自称「性的マイノリティ」が、「ツイッター廃人」と呼ばれるわけ。

  17, 2016 10:24
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他人が立ち上げた同人誌即売イベントに後から便乗して「カネもうけ」させてもらおうと思っちゃう心は、フェミニストの言い草を真に受けて「お母さんのせいにすればいいや」と思ってしまい、他人が進めている人権運動に便乗させてもらって「弱者同士の連帯させてもらえばいいや」と思っちゃうのです。

本物の性的マイノリティの発想は「ぼくは異性と結婚できない」ではなく、「ぼくは同性パートナーと幸せな家庭を築くことができます」です。だからほっといてください、です。

「同性婚を法的に保障してもらうために、ぼくらが声明を出したり、署名運動を始めた時には注目してほしいけれども、そのほかのプライベートな場面でからかったり、いやらしい質問をしたりしないでください」です。

「ぼくらのほうからストレートの皆さんに対して失礼なことは申しませんから、ぼくらの幸せも(基本的には)ほっといてください。自治権を侵害しないでください」です。

同様に、パロディ同人の発想は「私たちのほうから他のクラスタの皆さんに失礼なことは申しませんから、私たちのこともほっといてください」です。

どこのマイノリティも、自治権を認められ、自分たちなりの神を祀って、先祖伝来の土地を認められればいいのであって、自分たちのほうから爆弾を仕掛けに行くというのは戦法が違うのです。

けれども、劣等コンプレックスをかかえたマジョリティの発想は「母親がトラウマになってるせいで異性と結婚できないの。BLしか読めないの。自慰できないの。でも負け犬よりマシよ。ロリコンよりマシよ。田舎者よりマシよ。同人誌が売れなくなったのはM事件のせいよ。私が努力しなかったからじゃないのよ。PTAが悪いのよ。男性中心社会が悪いのよ」なのです。

他人を傷つけることで優越感を取り戻そうとするのです。あれができない・これができないと並べ立て、さかしらに不幸を見せびらかし、私って可哀想でしょという顔をすれば、特別クーポンを手に入れることができるという発想なのです。しかも責任転嫁するのです。「引き受ける」ということができないのです。

「本当の仲間のために、自分にもできることは何だろうか?」とは考えないのです。どうせ何もできないから、すでに成功している人々に甘えさせてもらおうと思っちゃうのです。だって女の子だもんと思っちゃうのです。

ストレート男性中心社会の価値観を受け入れている、ストレート女性の処世術でしかありません。泣き真似すれば許してもらえると思っている自称「女の子」でしかありません。

学問に挫折した学生くずれによる無差別テロ活動でしかなかった新左翼運動の責任転嫁体質は、フェミニストの一部に受け継がれ、そこからさらに一部のパロディ同人に受け継がれたのです。

とくに、二次創作BL同人は「権利に厳しい女流漫画家とよく話し合う」ということをせずに「男の漫画家なら大目に見てくれる」という意識に寄りかかっているかぎり、男性中心社会への皮肉どころか、もっと単純に父権に依存しているのです。

ゲイはお見通しです。母親トラウマ原因論を持ち出した時点で、彼らの敵です。少なくとも共闘はできません。

なぜなら、彼らは家族の誰のせいでもないことで、家族ぐるみで差別を受け、家族ぐるみで悩み苦しみ、家族ぐるみで人権団体を立ち上げ、世間の「親の育て方が悪かったせいだ」という偏見と闘っているからです。本物は、親のせいにはしないのです。

【ノンセクとレズビアンは別です】

レズビアンがゲイと同席できるのは「同性婚したい」の一点で共闘できるからです。「でも私は誰とも結婚したくないし~~」という人は、お門違いです。

彼らが「恋人できた・別れた」と笑ったり泣いたりしている横で、いちいち「いいなァ」とうらやましがっても、彼(女)らも困るだけです。

まして「私には相手がいないんだから配慮してよ!」というなら、彼(女)らとしては「来なきゃいいでしょ」と言いたいだけです。

「私にはゲイのお友達がいるから、特別に男性専科の店にいさせてもらえるのよ。皆さん私がうらやましいですか!?」

これは他の「ノンセク」女性に配慮しているのではありません。他の「ノンセク」女性が東京へ行くおカネもなくて、または東京に住んでいるけど繁華街へ行くおカネもなくて、さびしい思いをしていることに配慮しているのではありません。

そもそも他の「ノンセク」女性はゲイバーへ行ってみたいと思っていないので、うらやましくもありません。本人だけが「うらやましがってもらいたい」と思っているだけです。

じつは、ゲイ男性・レズビアン女性との間に良好な対人関係を築こうとしているのではなく、本気で自分より若い非婚女性のために働こうとしているのでもなく、自分とおなじ(ゲイバーへ行ってみたい趣味の)ストレート女性に対して、自分のほうが優越感を感じることができるような、競争的対人関係を築こうとしているのです。

つまり、もともと劣等感のある人が、「安直な優越性の追及」をするために、ゲイを利用しているのです。

【マジョリティ意識を新宿二丁目へ持ちこむ】

「男性客はレズビアンの間に割り込んで『両手に花』という気分を味わいたがるが、女性客は『ゲイカップルを見てるだけでいい』という」

これは、いわゆる当事者による観察報告ですが、残念ながら、LGBT当事者のほうで古典的なBL論を引きずってしまっているだけです。実際には女性客も「その場で見る」という行為によってゲイカップルの間に割り込んでいるはずです。

なぜなら、ゲイ同士の会話が女性にとって都合のいい「ちょっとエッチでロマンチックな恋の囁き」なんてものばかりとは限らないからです。

「見ろよ、あの女、すげーブス」とか「最近ああいうキモい女が増えたから困るよ」とか「ああいうの逮捕してほしい」とか、ものすごい罵詈雑言を言っている可能性だって、なきにしもあらずなはずです。

けれども、ゲイ達だって、女性に聞こえるところでは言わないでしょう。ということは、女性客のほうで「私がここにいる以上、気を使って頂戴よ。私にとって都合のいい、ちょっとエッチでロマンチックな話だけ聞かせて頂戴よ」という無言の圧力を掛けているのです。

ストレート女性がゲイバーへ自分の体を持っていくということは、そういうことです。

これは、ストレート男性に対して「プレゼントは3倍返しでお願いしたい気持ちを察してほしい。女の口から言わせないでほしい」というのと同じ戦法です。つまり、マジョリティ世界のお約束を、マイノリティの世界へ持ち込んでいるのです。

また「無言の圧力」というのは、じつは女性に限った話ではなく、サイレント・マジョリティの戦法です。また「サービスを強要する」ということを、搾取といいます。

これらを総称して「マジョリティの横暴」と言わずに、なんと呼ぶのか。

本人が実際にマジョリティ自認であって、「だって女の子だもん」と思うことに自己満足しているのであれば、厄介ではありますが、それなりに理屈は通っています。これに対しては「ここはマジョリティが自己満足するためのお店ではありませんから、ご遠慮ください」と(言いにくいけれども)言っていくということになるでしょう。

まさにその「当事者の口からは言いにくい」という点につけ込んで、搾取しているのですね。

いっぽうで、もし本人が「性的マイノリティ」を自称していたら? 「私の場合、ノンセクってゆぅタイプの性的マイノリティだから、ゲイの切ない気持ちもよく分かるの」とか言っていたら?

そうです。嘘をついているだけですね。なによりも、彼らの「見物されたくない」という切実な気持ちを分かっていない女が、嘘をついて、自分自身の興味関心を最優先させているだけです。

【不惑の年の惑乱】

女性は40歳くらいになると、急にあせってしまうことがあります。「まだ何もしていない」とか「もうひと花咲かせたい」とか。

映画なら「昔の恋人に会いに行く」となります。テレビドラマのファンが突然「わたし女優になる!」なんて言い出すこともあります。

1980年代に同人やっていた人の場合は、今ごろ新宿二丁目に押しかけて、ゲイに面と向かって「どおしてホモってゆっちゃいけないんですか~~!?」とか「吊橋理論でホモになるってほんとですか~~!?」などといって、中学2年生ごっこしたがることがあります。

それによって「私って~~、頭が悪くて世間知らずで可愛い女の子だから、大目に見てくれるでしょ!?」と言いたいわけです。つまり「私まだ若いのよ」と言いたいのです。実際には自分でも、もう若いとは思えなくなってしまったからこそ、不正な手段に頼るのです。

1980年代に「アニパロ」と呼ばれる種類の創作同人活動が急成長したのをリアルタイムで経験した世代は、いま40代です。同世代の同性志向男性は、当時から新宿二丁目に通ったり、店員として働き始め、同人系の女性から下品な質問を受けるという被害に遭って来ました。

いまではお店の経営者・人権パレードの責任者などになっていることでしょう。彼らがいまさら同世代の女性から無礼な質問を受ければ「いまさら!?」と驚くでしょうし、中高生時代に同級生の女子からイジメられたことも思い出すでしょう。

自分自身が「母親のトラウマのせいで結婚できなかっただけなのに、世間から干渉されるのは我慢ならないわ!」という女性のやることではありません。

【自慢するのは田舎の子です】

どこの繁華街も、少子高齢化で客足が減っています。オリンピックに向けて、土地代の高騰もさらに進むかもしれません。

男性中心社会にとって「女性パワー」は不況対策の切り札という要素があって、1980年代の出版社が女性の少年漫画読者を歓迎したのも、1975年以来、少子化によって男児の数が減っていたからです。

新宿二丁目さえも例外ではなく、確かに「女性もどうぞ・ノンケさんもどうぞ」と言ってくださるお店もあります。けれども、マナーを守ることは絶対に必要です。

そこはもともとストレート中心社会によって差別されている人々の避難所だからです。彼らが憲法上・民法上で同性婚の権利を確立しない限り、「女もゲイも平等に遊べる」などと、ストレート女性の口から言える筋合いではありません。

ですから、女性が新宿二丁目へ行ってみたければ、黙って行って、「はとバス」のお客さんが案内されていたような、もともと観光客向けに設定された女装コメディなどを拝見させて頂けばいいだけのことです。

が、特別あつかいを自慢したがる人は、自分の言動も、店の様子も、すべてSNSに流すのです。

「私はセクマイ代表として声を挙げていただけなのに、なぜツイッター廃人と呼ばれるのか分からないわ」と思っていますか?

仲間のお店を宣伝してやるつもりで余計な暴露話をしたり、ストレート男性アカウントに喧嘩を売ったりするので、危なくて困るから、いいかげんに黙ってくれと言われたのです。「空気読め」と言われたのです。

どこの飲食業界も、常連限定の裏メニューといったものを一般社会に向かって宣伝されると困るわけです。同様に芸能人なども「特別にサインしてもらった」みたいな話を宣伝されちゃうと、自分自身が「えこひいき」とか言われちゃうから困るわけです。

それが続けば、最終的には閉店・廃業です。お互いを守るための「仁義」を通すことができないお客さんは、粋な遊び方を知っている都会人ではありません。おのぼりさんがヒャッハーしてしまっただけです。

要するに本当の「性的マイノリティ」の仲間として、自分の責任で彼らを守ろうとしているのではなく、お客さん気分なだけです。無責任気分を楽しんでいるだけです。

というと、中高年者は「いまの若い人はなんでもインターネットに流すことが当たり前だから、そんなことを言っても通用しないよ」と仰るでしょう。だからこそ、実際に中高年である者が若い人の真似をして、マナー違反を自慢するのは困るのです。

そんな方法で若さをアピールしなくていいのです。中学2年生ごっこは本当の若さではありません。心が若いということは、先入観にとらわれず、レッテルで他人を判断せず、自分を悪いほうの型にはめようとせず、自分自身と闘い、まっとうに生きていこうとすることです。

それが本当の心の若さです。

「アダルトチルドレンだから仕方がないの」と言う人は、ただのアダルトです。自分を変えることができないと決めている時点で、頭が固いからです。

じつは「いま、ここ」で他人と調和して生きていくつもりがないから、子どもごっこして、平気で失礼なことを言ったりやったりするのです。「実家へ帰ればいいや」と思っているのです。実際の実家がなくなっていれば「帰りたい」という願望を表しています。

それが「母親のトラウマ」を言い訳にするなら、自分の代わりにママから世間様へ向かって謝っといてもらいたいというだけです。ようするに実家のママに甘えたいのです。

「夢をもって都会へ出た」という人ほど陥りやすい心の罠ですから、気をつけましょう。

くれぐれも「私はアブナイ女よ!」と喜んでしまってはいけません。1980年代後半に流行した刑事ドラマみたいでカッコいいと思ってしまってはいけません。本気で「連帯ごっこは迷惑だ」と言われているのです。



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