表面的な権力争いをしたがる人は劣等感を感じている。

  29, 2016 10:23
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現在のすべての名探偵ミステリーは、シャーロック・ホームズに依拠しているといって良いでしょう。でも、ホームズにも先祖がいます。

天才的な人物が謎を解くことによって、物語を聞いている人は、自分が解いたわけでもないのに、爽快な気分を味わう。この面白さの源流をたどれば、オイディプスくらいまでは行き着くでしょう。

でも、神話・伝説というのは、似たような話をまとめたものですから、オイディプスにも先祖がいるはずです。結局のところ、人類は何万年も前から謎解きの面白さを味わってきたのだろうということになります。

ここで「でも私がミステリーの面白さに目覚めたのは1990年代に『コナン』くんを読んだからよ」という人があれば、日本中で一千万人くらいが「ぼくも私も」と言うでしょうが、歴史をたどる話の役には立ちません。

今から百年くらい後の人にとって、1990年代にはそういう作品が流行したという歴史の1コマにはなるでしょうが、その「コナンくん」の源流は何なのかという話をしている時には無意味です。

同様に、ヒュアキントスとアポローンのエピソードも、その形でまとまるよりも前から、似たような話が小アジアからペロポネソス半島に至る古代ギリシャ世界の各地で伝えられていたことでしょう。

それを1960年代の女流が参考にして、小説を書けば、それが現代のBLの源流ということになる。ここで「でも私は1980年代に漫画を読んで目覚めたのよ」という話は、ほかの誰の参考にもなりません。

そもそも、その漫画の源流は何かという話だからです。

あえて例えると「このカレーに使われている人参は、どこで採れたものか」という話をしている時に、「でも私が人参を食べられるようになったのは小学校に入ってからよ」と言われても、「は?」というだけですね。

つまり、他人の話の主題をずらして、自慢話にすり替えたい人がいるのです。が、自慢したがる人がいれば、劣等感を感じているにすぎません。

【注目を浴びるために、わざと劣等感を感じる】

劣等感とは他人から与えられるものではありません。自分勝手に自他を比較し、自分で自分を差別してしまったことにより、自分勝手に感じてしまったものです。

つまり、自分で自分を貶めるような基準を自分の心の中に持ってしまっている。他人の価値観に従って生きているわけです。「だって、むかし誰々から何々と言われたんだもの」というなら、それを気にしながら生きることに決めたのは自分です。

他人の話を聞いているうちに自分が劣等感を感じてしまったというのは「ばかにされたような気がする」という、主観的な思い込みです。被害妄想です。

人間は、ある意味うまく出来ていて、他人の話をわざと自分が劣等感を感じるように曲解することがあります。「ここに被害者がいます!」と叫ぶと、注目を浴びることができるからです。

だから、他人の話の文脈を無視して「カマトト」という単語に脊髄反射したりする例もありますが、これは言葉狩りです。

他人どうしが表現規制問題の話をしているのに「それ私のことでしょ!? いま私のことを言ったでしょ!?」と、首を突っ込みたがるのです。

これに続くのは、多くのばあい、不幸自慢です。母にああ言われた、男にこう言われたという昔話です。自慢したい心と不幸自慢したい心は同じもの。要するに目立ちたい。話相手(に勝手に選んだ相手)に勝ちたい。

勝つことによって劣等感を克服したいわけですが、じつは順序が逆です。「勝った」という快感を得たいから、タイムライン越境なぐり込みのきっかけとして、自分で自分の中に劣等感を捏造するのです。

「傷つけられた」といって挑戦状をたたきつけるために、自分で自分を差別するのです。めんどくさいですが、人間はこのくらいのことをやってのけるのです。

トラブルの原因は、自分自身の勝ちたい心です。逆にいえば、自分で自分を「負けている」と見なす心です。

もし周囲の人から「可哀想」と言われるとしたら、その態度によってです。



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