『タクシードライバー』と『バニシング・ポイント』の語り口の違い。

  10, 2012 23:18
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他人が身の上話を始めたときに、
「最初から時系列で順を追って説明してくれなきゃ分からないよ!」と叫びたい人、「箇条書きで提出しろ」と言いたくなる人は『タクシードライバー』、
「なんとなく分かるわ、その気持ち……あなた最初から寂しそうな目をしていたもの」とお姉さんぶりたい人は『バニシング・ポイント』

べつにバニシング・ポイントの監督が女性的だったと言いたいわけではなく、倒叙法&回想多用、しかも大事な事実をすっとばすという語り口が、女性の話し方(として言われがちなもの)に似ているな、と思っただけである。

『タクシードライバー』では、最初に「眠れないから徹夜で働きたい」と主人公に言わせてしまい、海兵隊出身のベトナム帰りである旨を明かしてしまい、長い独白によって、街の住人に親近感をもてない様子、そのことを妙に几帳面に書き留める様子が示される。
主人公は無口な男で、ドライバー仲間の猥談にも参加しない。女性に一目惚れする気力は残っており、ロマンチストでもある。そのくせ最初のデート映画は「カップルで見ればよいとされているもの」に独り決めしてしまい、「政治に興味のある彼女には何がいいだろう」などと自分の頭で考えてみる様子はない。
潔癖で、視野がせまく、悪気はないが、独善的である。

……てなことが一時間かけて語られるから、そんな彼が失恋をきっかけに自信を失い、反動で「何かでかいことを」と苛立つ気持ちがよく分かり、そこであの肉体を見せられれば、厳しい克己心をもった優秀な兵であることも分かり、それほどの人物が、戦後の世の中では受け入れられない、保障もされない悲しさ、「政治家なんて嘘つきだ!」という恨みをつのらせることに強い共感も覚えるってなものである。



片や『バニシング・ポイント』では、主人公には友人がいる。仕事仲間は体を気遣ってくれるし、急に訪ねても快く迎えてくれる友人がおり、主人公自身も明るく応酬する。トラヴィスのように潔癖すぎず、不良っぽい街の若者を見ても嫌な様子はないし、本人も当時の流行に従って、吸うものを吸うし、飲むものを飲む。

それで賭けをするんだから、『キャノンボール』のように賭けに勝つために全力を尽くす明るいアクション映画かと思うと、
途中でふいに主人公の意識がトリップする。豪快なカーアクションが連続する中に、なんか不吉な過去の映像と、哀愁を帯びた雰囲気が流れる。なんだこりゃ。

やっと小一時間たってから、本人が海兵出のベトナム帰りであることが示される。ここまで、彼が不眠や、たとえば頭痛、腹痛、吐き気など後遺症に悩んでいるらしい描写はない。回想は、時系列に添っていないことが、後になって分かる。かなり終盤。

彼はもともとフリスコからデンバーへ達し、そこからトンボ帰りしようというのだから、少なくとも往路は違反もなく普通に走ってきたはずで、しかもプロの陸送屋ではあるのだから、お客さんの車を乱暴に扱っちゃいけないのは分かってるはずなのに、なぜ白のダッチチャレンジャーに乗った途端に気が大きくなったのか、説明は、とんとない。

こんなチグハグ感は、もう一人の主人公といっていい、スーパーソウルについてもいえるので、彼がテレパシーらしき能力をもっている様子は、同僚やガールフレンドとのやり取りの中で先に示しておくことはできたんだろうけども、ない。

KOWラジオ局は窓外にパームツリーが見えていたので、かろうじてカリフォルニアなのかもしれないが、なんせ場面転換が唐突である。

観客としては、自分の頭の中で、「コワルスキは、戦争帰りだから、明るくふるまってるけど、心に重いものを抱えていて、不眠症で、彼女のことでも自分を責めていて、最後に友人の電話で彼女のことに触れられて、変な方向に心が決まってしまったのだろう」
「スーパーソウルは、ゴール地点に近いほうに住んでいて、ちょうどカメラと同じ視点で、こっちへ向かってくるコワルスキを前から観ている構図で、全部お見通しで、深い共感を覚えたのだろう」とか組み立てて、分かった気になってあげるってものである。

で、この、たぶん狙ったんじゃなくて、天然な不手際によるぼんやりした印象が、実は、いいのだ。

トラヴィスは、ある限定的な状況で、非常に個性的な人格で、彼ならでは、これらの事件がこういうふうにつながる展開にはならなかった、という様子を、観客は神話の英雄の物語を聞くような、刺激的だが自分には遠い出来事として眺める感があるが、
コワルスキのほうは、「なんか急に走りたくなっちゃうことってあるよね」「早い車があれば意味もなく踏み込んでみたくなるよね」「どこへ行くか分からないけどハンドル切ってみたりね」と、みょーに親近感が湧くのであった。

そして、たぶん『2001年』が当時の若者に残したのは、(実はあれ自身はちゃんとした脚本があったのに長いので削った結果、分かりにくくなっただけなんだけど)「ちゃんと説明しなくても分かる人には分かってくれる」という雰囲気だったんじゃあるまいか。それが、独善ちゃ独善、甘えっちゃ甘え、自己陶酔っちゃ自己陶酔を、刺激したんじゃまいか。あの後、「意味のない暴力」は一杯撮られた。
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