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BLの重点は、女性中心主義なのです。

女性が「エロ」だけ眺めたいなら、ゲイ雑誌を買ってりゃいいのです。発行部数を伸ばすことのできたゲイ出版社が感謝してくれるでしょう。

そうじゃないなら「なぜBLなのか?」が論点になるのです。あわてて首をつっこむ前に、議題を確認しましょう。

【BL特有の要素】

物語に美男が2人登場すれば、異性志向女性の眼が2倍輝くのは当たり前です。

美男が2人そろって裸になれば、異性志向女性の眼がもっと輝くのも当たり前です。問題は、その美男の定義です。

BL作家・読者はトランスゲイだと思われることもありますが、トランス男性なら髭を生やしたがるはずなのです。筋肉をつけたいのでプロテインを飲むはずなのです。男臭くなりたいはずなのです。将来は薄毛の出腹の足クサ親父になってもいいから、男になりたいはずなのです。

そうでないなら適合手術なんて必要ありません。

早く女性の性腺を除去したい・男性ホルモン摂取を始めたいという人々にとっては、すべすべのお肌や柔らかい髪やピンクのリップや折れそうな手首がきもち悪くて仕方がないはずなのです。

まして、それを理由に肉体を搾取されるだの、開発されるだのという話は、おぞましくて読めないのです。BLはトランスゲイの自己表現ではありません。

いっぽうで、もし同性志向の男性が潤一郎など本来の耽美派に触発されて「若い男と同居する」という物語を書き、それをシス・ストレート女性が読んだとき、「自分も若い男と同居した気分を味わうことができたので楽しかった」ということは、あり得るわけです。

なにも自分自身が生まれた時からトランスゲイだったと主張しなくても、自認はまるっきり女だけれども、たんに創作物として、読んだ時だけ男性目線に感情移入できたということでいいのです。

かつて「女が男に感情移入できるわけがない。女が男心を理解できるはずがない(だから男に感情移入できるという女はトランスゲイだ)」と思われたのであれば、男女平等という憲法の基本理念に反する差別だと言ってやることができるでしょう。

けれども、同性志向男性本来の好みというのは、女性の好みと一致するとは限りません。かつて、丸山明宏やピーターや、内藤ルネが描いたイラストがゲイ文化のアイコンだと思われていた時代には、ゲイと女性の好みは完全に一致と思うことができたのです。

でも、すでにその当時からトム・オヴ・フィンランドだって存在したわけで、それを女性が知らなかっただけです。でなきゃ、知ってもガン無視したのです。

ここで「なぜゲイ漫画を読むことで終わりにするのではなく、BLなのか?」という問題を提出できるわけです。

もし、二次創作BL同人やっていた人がネタにしていたのが、髪が長くて、まつ毛が長くて、無精髭がなくて、折れそうな手首の美少年だったなら、そんな男らしさの無い男性キャラクターの何が面白いのか?

「エロが目的」と言いながら、ゲイ漫画・ゲイ雑誌は生々しくてきもち悪いわというなら、そのエロスの実質は何なのか?

女性ナルシシズムです。女らしいほうが価値が高いという女性中心主義の満足が彼女を高揚させるのです。

エロスとは「死にまで至る生の称揚」です。生きててよかった・生まれて来てよかった・これでもういつ死んでも悔いはないと思うことです。だからこそ、百夜通いして愛を求めても叶えられなかった物語の亡霊は、死んでも死にきれないということになるのです。

つまり、恋愛・性愛とは、他人を求めているようでも、根本の目的は自尊感情の満足なのです。自分には認められるだけの価値があると思うことなのです。

そう考えると、BLファンが自分の特殊性を棚に上げて、男性の同人・サブカル系アカウントへ押しかけ、「少女趣味は変」とか「巨乳趣味は変」とか言っちゃう理由も分かるのです。

男性の価値観を尊重して黙っているのではなく、自分からそれに合わせて行こうとするのでもなく、なにごとも女性の価値観優先で、言いたい放題というわけです。ここを誤解するとBLは分かりにくくなるのです。

女性が女性であることを諦めて男性化するのではなく、強固な女性自認のある人が、男を女に合わせようとするのです。男のほうを改造して、女の気に入るようにするのです。女性上位表現の一種なのです。

それが男性を「アッシー、メッシー」と呼ばわった時代に急成長したのは、たんなる偶然ではないのです。

【早くおとなになりたい】

本来、女性上位表現が許されるのは、おとなの女性です。それも富裕な有閑マダムです。富裕な有閑マダムが銀座のゲイバーへ行って、若い男たちに小遣いを与えるという現象は、すでに1950年代初頭には三島由紀夫によって言及されていたわけです。

自分自身が若い異性志向男性の気に入るように従順な女の子のふりをするのではなく、男のほうに自分の言うことを聞かせる。女みたいな男による歌唱や、女みたいな男と男らしい男の組み合わせを眺めて面白がる。これは、おとなの女性の逃避的娯楽だったのです。

1961年に50代だった森茉莉においては(実際には富裕ではなかったので)創作上で娯楽を追及したということで、話が成り立つのです。

二十四年組でさえ、美少年ものの漫画を上梓した時点で、すでに成人していたのです。しかも日本のプロ創作家として編集者との確執を経験し、原稿の締切日に追われて、机に縛りつけられている。

そういう「自立したからこそ不自由である」という、成人としての重荷を背負っていた人々による、逃避的美少年趣味であり、女性上位気分のバーチャル体験だったのです。それは一般的理解の範疇にあるのです。

もし、それに少女が憧れたなら、じつは「少女のままでいたい」のではなく、早くおとなの女性になりたいというのが本当なのです。

もう田山花袋の時代から、地方の女性が「上京して作家になりたい」なんていうことがあったわけです。男性のように、ならず者を率いて傭兵になるとか、土木工事の事業所を起こすなんてことが難しい女性にとって、文筆業で自立するというのは、古い時代からの憧れだったのです。

何十人もの組員を養わなくてもいいから、自分ひとりの食い扶持だけは自分のペンの力でかせぐということが、女学校卒業を目前にした女性にとっての目標になるということは、明治時代からあったのです。

で、そのおとなの女性であるはずの人が自分自身を美化して「女の子」と呼ばわるという、ねじれ現象のようなものが起きたのです。べつに同人だけじゃなく、1990年代以降の女性に普遍的な現象といえるでしょう。

1980年代には「独身だが未成年ではない。お酒も呑むし、男性とも自由に交際する」という女子大生などを「ギャル」といっていたはずなので、それが「女の子」に替わったのです。女性の若さにこだわっているのは、女性自身です。

【自虐を面白がったのはフェミ自身です】

「男同士をせまいところに閉じ込めておくと、いたずらを始める」という理解または先入観の上に成り立っているのがBLです。昔の男子校では本当にそういうことがあったらしいという純文学的情報に基づいて、それを漫画で描いてみたというのが、1970年代に起きたことです。

で、それを「だったら女性が『ときには娼婦のように』おつとめすることないじゃない。楽でいいわ」と面白がったのは、大学のフェミニストなわけです。

日本の大学という、じつは男尊女卑の気風が根強い社会に身を置いて、教授への昇進を頭打ちされ、学問や政治外交の理解力よりも「女らしさ」を求められることのほうが多いことに苛立ちを感じていた人々です。

創作家はもっと単純で、昔の男がこう書いたから、いまの女がこう描いて、もっと若い少女が真似をしてというふうに連鎖しているだけです。

それを見る人によって「モテない女がやることだ」と思うこともあるし、「男性中心社会へのアンチテーゼだ」と思うこともある。じつは同人の意識を代弁しているのではなく、それぞれ自分自身の立場を表明しているにすぎないのです。

じゃあ同人自身はどうかというと、じつは同人誌即売会における人気を維持しているかぎり、その業界で出世できた女性なわけです。プロ化できた人なら尚さらです。だから男性中心社会に対して、あんまり恨みはないのです。

むしろ男性には引き続き「しっかり」して頂いて、景気を回復して頂かないと困るのです。日本が空爆被害に遭わないように、お国をしっかり守って頂きたいのです。男性社会さまさまです。

アニパロ同人出身かどうかにかかわらず、女流の作品の発行を手がけた出版社が「お前が描いたものは男同士だからボツ」といったことはないわけです。だからプロがその点で自虐する必要もないのです。パロディ同人だけが自虐する必要があったのは著作権問題の回避のためです。

むしろ女性だからといって罪を逃れることができるわけではないことを自覚していたからこそ、身を隠す必要があったのです。

けれども、フェミな先生たちは、自分自身が男性中心社会への恨みを抱えていたので「プロまで自虐して、搾取的な男性社会に対して皮肉を言っている」という話に落としていくことが都合がよかったのです。

あとはまァ単純に、インターネットが普及する2000年頃まで、大学の先生でさえも著作権意識がすごくにぶかったんだろうと思います。

【女の子みたいな男を歓迎する】

「男性中心主義よりも女性中心主義」という話をしている時に「BLの目的はエロですよ!」では、お話にならないのです。

エロスが主題であることは分かっているのです。では、なぜ女性のエロスが女性キャラクターによって表現されないのか? なぜ「男同士に興味がある」のにゲイ雑誌で満足しないのか? なぜ男になりたいといいながら自分の体を鍛えないのか? 論点はそういうところなのです。

答えを言ってしまえば、BLファン自身が「女の子」であることに自信があるからですね。女の子らしい自分が好きすぎて、男も女の子みたいのが好きだからですね。

だから、自分が角刈りにするのではなく、スポーツマンや格闘家や超能力戦士の髪を長く描くのです。

この「女の子みたいな男を歓迎する」という嗜好がないことには成り立たないのがBLです。最近の少女漫画が面白くないからといって、BLを「少女漫画の代用品」として渡されても、女みたいな男なんてきもち悪いわ・私にとって尚さら意味ないわと思えば読まないのです。

「女性キャラクターに感情移入できないから、男性キャラクターに感情移入できる」と考えちゃう人は、頭がシンプルすぎるのです。

女性中心主義によって料理されたストレート男性同士。この超ニッチな表現が「BL」です。

ゲイなら坊主頭同士や角刈り兄貴同士をそのまま描くに決まってるのです。とめてくれるなおっかさん。



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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。