1982年10月、森谷司郎『海峡』東宝

  17, 2016 10:20
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人間の歩いたあとに、道はできる。

原作:岩川隆(文藝春秋刊) 脚本:井出俊郎・森谷司郎 撮影:木村大作 美術:村木与四郎 音楽:南こうせつ 題字:西井林亭

きみの祖国は日本と呼ばれ、水の惑星の水はときに岩盤をぶち抜き、男たちは首まで海水に浸かりながら、30年をかけて、世界最高のトンネルを掘りました。

昭和57年度芸術祭参加作品。東宝創立50周年記念映画。スペースシャトルが飛ぶ時代。ごらん、あれが竜飛岬。北のはずれ。

『飢餓海峡』でも話の発端になった青函連絡船の遭難事件は昭和二十九年九月二十六日。まずはドキュメンタリータッチで完全再現。翌、昭和三十年二月二十八日、津軽海峡連絡ずい道技術調査委員会設置。黒四ダムも掘ってた頃。

なお「ずい道」は「隧道」ですね。熟語の場合は常用外漢字を使えるように致しましょうよ。それはともかく。

一人で画面の中へ入ってくる姿が日本一決まる男は、江田島上がりの京大卒の地質学者というエリートなんですが、黒眼鏡が貫禄すぎて筋者みたいです。森繁久彌とのガンの飛ばし合いを堪能しましょう。

なお、主人公のお兄様たちは英霊になられたと思われます。この頃までは、まだ現実世界(観客)のほうに「戦争があった」という前提で話を聞く心構えがあったような気が致します。

ときどき「高倉さんが雪山に登る。カメラさんと照明さんの後から登る」みたいになってまして、相変わらずロケはハードです。木村のカメラは、やや高めの位置から対象を画面の真ん中にとらえる王道路線。ときどき「どこから撮った?」と言いたい異様な構図があります。

そこまで苦労して撮ったくせに、編集は相変わらずバッサバッサと森谷流で緊張感を保ちますが、物語は本当に実直に地質調査とトンネル堀りです。トンネル内部を再現したセットは、当然ながら狭いですが、たいへん凝っています。

ただし、実際に工事そのものを再現することはできなかったようで、たとえば最初の一歩として、パワーショベルで地表に穴を掘って、その側面に壁を立てながら奥へ進んでいくはずなわけですが、その模様は映すことができませんでした。セメントの注入工法というのも、企業秘密的な事情があるのかもしれませんが、あまり細かい説明ではありません。

おもに「水」との闘いを描くことに専念しました。また、子どもの成長によって歳月の流れを表したので、ときどきホームドラマをはさみます。国家的大事業の陰にあった女の寂しさを、基本的にはたった一人の妻の姿によって象徴させたわけで、世話されるほうの笠智衆が、すっごいいい爺さんになってます。

吉永小百合は、よく考えると、いなくてもいい役回り。

実際の工事に参加していない観客にとって、自分の立場というのは、子どもと舅の世話という内助の功を尽くした嫁さんよりは、「自分には振り向いてくれなくてもいいから健さん(またはトンネルさん)に本懐を遂げてほしい」という女に近いわけです。

つまり、観客の多くが男性だったはずですけれども、吉永に感情移入して観るつくりになっているのです。男女の垣根を越えて、小百合ちゃんと一緒になって、トンネルさんを応援するのです。

それだけに、片思いの情緒の表現は、いつにも増して清楚に美しく、高倉らしい禁欲ロマンスとなりました。

ただし、こういう最前線の現場パートと女子供の世界の編集は、なかだるみ感を生むこともあるわけで、ヒロイックな盛り上がりに欠けるきらいはあります。

けれども、それだけにまた現実味があるわけで、貫通の瞬間の感激は、静かに胸を満たして、涙腺から出水することです。音楽の使い方からしても、回想シーンのはさみ方からしても、森谷らしい上手さの詰まった良作だと思います。

なお、高倉の衣装が昭和三十年代の間はウェストシェイプなスリーピース。1970年代に入ると、緩めのツイードジャケット。地味に考証に気合い入ってます。


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