Misha's Casket

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BLが描いて来たもの。

BLが伝統的に描いてきたものは、ゲイの青少年ではないのです。

同性志向に生まれついた男児が幼少期から同性の同級生に恋をすることによって自認を深め、心ない人々からイジメられるいっぽうで尊敬できる先輩に出会い、人権運動に目覚めて行くという自伝的物語ではないのです。

ですから、僭越ながら同性志向男性の皆様のために申し上げますと「女の描いているものは同性愛を美化している」と言ってはダメなのです。それでは「美化する前のオジサンたちも基本的には同じことをしている」という偏見が払拭されません。

すると「やっぱり男子校で悪戯されたからホモになったんですね!?」という質問が再生産されてしまうわけです。それを防ぐには、BLが伝統的に描いてきたものが、実在同性志向男性の現実にはまったく依拠していないという知識が必要なのです。

【伝統的ステレオタイプ】

BLが描いているのは、旧制中学校の先輩によって女役に選ばれた美少年です。だから、もともと、どっちの若者もストレート自認なのです。

なぜ女流がそんなものを描くかというと、1970年代の女流漫画家が、旧制中学校では「下級生を女に見立てる」という習慣があったことを、森鴎外などの作品を通じて知ったからです。

すでに彼の時代に、実際にはパワハラであり、下級生にとっては迷惑でしかない行為を、加害者であるストレート男子の意識のうえでは「情け深い念弟が招き入れてくれた」として、美化していたのです。要するに、加害者が責任逃れしたのです。

明治時代の日本に限らず、何千年も前から、世界中で、そうやって美化されてきたのです。若者たちがやっていたことは、もちろん、成人ストレート男性の模倣です。

その知識を活かして、女流が描いた漫画の舞台が、イギリスやフランスだったから、主人公が金髪なのです。

なぜ日本人が描いた漫画の舞台がイギリスやフランスだったかというと、根本的に日本人には西欧コンプレックスがある上に、ゴシックロマンが流行っていたからです。

平井呈一が思潮社から『おとらんと城綺譚』を刊行したのは、エドガー・アラン・ポーを鍾愛した日夏耿之介が1971年に亡くなった直後、1972年3月のことです。

先立って、『薔薇の葬列』で映画デビューしたピーターが日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得したのは、1969年末です。

三島由紀夫が市ヶ谷で腹を切ったのは1970年11月です。

少女時代からポーや三島を愛読してきた女流たちが、1971年8月にビョルン・アンドレセンが来日してテレビ出演したのを見て衝撃を受け、「わわわ私もあんな美少年を描きたいッ!」と思うと、いろいろ混ざった挙句に……

「戦前の外国の寄宿学校で先輩から女役として選ばれてしまったスミレ色の瞳の美少年は、森と泉と赤い薔薇に囲まれたブルーシャトーで生まれた」ってな具合になるのです。分かりましたか?

当時の女流を取り囲んでいた流行の品々を、全て一つの漫画作品に取り込んだだけです。今でも漫画家(のみならず小説家・脚本家など全ての創作家)が利用する、当たり前の技法です。

それが定型の基となって、現在の若手の作品では、舞台が現代に移されているから、一見すると作者自身が同性志向を持った男性(トランスゲイ)で、女生徒として男女共学校に通っているうちに自然にそういう表現を思いついたかのように勘違いする評論家も出てきちゃうのです。

【無意味なクレーム】

こういう話をしてる途中でですね、「でも私は漫画を読んで目覚めたのよ!」なんてクレームされても無意味なのです。

だから、その漫画を描いた大人の漫画家たちは何を参考にしたんですかって話をしているのです。

あなた自身が森鴎外を読んだことがあるかどうかを質問されているのではないのです。自分が話題にされていると勘違いしなくていいのです。あなたは世界の中心ではありません。

竹宮恵子や青池保子は何を参考にしたんですか? 水野英子の漫画ですか? そうじゃないですよね? 水野の時代には、まだそんなもの描いてないですよね?

水野より若く、池田理代子の「ベルばら」が大ヒットした後で「私は何を描こうかな」と考えた人々が「男装の麗人はもう古い。これからは女役の美少年だ」って思ったのです。

本人たちがどれほど意識的だったかは分かりません。でも結果的に、それがオイルショック不況下に一定の効果を発揮し、少女漫画雑誌を救ったのです。

おそらく小学館は、竹宮たちの活躍がなければ『少女コミック』を廃刊していたでしょう。オイルショック不況は、厳しい時代だったのです。

「でも私は1980年代に『WINGS』を読んだから目覚めたんだもの」という個人的な自慢話が、この話題になんの関係がありますか?

その1980年代に流行していたものの源流を探っているのです。歴史の話をしているのです。あなた自身が何年に生まれて何年に何を読んだかは、歴史年表には載らないのです。



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