記事一覧

フェミニズム批評は社会学じゃないのです。~女流研究者の悲劇(かもしれない)

社会学というのは、実社会における様々な要素の因果関係を明らかにする学問ですが、ろくに根拠もなく短絡すると、偏見と差別意識の発生源になってしまいます。

なぜBL読者は女性キャラクターに感情移入できず、少女漫画が読めないことになっているのでしょうか?

いったいどこの学者さんが、何万件のサンプルを解析して、BL読者と少女漫画読者の有意差を発見したのでしょうか?

それとも、なんの根拠もなく偏見を広めるのが、日本の学者の仕事ですか? 日本の学会では、論文の捏造が日常的に行われているのですか?

当方は最初からこういう話をしております。質問または皮肉の相手は学者さんです。同人さんが興奮する必要はありません。

でも、まともな学者なら、この話題には関わって来ないはずなのです。だって例えばの話、ミステリ作家・読者全体について「一般に家庭問題のトラウマがあるので殺人に憧れている」なんていう文学部教授がいたら?

自分の評論家人生が終わるだけです。

作家の創作動機は、各人の残した日記・書簡などを丁寧に解析しなければ見えてこないものです。少なくとも論文として発表できない。では、数百万読者の行動は予測可能でしょうか?

仮に『マーガレット』『プリンセス』『少女コミック』『花とゆめ』『LaLa』などの少女向け雑誌の発行部数を毎月10万部としてみましょう。1970年代以来の累計なら、1990年までに限ったとしても、20倍です。それぞれ「別冊」「増刊」などを持っていますから、実際には、その倍を見込む必要があります。

1992年以降は、これにメガヒット作品『美少女戦士セーラームーン』(原作:武内直子)が加わりますね。美少女戦士物語でありながら、美少年同士のエピソードをも含んでいる。最初からメディア総動員戦略で、漫画連載・アニメ放映が同時開始しましたから、読者・視聴者の桁が違います。

逆にいえば、充分な人数の調査フィールドがあるのに、なぜ何も解析されていないのですか?

生育史と創作物の選択の関連の法則性は、相応のサンプル数・解析結果が示されなければ結論を出せないはずです。

なぜ「排他的に二次創作BLだけを読む未成年女性」という存在が、無根拠に前提されているのですか?

【フェミニズム批評は社会学じゃないのです】

本来、社会学者は理論と数字を提示しただけで「もう、こうなっちまったものは仕方ないですよ」という言い方をするものです。

社会学文脈でBLを評価したいなら、サンプルを集め、アンケートを取って、総数何百冊のうちで過激路線が何割、純愛路線が何割、そのどちらかしか読まない人が何割、どちらも読む人が何割、ついでに少女漫画も読む人が何割と示し、それでおしまいです。

母親または異性との関係性に法則性を見つけたいなら、もっときめ細かなフィールドワークが必要です。社会学者が根拠もなく社会を分析したつもりになるようじゃ意味がないのです。

それじゃ200回も成功した実験結果を記録してないのに結論だけ出たというのと同じで、論文の捏造です。

いっぽう、創作物を深読みして、後から勝手な意味付与するのは評論家の仕事です。そこには必ず本人の価値観が反映される。他人の作品をネタにして「俺はこう読んだ」と自分を語るのが評論家です。

評論である限り、数字で証明せよとは誰も云わない。三島由紀夫が「炭取りがクルクル廻るのが小説だ」と云ったところで、全国の何パーセントがそう思ってるのか証明しろとは云われない。三島自身が「俺はそう信じてる」と云うだけで良いのが評論です。

フェミニズム批評というのは、社会学と評論を混同してるようなところがあって、自分から落とし穴に落ちてしまう危険性が高いのです。

ここで一つだけ情状酌量があり得るとしたら、大学の女性教員というのは地位が低かったのです。大学は自由な学問の府のようでありながら、じつは男尊女卑の巣窟の一つであったことが明るみに出たのは、じつに1975年12月。それからは劇的に変化した、もう大丈夫……とも言いがたいのが事実ですね。

そういう境遇にある人は「男が悪い」という怨嗟の思い、「頑張ったって仕方がない」という劣等コンプレックスを持ちやすい。すると何を読んでも「こういうのは男のせいですよ」と言いたくなる。ま、それ自体はいいです。読書感想文の一種として、本人の主観を表現してはいけないということはない。

うら若い女性が描いたものに、意外なほど男性中心主義が表現されているなら、それは彼女がじつは男だからではなく、女性の無意識レベルにまで男性中心主義がすり込まれているせいである。こういう悪弊から女性を解放せねばならない。私はそう信じる。全国の同志よ団結せよ。ここまでは正しい評論です。

でも「だから今や全ての少女がこういうものを読むのである・描くのである。もう少女漫画など誰も読まない。いまだに読んでる女は遅れてる。男にだまされている」と云うと間違いです。

女性の独立心をBLでなければ表現できないという必然性はない。全員が読んだり描いたりしているとも云えない。

これじゃあれです。プロレタリアートの誰も爆弾テロや誘拐事件を起こしてくれなんて頼んでないのに「今や全ての労働者が共産主義革命を望んでいる」ってのと同じ発想です。学問の宗教化。一蓮托生ごっこです。さすが、みんなで渡れば怖くない新人類の親となった全共闘世代的発想と云ってもいいのかもしれません。

これを押し進めるとどうなるか?

女性が差別の内面化という悪弊から解放され、男性中心主義を相対化し、男に憧れることをやめ、まったき女性自認と自尊感情を取り戻せば、もうBLは必要なくなる。それは、もともと存在すべきではないものだった。西側的退廃だったという結論になります。

男たちは手を叩いて喜ぶでしょう。「さっさと筆を折って、家事を手伝ってくれるイケメンを見つけなよ」ってね。

【甘やかされた女流】

実際には、かつての議論は、フェミニズム批評を生かじりしただけで、大規模なフィールドワークを組織する実力のないゼミ生・ライター・自称人権運動家、せいぜい准教授ていどにとっての腕だめし・試論の「ネタ」として利用されたのです。

用語の定義も確認できず、議論の範囲も定義することができない。プロとパロを混同し、「女性は、女性は」と言い募った挙句に男性評論家およびゲイコミュニティから挙げ足を取られて、ギャフン。

もっと早い時点で「研究方法の不備」という当たり前のツッコミを受けていなかったのは、男性陣がこの話題に不案内で、関わりたくもないと思っていたからで、未熟な女性研究者側はその無批判の上に胡坐をかいていたのです。

百歩譲って、大規模な調査を敢行できる立場になかった・昇進させてもらえなかった・予算をまわしてもらえなかったということはできる。でも議論の進め方は勉強できたはずです。

いまとなっては、1975年末(奇しくもコミケが始まったのと同時期ですね)に問題提起がなされて以来、大学における女性の「進出」が始まり、やや興奮ぎみに男性中心社会を批判する言説が量産されるようになった。その一環としてBLをも利用したが、言及の仕方があまりにお粗末であった。

そのこと自体が、当時の女性が社会的・学問的訓練を与えられていなかった証拠であるなんて具合に、日本のフェミニズムそのものの歴史を批判的に跡づけていくのがよいのでしょう。


Related Entries

SEARCH

Profile & Caution

Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。