったでしょう。
コスナー版では黒人が「違う人間だが一緒に戦おう」と言い切りましたが、ここでは女性がのびのびと活躍する(貞操の危機さえも自分で切り抜ける)姿が描かれると。男性監督とは思えないほどだw と思ったら『エイリアン』『G.I.ジェーン』の人だった。失礼しました。『デュエリスト』も面白かったなァ!! あのすさまじい編集とテンポの良さは監督チームの持ち味なのですね。

で、女性は女性の仕事をがんばる様子に説得力をもたせるには、女性にはぜったい無理なくらい体力勝負な大事業を男が頑張ってる様子を映す必要があるわけで、それにしても主人公が参加していない攻城戦の描写の力の入りよう♪
なにげに黒色火薬・眼鏡の利用、頬に縫い傷のある男など、コスナー版の記憶が響いているようでもありました。

(以下数行に渡ってやや性的な話)戦争映画の格調って、男優の動員数に比例するのでは。あの男男男男男の世界を見ていると、女でさえ「どっかに女いねェか!」という気分にはなる。村で歓迎されるロビンの仲間達が女の肌を見て興奮する気持ちはよく分かるような気が。また女のほうも、村の男がみんな兵隊にいってしまって何年も経ったところへ男盛りを迎えてギラギラする感じがよかったですな。(本当は少なくとも洋画では女の欲望が表現されてこなかった、禁じられていたってことはない)

おお、「サーコートのレースアップを自分では外せない」描写に感激!(ほめっぱなし) だから騎士には従者が必要なんだ!(膝を打つ) あの日常描写は男性監督とは(以下同上)

マリアンにカメラの焦点を当てて、男を一枚ずつ脱がせることで親密感を増す様子が端折られずに描かれたこと、また脱いだロビンの体の汗と垢にまみれた生々しい男の体臭が匂い立ってくるような艶を映し取った画はよかった(*´∀`*) それにしても「ゆうべ女と楽しんだ男ども」は色っぽいもんですな! そして何気にじいさんが下ネタを飛ばすのもご愛嬌。(官能話終了)

「逆オーバーロード作戦」は正座して拝見しました。「上陸用舟艇は12世紀からあの形だったのか」とか、とりあえず考えない。戦場リアル描写は流行りといえば流行り、すでにお約束といえばそうなんだけど、敵兵士の痛み、血の色もきちんと描かれている珍しい戦争映画、というように感じました。

アメリカは基本的にはイギリス・スコットランド系の人が多いのでしょうが(序盤の民族ジョーク対決も若干ブラックなご愛嬌)フランス系の人も当然いるだろうし、両方の血筋を受け継ぐ人もいるだろうし、オーバーロード作戦の遺族も一杯いるでしょうから、あのような描写も勇気がいるのかもしれません。

矢の雨が降る場面は『300』でも言ってしまいましたが、つい「やだー」と言ってしまいます。悪役最期の変に晴れ晴れとした笑顔はカッコいいところでしたな。

荒れっぱなしのドーバー海峡、火を焚かないと何も見えないイギリスの濃霧。海の色。白い断崖。並み居る舟艇。CGは本当にきれいになって……(ノД`)
「ホワイトホース」の辺りの空撮に耐えられるイギリスの国土がすごいと思った。日本の山はどこへ行っても看板が(´・ω・`)
山といえば、「森」の不気味さが撮られていた、あの空気感がいいなと。エイリアンか……

あと、音の演出。心拍を上げる系のBGMがずっと鳴り響いていましたが、同じ旋律を展開する変奏交響曲状態が心地良く、また民族楽器の利用も研究が(更に)進んだことを思わせ、素敵でした。リュート演奏家は本人役で出演なのですね(^^)
その音量が自在に調整されたところへ、鎖帷子・拍車の鳴る金属音、旗の鳴る音、暖炉の炎の音、食事の支度の音(食事風景が丁寧だったこともすごい)、さらに蜂の羽音。

ああそうだ、冒頭でいきなり十字軍は失敗だったと言い切り、獅子心王を批判するアメリカのど根性。確かにあの十字軍にはアメリカは参加していないけど……。
ライオンハートのヒーローイメージぶち壊し(捕虜になった件とか皆知ってはいるんだけど)ジョンが意外に物分かりが良く、勇気もあるみたいに見せかけておいて……というのは、「ああいう王のいるイギリスから独立して自由を保障する宣言を掲げた俺たち」であることが誇りであるアメリカ人をニヤリとさせるところなのでしょうか。

エンディングのオイル(アクリルかな)ペインティングアニメはジャパニメーションを意識しているのかなと日本人としては言いたいところだけど、似たようなことは『MW』でもやっていた。本当にパソコンで画と音をいじれるようになったのは、映画をつくる人も楽しいのでしょうね。

あの中に両松葉杖の戦傷者が描きこまれていましたね。戦争はカッコいいけどそれだけじゃないよというメッセージなのでしょう。十字軍そのものについては見事に端折ったかと思わせておいて、そんで最後の最後にサラセン人の首をはねるって、もう一回最初に戻ってロビンの意見を聞けということなのかそうなのか。
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