Misha's Casket

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1952年10月、黒澤明『生きる』東宝

これは、この物語の主人公の胃袋である。

製作:本木荘二郎 脚本:黒澤明・橋本忍・小国英雄 撮影:中井朝一 美術:松山崇 録音:矢野口文雄 照明:森茂 音楽:早坂文雄 監督助手:丸林久信

東宝創立20周年記念映画。昭和27年度芸術祭参加作品。いのち短し、恋せよ乙女。明日の命は、ないものを。

人の話は途中でさえぎらずに聞きましょう。一命を賭して、芸者遊びに余念のない上役をお諌め申し上げるときは、まばたきをしない覚悟をしましょう。

トーキー映画が日本に入ってきたのは昭和6年(1931年)だったそうで、新しい技術を得た映画監督たちはたいへん楽しかったことだろうと思います。本当はミュージカル映画を撮りたい、または当時の映画論の常識としてミュージカル的に作るものだと思っていたという節のあった黒澤さんですが、朗々と歌い上げる式だと、この作品終盤の印象的な場面は撮れないわけです。

マーロン・ブランドがそれまでの演技の常識を破ったのは、この作品をさかのぼること、そんなに遠いことではなかったはずで、海外の変化をいち早く取り入れた。のみならず、それに先んじて自分なりの試行錯誤を済ませ、変化に即応できる実力を貯えていた。あたかも黒船が来航したとき、すでに国内市場が整備されていたので、近代化(産業革命)が容易だった幕末の日本のように。

そのようにも思われます。

めずらしくナレーションから入ることによって、寓話・教訓話の意味合いを持っていることを暗示しておりますが、個人的に『武士道残酷物語』と前後して拝見したので、おなじテーマをあつかいながら、残酷・耽美を強調する東映路線と、人情喜劇を基盤にしている東宝路線の違いが確認できたようで、一段と興味深くもありました。

元来、志村喬は目も口も大きな人で、『わが青春に悔いなし』では悪役やってた通り、気のいいお父さんというだけの役では勿体ない人ですが、今回はその個性の強い顔を活かしきったと言えるでしょう。

『酔いどれ天使』の続篇ともいえる要素があって、あちらは外向きにパワフルだったわけですが、こちらは体重を減らして撮影に臨んだと思われ、傾注された気力体力を思うと、むしろこちらのほうがパワフルと言えるようでもあり、演技の幅の広さに慄然とすることです。

演るほうもすごいが撮るほうもすごいわけで、どの役者の表情の変化をも余さず捉えきったカメラはもちろん複数台配置されていたにちがいなく、一見すると地味ですが、20周年記念だけに、すごく贅沢に作られているようです。

開始10分くらいで話は見えてしまうわけで、あと1時間どうするんだろうと変な心配をするわけですが、3人の精霊に連れられて過去・現在・未来を見て歩くということのようで、はた迷惑な男心の自己憐憫を受けとめるのは男の役目。忌憚のない観察眼で啓示を与えるのは女の役目。

黒いトンビを着た伊藤メフィスト雄之助がなかなかに風采が上がるのでした。たぶん耽美派などと称しながら露悪的な小説を書いているのでしょう。女子職員は本当に元気がよくて可愛くて、よく見つけてきたと思います。

後半には謎解きの要素があるわけで、観客にとって「ここからが本番だったか」と気づかされるのは痛快さの一つではあります。

戦争を乗り越えた映画監督たちには共通して「これからの世の中を変えていくのは女性だ」というテーマがあるようですが、それとの対比の面白さを映画として成り立たせるには、もちろん男優たちの名演が必要なのです。

憎まれ役を引き受けるのは俳優にとって一つの冒険であるに違いなく、欺瞞的な小市民を演じる人々は自らの実力を誠心誠意出しきっているわけで、舞台劇そこのけの要求高い監督に、役者たちも背水の陣という気分で臨んだことだろうと思われます。

実際の通夜の席でもありそうな会話の流れを執拗なまでに完全再現した圧巻の脚本は『12人の怒れる男』にも通じるかと思われますが、おなじ黒澤作品における刑事ものの捜査本部の描写の密度の濃さにも通じているようです。役所批判は、なにげに軍部批判にもなっているのかもしれません。

映画監督自身は役所づとめしてないわけですから、単純に観れば「いい気なもんだ」って感想も浮かんでくるわけですが、映画が動き出すまでの煩雑さには苦労させられていたのでしょうし、誰かが役所仕事・書類仕事をやらなければならないことも分かっているのです。

ヤクザ者を黙らせたと聞いて堅気の男たちが凍りつくのは面白い場面ではあって、仁侠映画で知ってる顔があるのが別の意味で楽しいですが、そこから話の流れが変わるわけで、市役所の人にとってヤクザって本当に怖いんだなと(変な感心)

いろんな意味で真正面から撮った映画で、「面白いって言っちゃ失礼」(byメフィスト雄之助)ですが、深刻な話を興味深く見守り続けたくなる仕掛けにあふれているわけで、やっぱり面白いといわざるを得ません。

行間を読むって言葉がありますが、台詞と台詞の間に置かれた画の向こうから響いてくる登場人物の内心の声が読めるようになってからが面白いので、自分が歳を取ってから観ればよい作品の一つですが、「空気読む」ことに慣れた今どきの若い人々にはどう見えるのか。



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