2016/10/04

本来ニュートラルな心理を自主規制するのです。

BLというのは、既成の男性目線による理想的な女性像に無理して自分を合わせていくことに背を向けて、男性の価値観に束縛されない「戦略的撤退」ともいうべき生き方を選び取った女性が読むものだというのが、一つの定説になっています。

したがって、いったんBLに移行した女性は少女漫画には戻らないという単線的発展段階論が無反省に前提されています。コミンテルン的「移行」神学がこんなところにまでッ。(フェミニストたちも染まっていたんでしょう)

けれども、ギリギリで『美少女戦士セーラームーン』(原作:武内直子)が発表された1992年まで、BLというのは女性読者が「与えられたものに背を向けて、勇気をもって選び取る」というものではなかったのです。

なぜなら、高校生以下の未成年女性を想定読者とした少女漫画を主体とする雑誌に、いわゆる「少年愛の美学」が、少女漫画の間にはさまって、掲載されていたからです。

1998年に(Windows98によって)インターネットが普及する前の娯楽の少なかった時代において、せっかく買った雑誌を半分しか読まずに捨てちゃったという行動は考えにくいのです。

第一、セラムンでは美少女戦士と美少年同士が同じストーリーの中に登場していたんだから、誰がどっちしか読まないかなんて考えてみる必要もないのです。

人間心理というのは、本来ニュートラルに出来ているわけで、赤ん坊は(母親の心音以外は)なにも知らずに生まれてくる。見せられたものは、なんでも「そういうものだ」と思って受け入れる。だからこそ、デマも生じやすい。

それに反して「同性愛は認められない」というのも、「女性キャラクターには感情移入できない」というのも、じつは同じことで、自分で自分の心の多様性にブレーキを掛けているのです。それには何か目的があると考えることができる。

前者は「みんなそう言ってる」という理由によるのが大きくて、保身術の一種です。だから少女漫画の一種として掲載されているかぎりにおいて、あまり抵抗なく読むし、なんらかの「配慮」によって分離されるようになると、途端に「ああいうものは読まない」という姿勢も生まれてくる。

すると、読む女と読まない女の相互差別、および男性による差別も生まれてくる。要するに、それだけのことです。

いっぽう、後者は「母親をロールモデルに出来ないことにしておけば、結婚しなくて済む」という計算が働いていると見ていいでしょう。

でも、そのような人生の選択の崖っぷちに至る手前の少女時代においては、与えられたものはなんでも読むし、そのまま忘れてしまうという健忘症の状態が、むしろ普通なのです。

自分が読んだ雑誌について、「何年何月発行の第何号に載っていた漫画は何と何と何(中略)で、あわせて十三本」と、いちいち挙げられる人は、めったにいませんね?

「そういえば、そんなような漫画も読んだような気がする」という程度です。少女漫画についても、美少年漫画についても。

少なくとも、1970年代から1992年に至るまで「私たちは少女漫画雑誌から美少年漫画が撤廃されるまで、二度と少女漫画雑誌を買わない!」というボイコット運動は起きていないはずですね。多くの人が、そんなにこだわらないのです。

で、そのなんでも読む読者の多くにとって「どっちにしてもオハナシじゃん」というのが、結論なのです。要するに、全員が新宿二丁目へ向かったわけではない。

【漫画読者と実在依存の分離】

新宿二丁目へ向かった人というのは、創作物とは別の経路によって、つまりテレビか何かで「実在者の集まる町がある」と聞いて、行ってみようという気持ちを起こしちゃった人です。

1980年代の間に、エイズ騒動が起きて、同性志向の男性は、致死的性病の媒介者として、魔女狩り的な迫害を受ける恐れがあった。だから人権運動も加速したので、その存在そのものがフィクションだと思われていたことが解消されたのです。つまり認知されたのです。それによって「じゃあ見物に行ってみよう」という行動も生まれてしまった。

とくに、1990年以来、テレビバラエティ番組で「ミスターレディ」が取り上げられるようになって、そういう人の集まる町があるという知識が一般化したのです。芸能人も精力的に宣伝したといってもいいでしょう。

いわゆる性的マイノリティの露出それ自体は、やはりエイズによる偏見を正すための人権運動の一種だったと見てよいのです。テレビがそれを利用するのも「お約束」の内です。

が、それをまた利用する視聴者・ゲイバーサービス利用者のほうで、心得違いがあった。つまり夜遊びのマナーを知らない大学生などが、やっちまったわけです。お店の人々や、あまつさえ周囲の素人客に向かって、むかし読んだ漫画をネタにして、くだらない質問を浴びせた。

本来は、虚心坦懐にショーを拝見させていただき、カクテルを賞味し、求められれば可能なかぎり署名や寄付に協力して、静かに帰ればいいだけです。ふつうのコンサートや飲食店と同じです。

でも、自分から珍しい人々(という偏見を本人が持っている)に話しかけてみたいから、漫画を口実にしたわけです。漫画のほうも、いい迷惑です。

それに関してゲイ側から提出されたクレーム文書には、必ず「若い女性」という言葉が使われています。が、まさか見るからに幼い10歳の小学生だったということはないはずです。化粧して夜遊びに来た20歳程度の女性が、酒に酔って騒いだはずです。

でも、繰りかえしますが、漫画読者の多くにとって、漫画は漫画にすぎないのです。ドラえもんがどんなに好きでも実在しないことを分かっているのと同様に、漫画みたいな美少年は漫画の中にしか存在しないことを分かっているのです。

漫画みたいな美青年によって誘惑されたので、同性愛に目覚めてしまったという漫画みたいな美少年は、漫画の(以下略)

実在者の町と、漫画を、あらためて分離しましょう。

すると、前者へ行ってしまう人というのが、たんにその人自身が不適切であることが分かります。



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