Misha's Casket

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【同人の心得】「二次創作は遊び」の本当の意味。

パロディ同人のいう「私たちのは遊びだから」に続く言葉は「絶対に本物を怒らせるな」です。

「遊びだから大目に見てもらえる」ではありません。まちがえないでください。

もともと、ゲイに対して「絶対にホモという言葉を使うな。ゲイバーへ行くな。余計な質問をするな」という意味です。1980年代初頭に、やっちまった同人がいたらしいです。

1990年代初頭に「新宿二丁目へ行っちゃった人がいるらしい」という噂が伝わってきたこともありました。こういうのは「私たちも行ってみましょうよ」という意味ではありません。「絶対に真似するな」です。

現在でも、もし同人誌即売会の中で「ニチョへ行ってきた」なんて自慢する人がいれば、周囲から「うわ~~…」という眼で見られるでしょう。

「私たちは女の子だから」というのも「だから大目に見てもらえるのよ」ではありません。「子どもの遊びで大人に迷惑かけるな」という意味です。「大人をマジで怒らせると怖いぞ」という保身の意味でもあります。

フェミの先生たちが「女性は男性中心社会で出世させてもらえないから、どうせ子どもだからと言って開き直っている」と解説したのは、自分自身の立場に引きつけて考えてしまったから、同人の事情を勘違いしてしまっただけです。

本来の意味は、あくまでアマチュアの自戒だったのです。同人自身は昔から「女だから・子どもだから」と言っても許してもらえるわけではないことを知っていたのです。

【原作者さまを怒らせるな】

著作権問題についても「私たちのは遊びだから、絶対に原作者さまを怒らせるな」が正解です。著作者人格権を行使されれば、ジャンル瞬殺です。

「許可なんか要らないわ。もともと二次創作は遊びじゃないのw」というのは、笑いごっちゃありません。本気でそう思うなら黙ってろって話です。

「原作ファンの皆様のお気持ちと、テレビ局の対面をかえりみず、下品なアニパロを描いたので、許可をください」なんて言われても原作者さまもお困りになるだけだから口が裂けても同人のほうから言うなってだけです。

原作サイド・テレビ局サイドから言うと「遊びでやってる奴らがなめてんじゃねェぞゴルァ」です。「こっちはキャラクターイメージが落ちたら大損なんだ」です。

同人側に言えることは「重々承知しております。もとより、そのつもりで後輩たちに『遊びでプロに迷惑かけるな』と教えておるのでございます」だけです。

なんか勘違いした同人が「私たちのパロディは遊びじゃありません! カネもうけのためです!」と叫ぶなら、権利者さまの仰ることは「キャラクター使用料よこせ」です。

そう言われちまった後で「で、でも、もともと遊びだから……」なんて言っても通用しません。同人の口から「遊び」といえば原作者の著作者人格権が無効になるということはありません。警察官に言っても、検察官に言っても、裁判官に言っても、一般国民の皆様に言っても通用しません。よけいに心証を悪くするだけです。

くり返しますが、遊びといえば許されるのではありません。この程度の覚悟がないなら、同人やっていたうちに入りません。

1970年代にテレビオリジナルSFアニメをネタにしていた同人は著作権問題の相手が漫画家ではなかったので「同族のよしみ」という顔をすることができませんでした。だから今より控えめな態度だったのですが、1980年代の中学生が勘違いしちゃいまして、いまだに(40代になったのに)勘違いしたままの人もいるので困るのです。

【フェミ的BL論批判:質問の相手がちがいます】

「なぜ少女同人はアニメキャラクターを無断利用するという簡便な手段に依存するのか?」

この疑問を市販の専門誌『JUNE』を連載拠点にしていたプロ小説家たちに向けても、満足な答えが返って来るわけはありません。

彼女たちは、他人のものを無断利用せず、きちんとオリジナル作品を仕上げて投稿し、プロ編集者のお眼鏡にかなって、プロデビューしたからです。他人が手抜きする理由なんか知りません。そんなズルい人たちと関わりになりたくないと思うだけです。

竹宮恵子以下、プロ漫画家にしてみれば、「少女漫画家になりたい」と言いながら少女漫画を投稿して来ずに、アニメキャラクターの「イメージ」を無断利用して小説ばかり書いてる少女なんて、許しがたい嘘つきなだけです。

アニメキャラクターがテレビオリジナルであれば番組の権利の侵害ですし、原作漫画があるなら漫画家の権利侵害なだけです。二十四年組は、子どもに「ほかの漫画家の権利を侵害しろ」と教えたなどと言われては困るのです。冤罪です。

【プロも隠語を使う必要があるなら、パロが成立しません】

じつは、同人はテレビ局にも個人プロデューサーにも二十四年組にも迷惑をかけまいとしたのです。だから隠語を用いたのです。隠語とは、いろいろありますが、既成の単語に別の意味を持たせて使うというのが一つの用法です。つまり、文字通り自虐しているのではないのです。

「お釜」というのは、文字通りに考えれば厨房用品ですが、女役の男性を意味することがあります。「少年」というのは、文字通りに考えれば未成年の男性ですが、森鴎外『ヴィタ・セクスアリス』によれば、明治時代の寄宿学校における女役の男子です。

パロディ同人の使った「山も落ちもない」という言葉が意味するのは「著作権問題があるから気をつけろ。口が裂けてもテレビ局へ『許可を出したんですか?』なんて電話をかけるな」です。

これを「いや、そうじゃない。同性愛が描いてあるからヤバイ」と考えた人は、著作権問題をまったく理解しておらず、同性愛差別意識だけは強かったわけで、その人自身が二重の意味でヤバイのです。

もし、女流が同性愛または少年愛を描いた時点で「ヤバイ」ので公開できないなら、そもそも二十四年組の活躍があり得ません。とすれば、その影響下に発生したとされる「アニパロ」同人活動もあり得ません。

論理的に成り立たないことを議論していた先生たちは「少女が一人前の皮肉を言っている」という夢を見ていたのです。たぶん「私たちが少女を鍛えてやった」というふうに、自分の手柄にしたかったのでしょう。

【少女の自立を支援しなかったフェミ】

少女が男性中心社会に向かって皮肉を言ったっていいですが、アニパロ小説を何本書いてもプロにはなれません。漫画の原作として取り上げてもらうこともできません。少女が一生日陰の身でアニパロ小説を書き続けるというなら、それを放置するのがフェミニストですか?

なぜ、少女はオリジナル小説を書いてプロデビューしようとしないんですか? すでに1978年に『JUNE』が創刊されていた以上、「男性中心社会へデビューすると、男性の好みに合わせて女性キャラクターを主人公にしなければならないから」ということはありませんね?

もし、どうしてもアニパロにこだわりたい少女がいて、これを支援するというなら、政府にかけあって、著作権法を改正させるのがフェミの仕事ですね? 少女を親告される危険性から救わなければなりませんね?

それとも「ああいう少女は、どうせ売れ残りのクリスマスケーキになる前に嫁に行くから放置すればよい。自立支援してやる必要はない」と思っていましたか? それがフェミの本音ですか?

【注意:出展していない人はジャンルの心配をしません】

ひとつ余談を申し上げますと、特定の同人作品について、名指しで「アマチュアのくせにこんなに派手な装丁にすると著作権者に見つかっちゃいますよ」とか指摘する人がいた場合、目的はジャンル温存ではありません。

自費出版物に原作の題号が表示されていないならば、それが二次創作であることを理解できるのは、原作を知った上で購読した人だけです。とすれば、その人々が「これは二次創作じゃないですか」と言わないかぎり、著作権者も誰も気づかない。したがって親告も規制も起きません。

つまり、二次創作の続きを楽しみにしている人々にとって、真の敵は「同人のくせに派手なことしちゃダメじゃないですか」と指摘した人物自身です。

「こんな騒ぎになってしまっては逆効果」ではありません。最初から狙った効果です。隠し持った目的は、わざと著作権者の注意を引きつけることによるジャンル壊滅。

自分自身が現在では出展していないなら、ジャンルなんかつぶれたっていいのです。高みの見物ができるだけです。それは「ムラ」の心配をしているのではありません。ムラの掟を利用した外部からの攻撃です。伝奇系ミステリーでよく使う手ですね。これも暴露話ではなく「どうも話がおかしいな」と思った時に、よく考えてみれば分かるだけのことです。

当方は、基本的に業界の裏話を流しておもしろがっているものではありません。いずれの記事も、いろいろな人がてんでバラバラなことを言っているけれども、ぜんぶ並べてみたら「話が逆だったことが分かった」という話です。ミステリー小説の一種とでも思って読んで頂ければ幸いです。

「プロは自虐していないのに自虐したことになっている」という話も、後世の人がパロディ同人が自虐していることを前提に、20年前のプロに遡及させてしまったものです。証拠の捏造の一種であることは、事実を拾えば分かることです。

「ノンセクだからゲイと連帯できる」というのも、立場を変えれば見え方が違ってくるという話です。「萌える」という言葉の用法が違うというのも、ヤバイと言う人がヤバイという話です。

本当は、パロディ同人こそ物事を裏から見ることが得意な人々であるはずです。同人こそ、冷静な個人主義の成人でありましょう。たぶん筋金入りの現役出展者には分かっているのだろうと思います。

当方が長々と公開する狙いも、個人の弾劾・炎上ではありません。同じ手に引っかからないように気をつけましょうという注意喚起であり、今後の指針です。読者様各位において「そうか」と思って頂ければ結構にございます。

【おまけ:なぜ「二次だ」と言う必要があるのか】

オリジナルだと思って読んだ人が「何々さんはアマチュアなのにすごくうまい。A君というキャラクターがすごくカッコいい。B君と幸せになってほしい」などと宣伝してくれちゃうと困るからですね。

原作を知っている人は「ちょっと待て聞き捨てならん」と思う。原作者のところへ注進が行く。テレビ局に「許可を出したのか?」という電話が入る。早くやめさせろという投書が殺到する。原作者も、テレビ局も、原作(番組)自体の人気・売れ行きが極端に落ちるというわけでもないのに、時間と費用と手間をかけてまで差し止めるつもりがないからこそ、周囲が騒いで炎上する。少なくとも、その可能性がある。

だから、パロディ同人には、パロディという言葉を使わずに、著作権問題を含んでいることを読者に伝える必要があるのです。少なくとも「あった」のです。このパズルをどう解きますか? 隠語の使用によってですね。

この程度のことを社会学者が気づかなかったのなら、日本の社会学はお粗末だってことです。海外の学説を翻訳するばかりで、自分の足元を見ないからです。

今回のまとめ: お題目を唱えることを中止し、言葉の本来の意味を自分の頭で確かめ、今後の行動の指針としましょう。さしあたって、深呼吸してください。

スマホに向かって項垂れる姿勢を続けると、肺に取り込む酸素量が減り、脳の活動が低下して、鬱病の症状に似てくる、すなわち被害妄想的になるそうです。(これを言う人自身がSNS依存症になってるから困るのです)


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