1932年6月、小津安二郎『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』

  09, 2016 10:20
  •  -
  •  -
大きくなったら、なんになる?

原作:ゼェームス槙 脚色:伏見晃 美術監督:河野鷹児? 潤色:燻屋鯨兵衛 撮影・編集:茂原英朗 タイトル:藤岡秀三郎

「けれど」シリーズ最終話。ですが、とりあえずレンタル店にあった中でいちばん古そうなところから。アールデコなクレジットのフォントは、やや読みにくいです(汗)

モノクロ無声。2003年に小津生誕100周年で出されたDVDのようです。保存は良いようで、画は驚くほどきれいです。付随音楽の収録はなく、ほんとうに無音。でも中の人たちは生命力に満ちております。にぎやかな声が聞こえてくるようです。男の子はいつも男の子。

誤解しそうなタイトルですが、いわゆる成人向けという意味ではないです。残酷ものでもないです。お話ともいえない日常風景は、微笑ましい諷刺に満ちております。

紳士たちが帽子を取って挨拶する時代。お父ちゃんが帰宅なさると腕白坊主どもも立ち上がってご挨拶する時代。叱られるときは正座が基本。弁当は頭に載せるのが基本(違) 靴下のゴムは緩かったもよう。社会の窓はきちんと締めませう。教室の扁額には「爆弾三勇士」の文字が見えます。

グリフィス『国民の創生』から17年、エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』から7年。小さな胸に生じた小さな叛乱。

歳の近い兄弟を中心に、郊外の仁義なき小学生渡世を撮り続けるんですけれども、撮影はものすごく手が込んでおり、活動屋たちの覇気が溢れております。ひとつの場面を多角的に撮った上で細かく編集してあり、たいへん贅沢な作りです。展開のテンポは早く、洋の東西を見渡しても斬新というべきだろうと思われます。

石炭流しでも博打うちでもなく、なまじ学問を積んでイギリス紳士の真似が上手にできるようになったからこその葛藤は、二葉亭『浮雲』以来変わらぬテーマかと思われますが、思えば人間社会が重層化して以来、日本でいえば古墳時代以来、抱え続けている問題なのかもしれません。

たとえば平安貴族の子と家人の子。戦国武将の子と郎党の子。タイマン張ればこっちが勝つのに、なんで向こうがえらいのか。

江田島の外人教官が「貴族の子弟だけが入学するイギリスと違って社会の全階層から生徒が集まっている」ことに感嘆した文章が残されていますが、その平等主義が我がほうの強さでもあり、同時に甘えを許さない苛烈な責任主義の源でもあったことでしょう。

子役たちは1932年の時点でリアルに10歳前後だったわけで、13年後の大東亜戦争終結の年には23歳前後。……幸多き人生だったことを祈ります。



Related Entries