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怒る必要はないが、嘘と偏見を防ぐ必要はある。

失礼なクレームに対しては、声を荒げる必要はありませんが、虚偽の証言によって一般社会に偏見が広まることを防ぐ必要はあります。この場合、正しい証拠を挙げて参りましょう。

たとえば「1983年頃の『花とゆめ』なんて、どうせみんな『やおい』じゃん」という暴言に対しても、怒る必要はありません。

「美内すずえは違います。和田慎二も違います。柴田昌弘も違います。酒井美羽も違います。野間美由紀も違います。山口美由紀も違います。川原泉も違います。氷室冴子(原作)も違います。遠藤淑子も違います。

その年に東映によってアニメ映画化された魔夜峰央の作品も、その主要な価値は、落語の素養を基盤としたギャグセンスであるとともに、西村知美も絶賛したとおり、ミステリー、サスペンスとしての充分な読み応えにあります。

そもそもプロ漫画家の誰一人として、自分からそのような隠語を使ったことはありません。漫画家にかぎらず、プロ創作者が自虐したことはありません。お客様に対して、そのような失礼なことは、プロは申しません。

それはパロディ同人が著作権問題を隠蔽するために用いた符牒です。『それについて一切語ってはいけない』という掟を意味する暗号です。プロと混同されて注目されれば、困るのは同人のほうです。

著作権者によって親告されなければ問題ないはずのものが親告されやすくなってしまうからです。もし親告されれば、自分自身が女の子だろうが、遊びだと思っていようが、言い訳は一切通用しません。

1970年代のSFアニメ番組の著作権者はテレビ局か個人プロデューサーです。漫画家同士だからという甘えは通用しません。

また本来の「コミック」マーケットは『COM』なき後の漫画の未来を模索するオリジナル漫画同人会の集合体であって、竹宮恵子を尊敬する人々の集まりです。最初から「アニパロ」マーケットだったのではありません。

「少女漫画家になりたい」と言いながら、絵の練習をするのではなく、かんたんな小説を出品して「カネもうけ」するのが目的だったという人は、プロ漫画家および漫画同人にしてみりゃ「漫画なめんな」というだけです。誰も仲間だとは思いません。かばってやる必要はありません。

アニパロ小説同人というのは、最初から「モグリ」なのです。

だから、当時のパロディ同人、それも利潤動機型の小説派は、本気で逃げ隠れする必要があったのです。「コミック」マーケットの片隅へこっそり小説を出品していることを真面目な漫画同人に見逃してもらう必要があったのです。

「とても竹宮先生には及びませんから、真面目な漫画同人の皆さんはお手に取らないでください」という必要があったのです。アニパロだと気づいてもテレビ局へ通報しないでくださいという必要があったのです。

だから、当時を知っている同人なら「どうせ竹宮恵子も私たちも同じじゃん」などとは、絶対に申しません。

それを理解できずに、プロとパロを混同し、同じ名前で呼んでしまった1980年代の中学2年生は、著作権意識がひじょうに低く、同性愛差別意識だけは旺盛だったのです。だから、アニパロ同人誌が後ろめたいものとされる理由を、著作権問題ではなく、同性愛描写にあると勘違いしたのです。

なお「禁断の愛」という言い方も、実質が未成年者に対する暴力であれば、これは禁断に決まっております。が、キャラクターの年齢に関わらず同性愛であることが禁断だと思った人は、もともと差別意識を持っていたのです。

だから、今でも新宿二丁目へ押しかけて、実在ゲイ男性を自分本位に利用し、余計な質問をして、自己満足しているのです」

このように申し上げると、周囲の人々は、今後同様なデマを聞かされても、自分で判断することができます。

あわせて、暴言を吐いた人物が、「話し相手を挑発し、権力争いに勝つ」という目的を達成するためなら、事実をねじ曲げ、嘘の証言をし、プロ漫画家たちに不適切なレッテルを貼って不名誉を与え、全国数十万の花ゆめ読者の思い出を傷つけ、社会に誤解と偏見を広めようとする危険人物であることを理解できるわけです。

【責任転嫁はやめましょう】

呼吸するように嘘をつく人というのは時々実在するものですが、この場合、なぜ嘘をつくのでしょうか?

たとえばの話、昔の市販雑誌に、今でいう二次創作BLを連想させるものが2・3本載っていて、その愛読者仲間がコミケというイベントの存在を知らせてくれたので、いつもの仲良しグループ4人で行ってみたというだけの話なら、なんの問題もありません。たんに、当時は市販雑誌にもそういう作品が載っていたという歴史的証言になるだけです。

失敗は「みんな」という言葉を使ってしまったことです。自分の話の印象を強めようとして、いわば火薬の量を増やしたので、暴発したのです。

それにしても、なぜ印象を強めたいのでしょうか? まずは単純に話し相手(に勝手に選んだ相手)の注意を引きつけたいのですが、じつはもう少し厄介な事情があります。

じつは、自分がパロディ同人活動に関わったことを後悔しているので、その種の作品ばかり掲載していた雑誌に洗脳されたという話にしたいのです。つまり責任転嫁したいのです。

でも、話がおかしいですよね? 市販雑誌に「読者の皆さん、同人誌を買いに行ってくださいね。この雑誌より面白いですよ」と書いてあることはありません。誘われても行かなきゃいいだけです。誘われても出展しなきゃいいだけです。すべて自己判断。自己責任。

一度始めた以上は、赤字が出ないように努力を続ければいいだけです。それでもダメだったのなら自分の才能不足。

多くの学生・生徒がプロになる望みもないのに運動部の練習と試合に励むものです。ブラバン、軽音、美術部、映画研究会なども同様です。全員がプロになれるわけではない。だからといって「最初からやってはいけない」ということはない。最初は「なんとなく面白そうだと思った」というだけでいいのです。終わった後で、なんと言うかです。

全国へ行きたかったが、上には上がいた。オーディションも受けてみたが、甘かった。しかし、部活やっていた間のことはいい思い出だと言えるかどうか。

ここで、市販のBL作品と、二次創作BL同人作品との間には、独特の事情があるわけです。市販品を読んで、自分もプロになりたいと思って、出版社への投稿をくり返したが、認められなかったというなら、話が単純です。

でも「市販の漫画を読んで、アニパロ小説に目覚めた。出版社への投稿ではなく、コミケへの出展を覚えた!」というのは、明らかに違う活動の短絡です。

「栗本薫よりも『私たち』のほうが売れていた」という、人数的にアンフェアな比較をして優越感に浸る人は、小説を書いていたのです。竹宮恵子に追いつけ追い越せというつもりで漫画を描いていたなら、「竹宮恵子よりも売れていた」というでしょう。

なんらかの経緯でアニパロ小説を知ったことを、後づけで、市販の漫画と関連づけてしまっているのです。なぜか。自分自身がそれらを同じ隠語で呼んでいるから混同しやすいのです。

で、そういう自分の勘違いを、後から正当化するためなら、平気で嘘もつくというわけです。




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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部勘違い同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。