Misha's Casket

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「男同士も正常だと認めろ」がクレームの真意です。

差別とは「とくに現代において、あるものを、正当な理由なしに、他よりも低く扱うこと」(小学館国語大辞典1988年新装版)です。

ゲイコミュニティからは、女性の創作物の中に「男同士は異常だ」という台詞があるのが許せんという苦情が寄せられたことがあるそうです。

この場合は「男女は正常だ」に対して「男同士は異常だ」と云ってるわけです。正当な理由なしに男女関係よりも男男関係を低く扱っている。それに対して同性志向当事者からクレームがつくということは「男同士も正常だと認めろ」ということです。

その発想はありませんでしたか? そうです。問題の根源はここにあるのです。

異常だからカッコいいじゃダメなのです。禁断の愛だから燃え上がるじゃダメなのです。正常だと認めるのです。それがゲイ側の要望。

くれぐれも勘違いしてはいけないのは、まだこの段階では「女流が男同士を描写することが差別行為に当たるから創作活動を全停止しろ」という話ではないことです。

まず男同士も正常だと認めろ。そのうえで、その正常なものを女流が描いてはいけないのかどうか? この話をしたいなら、議論の仕切り直しが必要です。

もとより、創作物は異常なものをわざと描くこともあるものです。殺人事件や殴り込みや自然災害や戦争や伝染病ブレイクアウトは、多くの人が望む平和な日常生活からすると異常事態ですが、それ描いちゃいかんというと創作物はあらかた壊滅する。

逆に「正常だが描いてはいけない」ということはあり得るか? 夫婦の性愛は正常なはずですが、子どもに見せるもんじゃないことになっています。出産や開腹手術、動物が他の動物を食う姿なども、あまり写実的には描かない部類かもしれません。

とはいえ絶対に描いてはいけないということもない。どこで発表し、誰に見せるかというゾーニングの問題に還元されます。

では、女流が正常な男同士を描くときも、発表場所をゾーニングすれば良いのではないか? 

それとも、この場合のゾーニングとは「ゲイ当事者なら描いてもよいが、非当事者からは表現の自由の権利を取り上げる」という区別なのか? それもまた差別ではないのか?

そうです。この話を始めちゃうと、ものすごく議論紛糾するわけです。でも話を戻すと、ゲイはまだそこまで云っていない。我々を正常であると認めろと云って来ただけです。

なぜ、そこでフェミニストが「はい、認めます」と云えなかったのか。

【フェミは同人とは別】

ありていにいって、同人は「描いてもいいんだったら、なんでも認めます」って答えるでしょう。少なくとも同人側全体の意見として「異常だという台詞を書く権利を求めて、フェミと連帯するぞ」って云ったことはないはずです。

フェミニストというのは、母性を尊重する人々でもありますから「産まない愛は異常です」をモットーにしてもいいです。それもまた表現の自由です。

でも、そういうフェミニストの理屈としては、母性が尊重される理想的な世界を漫画にすればいいはずです。マタハラがなく、育休を取りやすい、産みやすい世界を描けばいいです。ル=グウィンみたいなSFとして「広い宇宙にはそういう星もある」と書けば、現在の地球(日本)に対する諷刺になります。

あるいは、もっと真正面から「育休を取りたいのに取れない。マタハラされる」というヒロインを描いて、社会の意識改革を訴えればいいです。そういう漫画を自分で描かないまでも原案を書いて、プロデュースすればいいのです。

なにも、産まない愛の異常性を描き続け、「私たちのものです」などと称して読み続ける必要はない。読み続けるのであれば、ゲイにとっては「命に関わる」ということになります。

フェミニストが「産まない愛は異常です」と言い続けるということは、同性愛者のことを「人口再生産のためには不必要。粛清を支援する」と宣言したという意味だからです。

逆にいえば、この点で、ゲイコミュニティとフェミニスト団体は、真っ向勝負を闘い抜いてもいいです。「産まない愛も正常だと認めろ」「いや認めない」の言い合いを永遠に繰り返してもいいです。言論の自由が一方的に封殺されないなら結構なことです。

でも、ここで取りこぼされるのは同人です。もともとゲイ側は創作物を問題にしているのに、その作者が忘れられている。

【同人は描くことが最優先】

創作物の作者には、もちろん個々に人権があり、自己決定権があります。その思うところにしたがって、何を認めてもいいし、認めなくてもいい。誰に謝ってもいいし、謝らなくてもいい。

もし作者が「同性愛は戦争や殺人事件同様の異常事態だからこそ面白い。創作物にする価値がある」というなら、まァ仕方がない。その作者自身とゲイコミュニティが徹底討論すればいいです。

でも他の同人が「私は討論するより続きを描きたいから正常だと認めるわ」といえば? ゲイコミュニティは、少なくともこの同人に対しては「正常だと認めるか認めないか」という点では、それ以上クレームすることがなくなります。

そしてこの場合、この同人さんは現実の同性婚にも賛成だという理屈になります。正常なんですから。そしてまた、正常な愛をはぐくむ人々のお邪魔をしないことを社会のマナーと心得るということになります。

男女カップルのお見合いの邪魔をしないのと同じです。フルムーン男女カップルが仲睦まじく旅行する姿を指さして笑ったりしないのと同じです。

お分かりですね。「あちらは異常だが、こちらは正常だ」という差別意識・優越感を解消すれば、不適切行動は減るのです。

だから、フェミニストが即座に「はい、認めます」と答えなかったなら、フェミニストというのは差別を助長する人々です。

この場合、あっさり認めたタイプの同人は、おなじ女性といえども、フェミニストとは進む道が違うことになります。

また、「異常だからこそ面白い」と称して、失礼な質問を繰り返す人々とも、道が違うことになります。

すべての女性が、男性一般に対しては「女性に対する差別・暴力反対」という点で一致団結です。でもゲイ男性に対しては立場が分かれることになるのです。女性の表現の自由が認められているからこそ、意見の違いも生じるのです。それこそ健全な言論の姿です。

他者とは自分を映す鏡であり、仲間だと思っていた者同士の差異を意識化させることもあるのです。

【女もいろいろ】

女性の産み育てる権利を最優先し、ゲイを異常と見る人々は、国防・防災を最優先課題とする男性中心社会の再生産には協力的だが、職場・家庭改善を訴える点で、男性にとっては最も厄介な部類と感じられるはずです。

創作活動を最優先し、独身暮らしを守りたい人は、育休よこせとか家事を手伝えとか言って来ないので、男性にとっては都合がいいと言えますが、ゲイを正常と見るので、結果的に同性婚支援ということになり、この点では最もラディカル。

ただし実際問題として「ゲイが増える」ということはないので、同性婚させてやっても、どうってことはありません。気持ちの問題だけ。

まさにその気持ちにこだわりたいストレート男性にとって最も都合がいいのは、創作物の鑑賞を最優先し、独身暮らしを守りたい一方で、ゲイを異常と見なし、同性婚に反対するタイプ。「笑える」とか「あり得ない」とか言っちゃうタイプ。ストレート男性は彼女と一緒になって「だよな~~」と笑っていられる。

新宿二丁目まで押しかけて「私って結婚したくないタイプだからゲイの仲間」って言っちゃう女性は、じつはこのタイプ。自分自身が同性婚を認めていないのですね。

ストレート男性陣は、このタイプに(そこそこの)仕事を与えておけば、育休よこせとか家事を手伝えとか言って来ないし、ゲイの配偶者控除を認めてやれとか公文書の性別欄を無くしてやれとかめんどくさいことも言ってこないので、安心。

この、育児の重責にも、ゲイへの仁義にも縛られず、最も自由なはずの第三のタイプが、男性中心社会の「二等兵」として、産業戦士部隊の末端に組み込まれ、最も貧弱な装備で、昇進の見込みもなく、最前線に配置されている。

事実がこういうことになっちゃってると思います。

もちろん、この間には「あえて『行動する』ということには加わらないまま、育児と職業の両立に奔走しつつ、同性婚だって認めてやってもいいと思ってる。もうそういう時代でしょ」という人や、ゲイに義理などない・差別も表現の自由の内だと肩で風切る創作者や、独身で創作物の鑑賞を最優先したいが、なにもわざわざ新宿二丁目まで出張ってゲイをからかったり依存したりしたことなどないという人が大勢いるのです。

女もグラデーション。あるいは、基準がいくつもあるのです。




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