Misha's Casket

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弱者意識があると、言葉使いが横柄になるので、自戒しましょう。

「マジョリティから一本取ってやるつもりで暴言を吐いてしまった後で、相手が本物のマイノリティだったと分かって、あわてる」

これでは世間様へ向かって、自分が「相手によって態度を変える人間である」と宣伝してしまったことになります。

弱者意識・被害者意識があると、かえって態度が高圧的になり、言葉使いが横柄になるのです。挨拶しなくてもいい、見知らぬ他人を怒鳴りつけてもいい、逆に自分のほうから「差別用語」を使ってもいいと思い込んでしまいがちです。

「わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある」(『嫌われる勇気』p.89)というわけです。

じつは、このタイプの人には隠し持った目的があって、それは「日常的なストレス解消」です。本来は職場の待遇改善を上司に訴えたり、交際相手を説得したり、景気回復を政府に要望したりするべきであるところ、見込みがないので身近な他人を怒鳴りつけることによってストレス解消しようとするのです。

だから、じつはこういう人は周囲がいい人ばかりになってしまうと困る。怒鳴る相手がいなくなるからです。だから一日中SNSに依存して、わざとロリやBLの話をしているところへ首をつっこんで「私の前で下品な話をしないでください!」とクレームしたり、逆に「私のほうがもっと下品ですよ!」と変な自慢をしたりするのです。

つまり、ストレス解消のために怒りの感情を捏造するわけです。相手のひと言によって、カーーッと怒ったふりをするのです。怒鳴ることが自己目的ですから、本当に建設的な議論をするつもりはありません。議論が起きた背景となった社会問題を理解する気もありません。わざと脊髄反射しているので、あとで「そういう話じゃなかった。意味が180度逆だった」と気づいて、あわてるのです。

職場・学級・家庭・ご町内・SNSのいずれにおいても、トラブルの元になるのは勘違いする人です。他人の話を自分に都合よく(自分のほうが被害者っぽい顔をして怒ることができるように)曲解する人です。

ストレスが溜まっている時には勘違いしやすいものです。これは余裕を失くしているからだということもできますが、もう一歩踏み込んで「ストレス解消のために、わざと怒っている(自分に嘘をついている)」と考えてみましょう。

【BLファンが自戒する点】

「心がウブすぎて、成人向け過激エログロBLしか読めない女の子は、男性中心社会の被害者だから、ゲイに下品な質問をする権利があるのよ!」

などという訳の分からない理屈を自分勝手に考え出して、信じ込んでしまわないように注意しましょう。

パロディ同人が使う言葉は「裏の意味」を持っています。そもそもパロディ・諷刺ということが得意な人々なのですから、わざと逆のことを言うのです。それを真に受けてしまってはいけません。自分のためです。

もし真に受けてしまうと、社会の被害者である自分には「弱者特権」があると信じ込んでしまい、ゲイではない人々に対しても、なにを言っても大目に見てもらえると勘違いしてしまうことになります。

で、男性のアカウントへ押しかけて(自分を棚にあげて)あんたの趣味は変だと言ったり、女性のアカウントへ押しかけて、挨拶もなく、見知らぬ他人を怒鳴りつけたりするのです。

だから自分では正当な権利をもってクレームしているつもりで「変な人がきた」と言われたり、ツイッター廃人と呼ばれたりするのです。他の人は、制止してくれることもなければ、説教してくれることもありません。おとなの優しさとは冷たさと表裏一体です。

なまあたたかい眼で面白がられていることを、本人が「ウケている、注目されている」と勘違いしてしまうこともあります。

ほんとうに心ある人は、黙ってフォロー解除またはブロックして、離れていくでしょう。ツイッターばかりでなく、フェイスブック、LINE、ブログのコメント投稿者なども同様です。

自分が言いすぎたせいだと気づいた時に必要なことは「でも私はツイッターが好きだから」という言い訳ではありません。フォロワーの皆様にご不快を与えたことのお詫びです。

なお、インターネット上で怒鳴るというのは、文末に「!」マークがついていることです。自分でやっちまっていたら、自戒しましょう。個人アカウントに対してそういう言い方をしなくても、政府や社会全体に対して説得力をもって訴える方法・言葉使いを考えましょう。

【知ろうともしない心は実家へ帰りたがっている】

無知そのものを責めることはできません。知らない人には教えてやればよいことです。

が、本人が知ろうともしないとなると、話がちがってきます。自分が知らない話を聞いた時に、即座に「そんな奴いるわけないでしょ!」と怒鳴ってしまう人というのは「世の中にはそういうこともあるのかもしれない。そういう人もいるのかもしれない」と考えることができないわけです。

それでどうして自分だけ「世の中には私のような性的マイノリティがいることに前もって想像力を働かせて、細やかに配慮してほしいわ」と言えるのか?

自分だけ得をしたい時に、他のマイノリティが言っていることを真似するからですね。フェミニストやパロディ同人の言い草を真に受けることに通じています。他人に対して自分から配慮するつもりはないのです。最初から周囲と双方向性の円満な対人関係を築くつもりがないのです。孤立したいのです。なぜ孤立したいのか?

実家へ逃げて帰りたいからです。都会に出てきて自立できたつもりの人が、ときどき陥る心の罠です。自分で自分の立場を苦しくするのです。

発想としては「刑務所へ入れてもらうためにわざと悪いことをする」というのと同じことです。現在の生活に充実を感じておらず、希望をなくしているわけですから、悪い仲間に誘われて、ついて行ってしまいやすく、薬物などに手を出すといったことにもつながりやすいと言えますから、厳重に自戒しましょう。

自分から人生の次の(または本当の)課題を見つけられないということは、もともと宿題を与えられないと勉強しないタイプだったわけで、そういう人は当然ながら大学で学問の目標を見失って、パロディ同人活動に流れてしまうことがあるのです。オリジナル漫画家としてプロデビューするより楽だからです。

当然ながら、高校生のうちから「部活さぼって繁華街へ遊びに行ってしまった」ってなこともしていた可能性があります。

もし親御さんが「大学へ入ったら誰々とはつき合うな、どこへは行くな」と細かく注意なさったのなら、そういう子どもの個性をちゃんと見ていて、本当に心配してくださっていたのです。あなたは充分に愛されていたのです。だからこそ実家へ帰りたいので、わざと「お母さんのせいだ」と言い訳しなければならないようなことばかりしているというふうにループするのですから、自分で気をつけましょう。

【フロイトとアドラーは対立概念ではありません】

アドラー流または岸見流の面白いところは「安直な優越性の追及は不健全な態度です」と、はっきり言ってしまうことです。心理学なのに価値判断が加わっているのです。もともとはフロイトが神経科の医師で、強迫神経症を治そうとしていたことによっているのでしょう。

アドラーの言うことは「人間は無意識のうちに自分の得になるように計算している」ということですから、まず無意識の存在を全面的に肯定しています。そして「神のお告げ」ではなく「無意識」という言葉を使った人はフロイトです。

無意識の心理学をフロイトが創始し、アドラーが発展継承させたわけで、一方が他方を否定したのではありません。

「神は死んだ」と叫ぶ世代がアナーキズムに走ると、あぶなくてしょうがないので、キリスト教の権威が低下した産業革命の時代には、人間いかに生くべきか、なにを次の行動指針にしたらいいのかと自問自答し、他人にも教えようとした人が大勢いたのです。

欧米の自己啓発術の多くが、フロイト=アドラー流の流儀に乗っていると考えればよいでしょう。テキストに書いてあることを読めば分かります。根本にあるのは、ユダヤ人の「逃げるときは一人だ」という、ひじょうにドライな世界観・人生観です。

「離れたところから自分自身を見てみましょう」というのは、自分自身が「神」の視点になって、小さな人間を見るということです。トラウマを言い訳にしている小さな人間(=自分)に向かって「目覚めよ」ということです。

そのような技法を教える人の中には、自分のはカウンセリングではなくセラピーだということもあります。他人の話を聞いてやるつもりはなく、一方的に薬を処方するだけだということです。が、その薬にまったく効き目がないことを自分自身の言動によって証明してしまっているのでは意味がないのです。

べつに廃業する必要はありません。言い訳する必要もありません。自分で自分を育て直せばよいことです。必要なのは、他人を怒鳴りつける勇気ではなく、自分を変える勇気です。



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