Misha's Casket

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【同人の心得】30歳すぎたら振り返ってみましょう。

人間の脳というのは、30歳を過ぎてから、物事の間の関連性を理解することができるようになるんだそうです。(『海馬―脳は疲れない』池谷裕二・糸井重里、新潮文庫)

それまでは、体力と記憶力の勢いにまかせて、情報を取り込むわけです。だから周囲の言ったことを真に受けやすい。とりあえず言われた通りにやってみる。

実際、スポーツにしても、芸能にしても、基礎を身につけようとしている修行時代には、考えないほうがよいわけです。

でも、30歳すぎると「漫画家になりたいと言いながら小説ばかり書いていた私って、なにやってたんだろう?」と気づくことができるようになるのです。

それをやっておかないと、30歳すぎても若い頃に他人から言われたことをそのまま繰りかえす人になってしまい、現代の人から「なに言ってんの?」と問い直されることになるのです。

【責任転嫁のために嘘をつくのはやめましょう】

まことに残念ながら、「アニパロでカネもうけした」と自慢しながら、責任逃れするために嘘をつく人がいるわけです。

「もともとやりたくなかったのに母親のせいだ」とか「プロのせいだ」とか「市販雑誌のせいだ」とか「自分は頭がおかしい」とか。

実際には、二十四年組は「アニメキャラクターを利用させてもらいなさい」なんて教えていません。市販雑誌に「同人誌即売会へ行ってください」と書いてあったこともありません。コミケというのは、もともとアニパロを出展するところではありません。

アニメキャラクターを利用することを思いつき、取引の場としてコミケを利用することを思いついたのは、パロディ同人自身です。

それを米沢氏が認めた(のが慣例になっている)というなら、それは構いません。業界の自治が尊重されるのは当然だというだけです。けれども、わざわざ「自分は経験者だ」と自己PRするために出てきておいて、嘘をつくのは良くありません。

多くの同人が「私は嘘なんて言いません」というでしょう。迂闊なことを言ってしまう人というのは、やっぱり「甘い」わけで、同人の世界からも淘汰されてしまうのです。

その後で、同人の世界全体、ひいては社会全体に恨みを持ってしまい、何かにつけて他人に厭味をいったり、からかったり、暴力をふるったりする。そういう自分を正当化するために、いろいろと言い訳するんだけれども、それがすべて自分で自分についた嘘である。責任転嫁である。そういうことがあるのです。

黒バス犯も一例でした。同人やっていた人・やっている人・これからやろうと思っている人は、彼を他山の石としましょう。

同人やっても構いません。けれども自分の人生まで投げ売りしてしまわないように。パロディというのは、わざと原作の正しい読み方を踏み外すものですけれども、自分自身が人間として踏み外してしまわないように。

【隠語を必要としたのは、パロディ同人】

コミックマーケットまたの名を同人誌即売会とは、もともと招待制の業界内イベントです。その存在を知っていたのは、大学・高校を拠点とする部活動の一種としての漫画同人会。その延長としての卒業後の社会人サークル。

手塚治虫自身がアニメを手がけていたのですから、アニメファンクラブが漫画同人会に合流するのは自然です。そういう特殊な人脈によって集合した人々の間でだけ通じるジョークグッズとして、アニパロというものが共有されていた間は、まァ良かったわけです。自然にゾーニングが出来ていたから、むしろ呼び分ける必要がなかった。

が、これに「目をつけた」人々がいた。1980年代の中学生です。けれども、パロディ同人としては、子ども達の口から「アニパロを買いに行く」と言わせておくわけには行かない。パロディである以上、原作が存在するわけで、見る人が見れば差し止め請求。賠償金の請求もあり得る。

だから、漫画同人・文芸同人の中でも、パロディを手がける人々だけが隠語を必要としたのです。「パロディ」または「アニパロ」という言葉を使わずに「これはパロディだから、権利問題を含んでいるので、表沙汰にするな」と伝える必要があったのです。

「なぜ、サークル『らぶり』が使った言葉が二次創作BLを意味するようになったのか分からない」という、らぶりファンの言葉がありますが、当然です。パロディ同人のほうで、意図的に本来の意味からずらして、隠語として流用したのです。

【先生たちの勘違い】

ところが、上記の機微を理解できなかったのが、当の1980年代の中学生でした。「竹宮恵子も仲間なんだって」という噂を広めてしまった。いちばん言ってはいけないことを言ってしまった。要するに、話が通じなかったのですorz

パロディ同人のほうにも責任がまったく無かったわけでもなくて、おそらく誰かが「こういうのはもともと竹宮先生が」って言っちゃったのでしょう。残念無念です。

で、著作権問題を閑却したまま、「少年愛」を意味するものとして、隠語が流行してしまったわけですが、これをまた真に受けたまま議論してしまったのが1990年代の評論家・社会学者たちでした。本来、調査・研究のプロのはずです。お粗末きわまる。

自分自身も論文・単行本を刊行していたくせに、著作権意識がひじょうに低かったわけですが、まずもって、本人たちが1980年代の中学生だったのでしょう。それが准教授・院生などとして、とんちんかんなことばかり言ったわけです。

さらにまた、1980・90年代というのは、海外の学説を翻訳し、部分的に紹介した書籍が飛ぶように売れた時代だったのです。

学者たちも充分なフィールドワークを実施することなく、表面的に観察した現象に学説の「当てはめ」を行いました。それがまた同人にフィードバックして、いまだに「アニパロBL同人活動を通じて男性中心社会にもの申す」みたいな気分になってる人もあります。

百歩ゆずって、それ自体はいいです。本人の言論の自由だから。でも、それなら尚のこと、他人のせいにするべきではありません。「プロの漫画を読んだから、アニパロ小説を書かざるを得なくなった」というのは事実誤認です。

人間は、自分で自分に嘘をつくということがあります。自分を守るために「そういう話にしておく」ということがあります。「しておこう」という意識があるわけではなく、自分でも「絶対そうだった」と思い込んでしまうのです。

アドラー=岸見がいう通り、無意識の内に計算するわけです。自分だけにとっての「善」になるように。


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