娘が母親に責任転嫁しないという意味でもあります。

  27, 2016 10:21
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「課題を分離する」とは、親が子どもの課題に介入しないという意味であると同時に、子どもが親に責任転嫁しないという意味でもあります。

「他人を変えることはできない」とは、自分が変わらなくてよいという意味ではありません。他人によって変えられる筋合いがないからこそ、自分で自分の悪いところに気づいて、自分で改善する必要があるのです。

「お母さんが注意してくれなかったのが悪い」ではないのです。

「お母さんが注意しすぎたのが悪い」のでもないのです。

お母さんのせいで自分の心がイジけてしまったことに自分で気づいたなら、もうお母さんのことは忘れて、自分で自分を育て直しなさいということです。

いつまでも言い訳している人は、子どもの課題に介入する母親と同じことです。要するに母親の真似をして生きているのです。そのほうが楽だからです。

自分を変える勇気とは、母親から分離する勇気でもあります。

すでに具体的には分離している(実家から出ている)からこそ、寂しさに耐えかねて、子ども時代の思い出に逃避し、現在のお友達に対して不幸自慢することを快感にしてしまっている人というのは、時々います。

その不幸自慢する「きっかけ」を作るために、わざと他人に失礼なことを言ったり、怪我をさせたりすることもあります。

やっちまった後で「わたし、アダルトチルドレンだから仕方がないの」とか「お母さんのせいでノンセクシュアルになっちゃったから仕方がないの」とか言うと、本人だけ気分がいいわけです。

「哲人」岸見の挙げる例が、ときどき妙に生々しいように、アドラーたち個人心理学者たちも、実例から学説を帰納したのです。だから身近な実例を見て「ああ、こういう人のことか」と思うのは悪いことではありません。

自分が悪い例の真似をしなければよいのです。



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