競争型ライフスタイルは、うつ病になりやすいと思いましょう。

  15, 2016 10:23
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世の中、下には下がいて、上には上がいるので、つねに自他を比較する人は、優越感で興奮した次の瞬間には、劣等感によってマイナス方向に興奮します。つまり、激しく落ち込みます。

この劣等感というのは、他人から与えられるものではありません。自分勝手に自他を比較し、自分で自分を差別してしまったことによって、自分勝手に感じてしまったものです。優越感も同様です。自分勝手に自他を比較し、他人を差別することによって、自分勝手に感じてしまったものです。

要するに、あなただけが感じている妄想です。おそらく、優越感または劣等感によって「興奮すること」そのものが、大脳の「快」として、くせになっているのです。

なお、差別とは「とくに現代において、あるものを、正当な理由なしに、他よりも低く扱うこと」(小学館国語大辞典1988年新装版)です。

その結果、本でも読んで勉強しようとか、楽器がうまくなるように練習しようとか思えるならマシです。自他を比較することを、自分を鍛えることにつなげることが出来たのです。他人より劣っている私であることから、一歩踏み出す私になれたのです。

でも「安直な優越性の追求」に走ると、「ブランドバッグを見せびらかすために借金しては、母親のせいでこんな人生になってしまった・この悲しみは誰にも分からないと不幸自慢し、次の瞬間には『でも、あの子よりマシよ! だって、あいつったらねェ、笑えるのよ……』と他人の陰口をいう」ってな具合に、両方向にエスカレートして行くのです。

これは、たんに対人関係を他者との競争ととらえているだけではありません。自他を比較して、優劣を決定し、もし自分のほうが劣っていると思った時には「自分より優っている相手を傷つけてやると決めている」というライフスタイルの選択の問題ですから、病院へ行っても治らないのです。

太字んところがミソです。「もし自分のほうが劣っていると思った時には、まず自分自身が努力することに決めている」のではないところです。

自虐と差別は根っこが同じなのです。どうせ私なんかという自虐と、だから仕方がないという劣等コンプレックスと、でも私のほうがマシよという優越コンプレックスと、だってどうせあんたなんかという差別は、同じ人のなかに共存するのです。

どちらも根ざしているのは「安直な優越性の追及」です。自分が苦労しないで、できるだけ楽な方法で、復讐しようとしているのです。

アドラーのすごいところは、単線的発展段階論が支配的で「一方が顕現すれば一方は消失する」と思われていた時代に、一見すると相反するものの根っこが同じであることを見抜いていたことだったのです。

結果的に、つねに一人でしゃべっている・具体的には何もできないのに自慢話ばかりしている人ということになり、周囲の人は付き合いきれないので離れていく。孤立した人がSNSを始めると、身近な社会よりも更に様々な人々がいるので、優越感と劣等感の間をもっと激しく上下することになります。

誰も強制していません。頼んでもいません。自分自身で設定した「イケてる人物ランキング」という表の上を、自分勝手に上がったり下がったりしているのです。

でも、大脳も臓器の一つですから、酷使すると疲弊します。競争型の人が鬱病になりやすい所以です。

鬱病になってしまった場合には、薬をきちんと飲むことで、すこし落ち着くことはできます。ただし「自他を較べ、自分で自分を差別する」というライフスタイルは、薬では治らないので、気分転換と称して再びSNSにアクセスすると、また「劣等感を与えられたわ! 私は社会の被害者よ!」と叫び出す人になってしまうのです。

本当は、自分で自分を傷つけているのです。じつは、同情してほしいからです。そもそも対人関係を求めなければ、比較も優劣も発生しないわけですから、このタイプの最も厄介な点は「競争相手を必要としている」ことなわけです。若い人の言葉でいうと「かまってちゃん」なのです。

「自分がいちばん輝いていた時代の思い出話ばかり」している自分に気づいたら、自戒しましょう。それは他の誰の参考にもなりません。失敗を教訓にしてくれるほうがなんぼかマシです。

自慢する人は劣等感を感じているに過ぎず、権力争いに勝ちたい気持ちがあります。その内実は「安直な優越性の追及」であり、ついつい自他を較べては一喜一憂するという心であり、それは興奮続きによって心の(正確には大脳の)疲労を積み重ね、鬱病になりやすいのです。

これは「自慢する人は必ず鬱病になる」という偏見を発生させる目的で申し上げるのではありません。

自戒してください。自分で自分のやっていることに気づいてください。他者に勝ちたい気持ち・承認されたい気持ちを諦めることを恐れない勇気を持ってください。

我々は同じではないけれど対等であり、あなた一人が特別である必要はないのです。特別であろうとして、病気になる必要はないのです。

(参考:『嫌われる勇気』p.87, p.258)

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