2016/12/09

1954年3月、溝口健二『山椒大夫』大映

人は、等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せに隔てがあってよいはずがない。

製作:永田雅一 原作:森鴎外 企画:辻久一 脚本:八尋不二・依田義賢 撮影・宮川一夫 録音:大谷巌 照明:岡本健一 美術:伊藤熹朔 音楽:早坂文雄 建築考証:藤原義一 衣装考証:上野芳生 和楽:小寺金七・望月太明吉 助監督:田中徳三

耽美派溝口にしては1954年当時の社会性を映し出しすぎてしまったようで、音楽の使い方も締まりがなく、代表作といえる格ではないだろうと思います。

が、原作の行間を埋めているわけで、勇気ある挑戦といえるでしょう。

東映アニメ版は「少年向・家庭向」を意図して原作どおりに子どもたちを描きつつ、ディズニープリンセス路線に準拠して、ミュージカル要素・清純ロマンス要素・動物コメディ要素を加味し、成功したのでした。

こちらは大人の鑑賞にあわせて、成人女性の悲哀を描こうとしたのですが、ちょっとやり過ぎて俗悪ぎみになってしまったかもしれません。あくまで1950年代溝口作品ですから、逆に期待されても困る程度の描写ですけれども。

主人公の設定変更はキャスティングの都合かと思われますが、一貫性はあって、熱血漢が世を拗ねると全力でグレるわけです。長いこと奴婢として働いていたので学問がなく、礼儀作法も知らない。でも、そのパワフルさがないと、あれだけの改革を成し遂げることはできない。

カメラはその様子をやや離れた高めの位置から映し続ける冷淡さを保っており、そこはかとなく諷刺が感じられる溝口調ではあるかと思います。

建物考証が入っている通りで、「一抱えに余る柱を立て並べて造った」(原作より)山椒大夫の館をはじめ、『もののけ姫』を髣髴とさせる中世の風景が見事に再現されております(※順序が逆)

これは原作が「神仏に見守られる子どもたち」という御伽噺の雰囲気を保ちつつも、まさに映画のように場面が次々と切り替わる見事な構成で、悪役も漫画的に残忍さを誇張したというよりは、多少は人情のある様子も見せるなど、大人の鑑賞にふさわしい含みを持っており、間然するところがないだけに、あえて翻案しようと思う人々は苦労するわけなのでした。

子どもの守本尊なら原作通り地蔵さんが正解で、女の子のほうが早くおとなびて計画性を身につけ、万事とり計らったうえで、逃げ切れなかったというよりは、むしろ積極的に弟の無事を祈って神仏に身を捧げたという経緯・心情も原作のほうが読み取りやすいんですけれども、それをそのまま映像化できた作品はなかったようで、こちらはとくに信教の自由化または「宗教は麻薬だ」なんて言葉が流行った世相を受けて、そういう宗教色・精神性を割愛してあるように思われます。

世俗の権力関係が、東映のアニメ版のちょうど真逆ですが、右大臣の権勢自体も朝廷によって保障されているものではあり、日本の政治史・心性史を理解する一助として、興味深いところではあります。ここから昭和のテレビ時代劇における「権力者による世直し」という要素へ通じたかなと思うなど。

……いっぺん、原作をそのまま撮ってみませんか?



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