1965年9月、内田吐夢『宮本武蔵 巌流島の決斗』東映京都

  04, 2016 10:21
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勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てる。

製作:大川博 原作:吉川英治 脚本:鈴木尚之・内田吐夢 撮影:吉田貞次 照明:中山治雄 美術:鈴木孝俊 音楽:小杉太一郎 助監督:鎌田房夫 擬斗:足立伶二郎

白砂青松。赤い陣羽織。細川家の九曜の幔幕。漆塗りの陣笠。櫓の響き。日本的決闘の美学。最晩年にこれを撮れた内田監督は幸せだったと思います。

昭和36年から、一年一作。吉川文学の最高峰、完全映画化。その第五作、最終章。今回も雄大な自然を背景に、愛と死と、じつは鞘に入った人生の大切さを描きます。

決闘に至るまでの人間関係を丁寧に描くのが内田流なわけでございまして、「お年寄りを大切にしよう」から「子どもの未来を考えてあげよう」まで、温かい気遣いにあふれております。本位田のおばば様がここへ来て大活躍で、お通さんも女の意地を見せました。5年の間に女優自身が歳をとるので、観客の共感度もひとしおです。

子役の選び方・使い方がうまいのも内田の特徴で、またしても武蔵は男児を拾ってしまいます。これが大層な演技派。剣戟の合間に、土に親しむ労働の尊さが描かれたのは、高齢に達した監督の人生観の表れかと思われます。

実るか実らぬかは秋がくれば分かる。それまでは丹精ひとつだ。

カメラのほうも「どうやって撮った!?」と訊きたくなるような、丹精込めた工夫の連続。足場の悪いロケ地で主人公たちの周囲をグルーーッと廻るカメラワークは圧巻です。

今回は錦之助のメイクもすっきりめで、ひとつ乗り越えたという顔をしておりながらも、まだ実年齢で若いので愛嬌を残しており、それがついに江戸へ出て、武芸の最高権威にアクセスする姿は、我がことのように、あるいは友人の成功を祈るように、あるいは息子の成長を見守るように、不安な共感を掻き立てるのでした。

カメラは、揺らしどころのツボも心得ております。

片岡千恵蔵が納得の良い人役で脇固めに入っており、里見浩太郎がノーブルな雰囲気を活かして細川家の若殿です。後の活躍を思わせます。三国連太郎は例によって恐ろしいようにふてぶてしく、内田朝雄が納得の悪役。

高倉小次郎は色男ぶってますが、やっぱり骨太な危険さを感じさせ、いいキャスティングだったと思います。みずから巌流を立てた小次郎は「一本独鈷」で男を売ってるわけですから。

なお、武蔵が江戸へ出ますので、後の侠客文化につながると思われる一本刀落とし差しな人々の面倒見のよい様子や、「ばくろう」(伯楽の転訛。馬を扱う人々。兼ばくち打ち)の荒っぽい様子が見られます。べらんめェが耳に懐かしいのはこちらの気のせい。錦之助が前年に『日本侠客伝』で侠客を演じているのを思い起こすのも楽しいところです。

また、女性や肉体労働者が文字の読み書きができるというのは日本独特の描写かと思われます。

野に放たれた虎は、数えの21歳で姫路城を出てから、巌流島で10年だそうですから、まだ若いのです。捨てきれない愛欲の悩みもあれば、子どもに対しては老成した様子も見せる。いつの間にかすっかり芸術が達者になっていることも活かされて、まさに完全映画化の名にふさわしく、武蔵の人間性を描ききり、演じきったと思います。

なお、美術の鈴木孝俊にとっても快心の一作だったのではないかと思われます。



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