1967年1月、マキノ雅弘『日本侠客伝 白刃の盃』東映京都

  30, 2016 10:22
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俺がやらなきゃ、誰がやる。

脚本:中島貞夫・鈴木則文、撮影:わし尾元也、照明:北口光三郎、美術:川島泰三、音楽:斉藤一郎、助監督:原田隆司

シリーズ屈指の名作って毎回云ってますが、ここへ来て天下一品の傑作が生まれてしまったようです。主題歌は高倉が唄うことに決まったみたいで、ストーリーも彼の一枚看板で定着したようです。

昭和初期、銚子。セットの良さを活かした画と若手によるコメディから始まって、エキストラ大量動員による社会派描写が胸熱な、まごうかたなきマキノ節なんですが、わし尾に好きに撮らせたらしいローアングル&クローズアップ重視の構図とカメラワーク、短い台詞の掛け合いと、切れ味鋭い編集によるテンポの良さが、いつにも増して素晴らしい。悪役と組合長の密談は、ワンカットずつカメラが寄っていく効果が見事です。

対立の構図は、毎度おなじみ同業他組ですが、表に恋の鞘当て、裏に親分・子分・兄弟分の義理を配した重層構造で、噛み応えマックス。途中で兄貴が帰って来るタイプの話ですが、二部構成のようにもならずに流れが良く、すごくまとまりがいいと思います。

こまっしゃくれた子役の演技に時々イラッとしつつ、堅気ぶってる高倉の隠しきれない危険な香りにゾクゾクしつつ、天津敏を見る映画でもあります(嬉) 松尾嘉代がめっぽういい女で、これを見送る天津の眼が切ない。きっと根は、すっごいいい人。

菅原健二と大木実。大木実と伴淳三郎。「残侠篇」の一種でもあって、加藤泰んとこで鍛えた(と思う)わし尾のカメラが思いきって寄るので、中年どもの渋い肉感が画面を重くして、この量感が嬉しい。わざと窓枠の影を落とした照明も憎らしく、ややのけぞり気味に拝見。内田朝雄の使いどころも相当に渋いです。

長門裕之は(今日もというべきか)いい芝居見せます。斉藤一郎は最高の劇付随音楽だと思います。義理が廃ればこの世は闇だ。ときどき脳裏に『人生劇場』が流れて混乱しつつ。

仁侠映画における高倉は、客人を迎える側と客人の両方やってるわけですが、今回は後者でした。登場人物がそれぞれに過去の事情を背負っている様子を暗示的に示す脚本がおとなの味わい。なお銚子屋の娘さんが、いい女優さんだと思います。藤純子は、今回ほとんど動きませんが、それだけに美女ならではの存在感が印象的です。

よーーく考えると、タイトルは物語と関係なくて、高倉が演じる侠客は風間重吉以外の男とあんまり酒を呑んだことがないのでした。

菅原は『残侠伝』でも共演してましたし、悪役やってたこともあったような気がしますが、高倉と並ぶと、互いの危険さと真面目さを引き立てあって、良いコンビのような気がします。

殴りこみが2回あるのはこのシリーズのお約束で、1回目の後の描き方も珍しいほど丁寧です。なにがすごいって、義理と人情の任侠の世界が一般市民の世界から遊離してないのです。堅気の衆が、殴りこみを同じ街の問題としてとらえ、侠客も同じ世界の一員として果たすべき役割を果たしている。

鶴田浩二は人知れず殴りこみ、本当に一人で決着をつける人でしたが、この高倉・マキノコンビ作品によく見られる、侠客を街に溶け込ませ、美化する描き方は、高倉の個性によるのか、マキノの信念だったのか。(たぶん両方のせい)


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