私は頭がおかしいといいながらクレームして来る同人には困る。

  01, 2016 10:20
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「私は母親がトラウマになっているから頭がおかしいの。まだ口唇愛期だから他人に噛みつくことが愛情表現なの。だから異性に怪我をさせても大目に見てね♪」

と、正常な判断能力を失っていることを自己アピールポイントにしている人が、同人・BLの話題だけは「私のほうが物知りよ!」と正常さをアピールしながらクレームして来るのは困るのです。

クレームの内容が、昔の仲間が(自分よりも)悪いことをしていたという告げ口と、自分の同人誌が(昔の仲間のせいで)売れなくなったという責任転嫁でしかないのです。しかも発言が相互に矛盾している。事実と合致していない。社会状況を把握できていない。

「栗本薫よりも売れていた」ことが自慢だという小説同人が、漫画家としてプロデビューした漫画同人を恨んでいるのです。市販漫画作品の有害図書指定運動を恨んでいるのです。本人の被害妄想でしかないのです。

2010年代現在において、TPPに関連して「原作者の著作者人格権」を非親告罪として保護するかどうかという話をしている時に「自分は1990年代の編集者に人脈があった」という自慢話をするのです。

被害妄想を持っている人が、自分一人を正当化したいだけなのです。法律の話も、政治の話も理解できないのです。

同人の世界にかぎらず、どこの業界にも「それを言われちゃ外部の人が迷惑するから、そのつもりではなかった関係者が困る」という事情・約束事があるもんですが、それも理解できないのです。

挙句に「もっと同人についてよく調べてから書いてほしい」と言うのです。

調べるも何も、本人の認識が歪んでいるだけなのです。本人が個人的な自慢(および売れなくなったという不幸自慢)をしたいだけなのです。つまり他人を困らせておいて、自分の勘違いを認めず、被害者に責任転嫁しているのです。

たとえていうと、イジメ加害者が「被害者が生意気なことを言ったのが悪い」というのと同じです。性的暴力の加害者が「女がミニスカートをはいていたのが悪い」といったのと同じです。

これを自己正当化しようとする人は「自分はもともと頭がおかしい」というのです。「社会が悪い」というのです。家庭における社会の代理人である母親の育て方が悪かったというのです。

まことに残念ながら、二次創作BLと呼ばれるようになった種類の創作同人活動については、1990年代に、フェミニストの一部が「母親による抑圧の被害者である少女による社会改革運動だ」という弁護を張ったことがあるので、いまだにそれを真に受けている。または意図的に利用している。

意図的に利用しておいて、矛盾点を指摘されると、他人のせいにする。もともと自分は頭がおかしいといって逃げる。

そういう中年婦人が時々実在するのです。あながち一人でもないから困るんですが、このタイプは「社会の被害者である少女」が自己弁護の立脚点なので、母親のトラウマによる人格障碍(アダルトチルドレン)を強硬に主張し、女の子とか、ガールという自称にこだわるのです。実年齢は、1980年代・90年代の同人活動自慢ができる人ですから、それ相応です。

それが他の人から「ツイッター廃人と呼ばれた」と言っているようなら、他の人に対しても勘違いクレーム攻撃や、自分の都合優先の不幸自慢・責任転嫁をしていたので「いいかげんにしろ」と言われたということです。

それが「でも私はツイッターが好きだから」と開き直っているなら、ぜんぜん反省していないってことです。自分に問題があることを自覚できていないから(または自覚できないふりをしているから)おなじ失敗を繰り返しているのです。

おそらく、わざと繰り返すことによって「自分は頭がおかしいから」と言い訳する。そのことを面白がって、日常的なストレス解消にしているというふうに、ループしているのです。

でも、頭がおかしい自覚があるなら精神科を受診するのが先ですね。処方された通りに薬剤を摂取し、自分で自分を興奮させないようにSNSなどにはアクセスしないのがいいです。お医者様もそのようにおすすめになるでしょう。

精神疾患を自覚しているのに、治療しようとせず、言い訳として利用する人は、母親のトラウマも言い訳として利用するわけです。けれども、トラウマというものは「あれがトラウマになっている」と自覚できた時点で終わるのです。

それによって強迫神経症の原因を特定できたら、次は「トラウマにこだわらない新しい生活」という課題へ向けて、勇気を出す段階に入るのです。フロイトとアドラーは、そういうふうにつながっているのです。

逆にいえば、フロイトでさえ「トラウマだから仕方がない」という言い方を歓迎しません。トラウマ理論は加害者の口実ではありません。

でも、なんでも自分の都合のよいように解釈してしまう。そのせいで同人活動にも失敗したのに、いまだに他人のせいにしている。他人のせいであることをアピールしたい(誰にも責められていない内から自分を正当化したい)ばかりに、無関係な他人の話に首をつっこむ。

もともと他人(生母を含む自分以外の個人)を恨む根拠にとぼしいので、誇張した自慢・不幸自慢話をするから、矛盾を露呈してしまう。語るに落ちる。つまり、自分の発言が社会に出たとき、どのような意味を持つか、どのように受けとめられるか、予測できないのです。

それが他人に対して「自分を遠くから見つめ直してみましょう」と教える資格を持っていると言われても、さらに困るのですorz が、考察する参考にはなります。

指導者養成テキストを丸暗記して鸚鵡のように繰り返すだけで、自分自身の身に引き比べて矛盾がないかどうか考えてみる習慣がないということです。

「医者の不養生、紺屋の白袴」という言葉がありますが、それでいい・そうすべきだと言っているわけではありません。そういうのは笑いものにされるということです。

そういう昔の人の知恵を、言葉だけは知っているかもしれませんが、実行できていないのです。ということは「人のふり見てわがふり直せ」という言葉も実行できていないわけです。

とすると、創作物を読んだときも、登場人物の言動をわが身に引き比べて考えてみたり、深く共感したりしないという姿勢が浮かんできます。表面的に読んで、表面的に模倣して「自分もいっぱしの同人になった」と勘違いしてしまいやすいということです。

つまり、深く理解しないけれども、表面的には真に受けやすいわけです。他人と自分では立場がちがうということを考えずに、他人の言葉だけを文字通りに信じてしまうのです。他人が「高河ゆんのせいだ」とか「M事件のせいだ」とか言って怒ってると、自分も「そうだ、そうだ」といって怒っちゃうのです。

だとすると、すでに二次創作BLとして書かれたものを読んだ場合に、男性キャラクターに全く感情移入しない。だから女性の性的被害の話には血相変えて怒る人が(それ自体は女性として当然ですけれども)、男性キャラクターについてはいくらでも陵辱的・暴力的なことを空想したり書いたりできてしまう。したがって「創作物には創作者の人生が反映されている」という批評文を読んでいることができない。「精神分析とか関係ない! 誰もキャラなんか好きじゃない!」と叫んでしまう。

まさにそのことによって、創作物の読み方が浅いという自分自身を証言してしまうわけです。脊髄反射的に「怒りの感情を捏造」してしまいやすい傾向もね。当然ながら「好きな人もいるかもしれない」という判断の留保をすることができない。同人活動にもいろいろあるという多様性を想定することができない。

そして、そのような自分優先の創作物を買いに来る人が大勢いたと自慢するなら、これも責任転嫁です。

もし、この精神を新宿二丁目へ持ち込めば、自分も性的マイノリティだと言いながら、ゲイの心理に全く共感せずに、表面的な理解(すなわち先入観)に基づく好奇心を優先して、彼らに失礼な質問ばかりしているということになるわけです。

はァ(溜息)

なお、本論の目的は、不適切な個人の特定と糾弾ではありません。より広く、若い人がおなじ錯誤の道を歩んでしまわないこと・本人の立ち直りを祈念しております。 (※だから自分のアカウントから「これ絶対わたしのことでしょ!?」とか言わなくていいです。)

念のため申し添えますが、パロディ同人活動というものは、今なお「テレビで宣伝していたから応募してみた」というものではありません。今なおアンダーグラウンドであり、「くちこみ」で、他人から誘われたので行ってみた・自分も出展するようになったというものです。だから、トラブル・挫折を経験した後で「もともとやりたくなかった」などと責任転嫁し、他人・社会を恨むようになってしまう可能性は高いのです。愚痴や厭味ばかり言うようになって、自分で自分をつまらなくしてしまうのです。

そういう危険性を、先に知っておいてください。



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