男性の女性化という表現のグラデーション。

  17, 2016 10:22
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まず、1980年代に「同人やっていた」18歳未満の少女というのは、1963年生まれで1980年に満17歳だった人から、1977年の早生まれで1989年に満12歳だった人です。

この間には第二次ベビーブーマーが含まれています。「ひのえうま」明けの1967年~1970年も出生数が多かったので、全体として非常に人数の多かった世代です。

もちろん同人誌即売会へ行った人は世代全体から見れば少数派ですが、迎える即売会の会場にとっては予想外。キャパ不足で行列を生じるほどだったわけです。

コミケは本来、非公開・招待制の業界内イベントの一種で、参加資格は漫画同人会を結成し、出品物を仕上げることです。「お客さんはいません」なのです。だから少女が我も我もとサークルを結成した(少なくとも名乗った)うえで、下手でもなんでも原稿を書き、「同人誌」を発行したんですが……

11歳以下の小学生が親に内緒で印刷所に数万円も納めて自費出版し、自分で担いで電車に乗って、東京のイベントに出品するというのは考えにくいので、コミケ少女=中高生と思えばいいでしょう。(※「私はやってました!」とか言わなくていいです。)

このうち、1974年までに生まれた人々は、1994年までには全員が20歳以上の成人になります。お酒を飲めるようになります。

すると、その年以降、ゲイコミュニティから「若い女性が新宿二丁目のゲイバーへ押しかけてきて、ぼくらに下品な質問をして、自分たちだけ面白がっているので、ひじょうに困る」旨を訴えたクレーム文書が続けざまに発表されました。なにが起きたのか?

1980年代に同人やっていたか、市販のBL系統の作品を読んだ少女が成人したので、ゲイバーへお酒を飲みに行ったのです。で、おのぼりさんらしいことをやっちまったわけです。

「ちょっとききたいんですけど~~、漫画みたいなことって本当にあるんですか~~!? なんちゃってーー!」と騒いだのです。

ゲイ側が提案した対応策は「創作と現実の区別がつかない若いうちから読ませるな」でした。

端的には、これによって1995年頃から市販の少女向け雑誌にBL系統の作品が載らなくなり、事実上の成人向けに過激化した作品だけが読みきり文庫・専門雑誌の形で提供されるようになったので、「BL=エロ、ポルノ」という認識が成立し、「帯がひどい」と揶揄される事態に至ったのでした。

で、そこへ同人出身者が取り込まれていったので、いよいよ「同人で『エロ』の描き方・書き方を覚えれば、プロになれる」という先入観が発生・助長されたわけで、あとは鶏と卵の関係で、ぐるぐるループしながらエスカレートする一方なわけです。

要するに、ごく簡単にいうと、新宿二丁目で無駄に騒いだ人々がいたので、プラトニック型の美少年ものを少女向け市販雑誌で読むことができれば充分だと思っていた人々が読めるものをなくしたのです。

つまり、新宿二丁目で騒ぎながら「BLはエロに決まってるじゃん」という中年女性は、自分でそういう事態・時代を招いてしまっただけです。そうです。犯人は、あなたです。

だからこそ、現代の若い人の間からは「1980年代ふうの過激BLにはついて行けない・BLにエロは必要ない」という声が挙がっています。

一般論としても、最新流行と思われていたものが流行しすぎて珍しくなくなると、急に陳腐な時代遅れのものに感じられるようになることは、よくあるものです。また「すぐ上の世代への反感」というのも普遍的な現象です。

ですから、30代以下のBL読者の間には、40代が打ち立てた「同人誌=アニパロ=BL=エロ」という短絡的な価値観に違和感を持つ人が増えているということを、40代のほうで覚悟しておくといいです。

【男性の女性化のグラデーション】

「エロは要らない」という声に応えるかのように登場したのが、よしながふみ『きのう何食べた?』で、人気ぶりは御存知の通りです。

これはゲイ同士という設定ですが、性的描写を含まないので、実質は「男同士が自分で家事を担当しながら同居している日常生活を描いた」というだけのことです。

ということは、キャラクターがゲイ設定ではない中村光『聖☆おにいさん』も、同種の作品です。

これは「おにいさんはBLだ」という話ではありません。構成要素の一部が共通しているというだけの指摘です。あえて例えると、日本と中国は稲作文化圏という共通項があるというのとおなじです。

「日本と中国はおなじ国じゃない! キーーッ!」と怒ってしまう人がいたら「ちゃんと聞いていましたか?」というだけなのです。よござんすね? 話を戻しましょう。

女性にとって、男性が「同居パートナーが趣味的なものに家計を浪費してしまうことに悩みながら、炊事や収納術に全力で取り組み、炊飯器を少しでも安く買うために街を歩きまわる」という話そのものが面白いわけです。

つまり、魅力的な(やせ形の)男性の物語でありながら、女性には理解しにくい自動車の改造の話や、戦争の作戦の話ばかりしているというのではなく、女性にも理解しやすい話をしている。異性でありながら、女性が共感しやすい。これがポイントなのです。

従来、この点が誤解されていたから、BL論というのは現実にそぐわなかったのです。

誤解が前提にあるから、わざわざ「スイーツ(笑)に似ている」なんて観察結果が述べられるわけです。発言者自身の中に「BLファンというのは男になりたい女のはずなのに、スイーツ(笑)に似ているのは不思議だ」という気持ちがあるからですね。でも、話が逆なのです。

女性が男性になりたいのではなく、女性みたいな男性を女性が歓迎するという女性中心主義が重要なのです。

立派な男性の弁護士が主婦のように家計を節約して料理するのが面白いわけです。男性属性の薬師如来の手が女性のように美しく、その秘訣はご本人が「家事をしないことですね」なんて言うのが面白いわけです。

本来、誰も薬師さまに家事を期待していない。でも「男性が家事を担当する前提で話をする」ということが面白いわけです。

これに気づいてしまえば、BLにおいて男性の肉体がどんどん女性化したり、妊娠や育児まで担当するという現象の理解も簡単になります。

なにも、女性読者がわざわざ「性転換」した上で、やっぱり妊娠してみたいとか、そんなややこしいことを考えているわけではないのです。

「男性の女性化」という表現分野の最も入り口のところに「たんなるイケメン」というキャラクターがおり、一歩奥に「たんなる同居」という物語があり、もう一歩奥に「ゲイ同士」という特殊設定を持つ作品があり、さらに奥へ行くに従って「過激」の度合いを深め、最奥に女体化や妊娠という現象にまで踏み込んだ、ひじょうにニッチな、ブラックジョーク的な領域があるというふうに図式化すると分かりやすいかもしれません。

いずれにせよ、読者女性自身は強固な女性自認を有し、女性らしいオシャレやスイーツを楽しみながら、女みたいに家事をする男を「心の友」のように感じるのです。

男性にとっても、戦争の話が分かるやつが一番えらいという価値観が薄れましたし、一人暮らしで家事をする人も増えましたから、上記の図式の途中までは付き合えるわけです。べつにBLとも思わずに、炊事の話や不動産物件選びの話を楽しく読めるわけです。

また日本には女形出身の剣戟俳優の例があるように、男性自身が「女性的な男性をヒーローと考える」という伝統があって、イケメンという表現・存在そのものは(あまり)忌避されないのです。今なおGACKTみたいのは男性からも「カッコいい」と言われるのです。

これは、遥かに源流を辿ると、古代の女性崇拝が平安時代まで残っていた名残で、貴族社会では女性が家長だったので、男のほうが女性の真似をしたのです。その後、人口増加にともなって縄張り争いが激化すると「武士の世」が来るんですが、日本は20世紀の戦争に負けちゃったので、男性中心主義が信用されなくなって、結果的に戦後社会は男らしい男の価値と、女らしい男の価値が五分五分なのです。

ここまで見切ってしまうと、女性にとって、たんに女の仕事をする男の話・女の子のように男性に一途な恋をした男の人の話が読めればいいのであって、必ずしも「性」が描かれていなくてもよいという声が挙がってくるのも、むしろ当然なのです。

それはプリンセス物語などにおいて、最終的には結婚(=同衾)なわけですが、その場面は描かない約束になっていることと同じです。BLという表現分野がある程度市民権を得た、さらにはゲイカップルという存在が現実的なものとして認識されたからこそ、性的・直接的な表現を苦手とする人にも楽しめる作品の一種として、ハッピーエンドの情緒だけ鑑賞できればいいものとして、あらためて希求されるようになったのです。

ついて来れない人は、歳を取ってしまったということですが、だからといってゲイに同情してもらうことはできません。

何度も申します通り、もともと「水商売」というのは現実に不満がある人が慰めを求めて行くところですから、「女性もどうぞ・ノンケさんもどうぞ」と言ってくださるお店があるかぎり、新宿二丁目へ行きたきゃ行ったって構いません。けれどもマナーは守りましょう。自分が遊んでいる様子をSNSで実況中継する必要もありません。

大騒ぎするのは都会人ではありません。男になりたいなら、夜遊びのマナーをわきまえた、ダンディな男になりましょう。きみの瞳に乾杯とか言っちゃいけませんよ。


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