1968年4月、加藤泰『みな殺しの霊歌』松竹

  24, 2016 11:02
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なんでもねェよ。

製作:沢村国男 構成:山田洋次・加藤泰 脚本:三村晴彦 撮影:丸山恵司 美術:森田郷平 照明:津吹正 音楽:鏑木創 監督助手:白木慶二

日本映画界の良心 加藤泰監督が 不毛の現代に叩きつける 衝撃の問題作(予告篇より)

加藤泰ここにあり。日本のフィルム・ノワールはハイレベル。篠田正浩も熊井啓も岡本喜八もおもしろかったけど、この人は桁違いでした。フィルムもだいぶいじってますが、その前に構図そのものが異常なのです。

坪井誠と違って、あんまり動かないカメラで、画面を「絵」として捉えるタイプなのだろうと思います。確かに「これは床を掘ったよな」と言いたくなるような構図もあります。近いのは熊井啓なんだけれども、それ以上に何かのメーターの針が吹っ切れてる感。

時代劇・仁侠映画では「流した」みたいに感じられる部分もありましたが、これは撮影時にも編集時にも全篇に斬新なアイディアを盛り込み、緻密に仕上げております。1916年生まれの活動屋、ときに52歳。

女声のスキャットも流行りましたね。どーーしても大野雄二の『ルパン三世』楽曲を思い出しちゃうのは、こちらが1970年代に軸足を置いているからです。

個人的には佐藤允(1934年生まれ、公開年に34歳)つながりで、わざわざ東宝から抜擢されてきただけあってというべきか、ハードボイルド系悪役づらなんだけど、根はいい人という佐藤らしさが存分に活かされております。

あらすじを言っちゃうと、しょーもない話で、予告篇もヒッチコックふうに煽っておりますが、じつは1960年代らしい社会派文芸路線。ピンク映画ではないです。なにしろ映像美学を見る映画。また「何があったのか」を少しずつ明かしていくサスペンスで、その語り口のうまさを見る映画。

描写の半分は黒澤『野良犬』『天国と地獄』・吐夢『飢餓海峡』を連想させる捜査陣リアリズムに費やされており、刑事役たちの名演技を見る映画でもありますが、その見せ方も異常です。なお念のため、この「異常」という言葉は、すごくほめてます。

篠田『処刑の島』などと違って、事件の原因を戦前に求めず、戦後社会の暗部をえぐることに徹したので、とっちらかった感がなく、言い訳がましくなく、収斂度が高く、これが大正デモクラシーボーイ流ダンディズム、と。

グループサウンズとゴーゴーダンスが流行っていたもようで、50年前の若者たちも逸脱的に元気でした。新宿・鎌倉・横浜などの駅周辺が今どきとはだいぶ違う様子も見られます。

なお、女性たちはスナックなどを経営している人もあり、自営業の手伝いをしている人もあり、講演だか取材だかで遠出する人もあり、有閑マダムっていうほど有閑マダムではないのです。それなりに一生懸命に生きている中流婦人だったのです。それと出稼ぎな男たちのお話。

中卒で集団就職するような、中卒の息子を集団就職に出してやるような、地方在住な人々から見て、鎌倉や横浜に住んでいるというだけで「お金持ち」って感じられる時代だったのかもしれません。たしか黒澤『天国と地獄』も横浜でしたね。

若き倍賞千恵子(1941年生まれ、公開年に27歳)が女性側の良心代表として、安食堂の女店員役。彼女を中心に昼の書き入れどきの騒がしさを画面いっぱいに表現した場面は、雑音を雑音と捉えずに表現に取り込む日本映画らしさが炸裂した、ひとつの白眉だと思われます。

この、若い頃から「待つ女」属性がついてる千恵子がいないと、観客心理がクィア・リーディングまっしぐらに向かっちゃいそうなお話ですので、いなくてもいいようでも重要なのです。

似たような魂が惹かれあったというお話でもあって、若い女性を賛美しているようでありながらも、結局脇役なのねと言ってやることもできるし、女性パワーの伸張に対する男性ナルシシズムのカウンターと言いつつも自嘲ジョークと見ることもできますし、地方と中央、労働者と搾取階級といった分け方もできるでしょう。

「女はいつも求めてる」という歌謡曲の歌詞がありましたが、逆に女のほうは「男はいつでも楽しんでる」と思い込んでいるものですね。お互いさまで誤解しており、お互いさまで責任転嫁しており、お互いさまで「自分は相手に喜びを与えることができた」という自尊感情の満足を優先させているのです。

もとよりカメラというのは不思議なもので、何を撮っても冷たい批判と諧謔の色合いを帯びるものではあるのでした。

さんざん男のダンディズムとナルシシズムで暴れた後の始末は若い女性に頼むというのは、この頃の映画監督たちの常套手段ではありましたね。




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