1963年11月、山下耕作『関の彌太ッぺ』東映京都

  16, 2016 10:20
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だが、忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ、明日になる。

企画:小川貴也・翁長孝雄 原作:長谷川伸 脚本:成沢昌茂 撮影:古谷伸 照明:井上孝二 録音:野澤裕男 美術:桂長四郎 音楽:木下忠司 助監督:鈴木則文 

時代劇が峠を過ぎたといいつつ、忙しかった錦之助さん。今回は、ほぼ真正面から企画・演出した股旅ものですが、カメラは斜め下。助監督の名前に喜んだり、木下音楽もだいぶ耳慣れてきたなと思ったり、「樹の生えたスタジオってどうやって維持したのかなァ」などと思いつつ。

こちらは綺麗な「総天然色」撮影です。後姿の美しい巻き込まれ型タイトルロール兄ィは実年齢で1932年生まれの31歳。5歳くらい若い役でコメディ調に始めて、その10年後のハードボイルドタッチまで見事に演じ分けております。安定品質。

わりとのんびりめに進行し、ちょっと無理もある脚本ですが、演技力と演出力と撮影力でカバーしました。水車、竹林、生垣の花など、セットを利用した魅力的な構図が続きます。十朱幸代の堅気娘らしさが良いです。月形龍之介は特別出演状態ですが、立て板に燻し銀の名調子を拝聴できます。

木村功の小者っぷりが似合いすぎて泣けてきますが、対照的に錦之助の大物ぶり・品の良さがよく分かることです。ラストシーンがたいへんカッコいいので観てのお楽しみ。

考えてみると「時代劇に人気があった」こと自体が不思議なわけで、ご維新・文明開化ということになって、廃仏毀釈などもあり、フェノロサや岡倉天心が危機感を持つような文化的状況があったわけです。

大正時代には都市部に洋風の一戸建てが建ち、一間洋館も流行り、そこに住む吏員・教員などの核家族家庭も増えた。小津映画『生れてはみたけれど』のような。戦前は大家族だったというのは、山間部の農家の一部に過ぎないのです。

映画館が存在する市街地では、多くの人が洋風の暮らしに憧れていたはずで、『楢山節考』のような古民家に実際に住み続けていた人は、映画を観に行く余裕もなかったはずです。とくに家畜の世話は休めませんから。

そのまま行けば江戸文化は忘れ去られて、時代劇なんて企画もされなさそうなもんですけれども。

いっぽうで、日本映画そのものは歌舞伎の舞台をそのまま撮影することから始まり、歌舞伎俳優(だった人)を起用することによって成り立っていたわけで、初期には女形が洋風の女装をして、ロシア演劇を映画化していたそうです。

日本には超豪華なオペラハウスってありませんから、都会的な芸能と感じられたのは(華族が守っていた能楽や祇園を別にして)やっぱり歌舞伎だったのでしょうね。とすると「地方にいながらにして、お芝居(歌舞伎)が観られる」というのが映画の果たした役割だったのかもしれません。

とすると、時代劇映画を支えたのは、都会生活の欧化に遅れた地方の観客たちだったということになるのかもしれません。


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