2016/12/16

1969年5月、篠田正浩『心中天網島』東宝

女っちうもんは、一人の男にこうと思い込んだら、ちょっとやそっとであとには引かんもんや。

製作:中島正幸・篠田正浩 原作:近松門左衛門 脚色:冨岡多恵子・武満徹・篠田正浩 台詞:冨岡多恵子 音楽:武満徹 撮影監督:成島東一郎 美術:粟津潔 録音:西崎英雄 絵:篠田桃紅 時代考証:林美一 衣装考証:上野芳正

さァこれは分からない。分かるんだけど分からない。篠田さんがやりたいことを全部やって「わが人生にいっぺんの悔いなし」みたいになってるのは確実で、演劇に関心の高い人であることは『処刑の島』でも感じられましたが、あれほどとっちらかった感がなく、当然ながら軍部に事件の原因を求める陳腐さもなく、時おり野外へ出つつも小劇場の濃密な空気を一貫させた点で、違和感はなく、見事なのです。

似たような美意識を持ってる木下さんが『楢山節考』全篇スタジオ撮りしたのに引き換え、こちらは途中で外へ出ちゃうわけですが、橋(のある空間)にフェティッシュを感じたことはご本人が冒頭で明かしている通りで、してみるとその橋のある野外空間を際立たせるために室内装飾は思い切ってああいうことになったかとも思われます。

いや待てなんで監督が映画冒頭で? と思われたあなたは炯眼で、時代劇に飽きている観客を劇場空間に引きずり込む仕掛けに満ちておりますのです。

これをベストワンに選ぶなら、1969年の観客は意識高かったと言わざるを得ませんが、最大の違和感は「これ映画でやる必要あるのか?」ということなわけでございまして、「いや、だからこそ映画でやるんだ」という議論は、1969年当時にも盛んだったかもしれません。

もう一つ、言ってもしょうがないような違和感は、紙を張った家に住んでる日本人にしてはどいつもこいつも怒鳴りすぎなことで、これは元をただすと石を積んだ壁に寒さよけの厚い織物を提げたロシア貴族の館を前提に組み立てられた演劇の手法をそのまま持ち込んじゃったせいじゃないかと思われます。それが従来の日本の芸能を超越した魅力として感じられたのでしょう。アニメ声優の演技が誇張気味なのも、たぶんこのへんに根っこがあります。それはともかく。

二代目と小松方正の演技は意図的な「型」として演じられているようで、それがこのフィクショナルな空間に存在意義を与えているようです。そしてこの話、お大尽が若い美男だったら話が変わってきちゃうのは明らかで、黒澤『白痴』を思い出してみるのも一興なのかもしれません。

背景には人物画があしらわれておりますが、もしかしたら本当はもっと赤裸々な春画を使いたかったのかもしれません。

黒子は観客の視線の誘導役でもあり、主人公の分裂した自我のようでもあり、監督にとって実際に便利な美術担当でもあり、壁に耳ありという世間の象徴のようでもありますけれども、ちと人数多かったかもしれません。


Related Entries