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1960年10月、大島渚『日本の夜と霧』松竹

過去に過ちをおかした者でも、権利はある。未来に向かって、ふたたび過ちをおかすまいと努力するかぎり、問う権利はある。

脚本:大島渚・石堂淑朗 撮影:川又昂 美術:宇野耕司 音楽:真鍋理一郎 録音:栗田周十郎 照明:佐藤勇

昭和三十五年度芸術祭参加作品。篠田作品もあらかた観ちゃったので、次の波乗りなのです。安保果てて、まだ「新左翼」は登場してなかった、いわば戦間期。遠藤さんが若い。(まずそこ)

きたない部屋、せんべい布団、着たきり雀。闘争だけが。平和、独立、民主主義のための闘争だけが、俺たちの希望だったのに。

過去に何があったのかを探っていく額縁構造サスペンスの一種で、ある意味ものすごく面白い映画なんですが、中学レベルでいいので1950年頃からの戦後史を知っておいてから観ましょう。たいへん生々しい時代の証言らしさを上手に再現してあるので、緊迫感は高いですが背景事情を知らないと意味不明です。

そしてこれ、配給会社によって上映取りやめになったそうなんですけれども……。

まずは「撮り方」についてはネタバレも何もないでしょうから申し上げてしまいますと、挑戦的なまでの「ワンシーン・ワンカット」には差し迫った事情があったとはいいながら、照明を効果的に使うことによって小劇場における実験的演劇の雰囲気を持たせてあるわけで、監督自身の劇団経験が窮地を機知で乗り越えることを可能にしたのでした。

もともと日本映画は歌舞伎をそのまま撮ることから始まってるので、これが最も正統派とも言えるのかもしれません。今となっては当時の演劇の手法を知る証拠の一つともなっていると思われます。

俳優にとっては怖い撮り方で、技量の差が如実に現れちゃってますが、任侠・暴力団映画で悪役だった遠藤さんが確かな演技力のある人だったことがよく分かります。舎監先生は、いかにも卑怯な大人という役ですが、役者としては別格のベテランさんですね。

お話は1960年現在として始まりますが、いったんサンフランシスコ平和条約=安保発効の頃に遡りますので、リリィ・カルメンさんが体を張って純情していた頃、学生さん達はこんなでしたということでもあります。親のカネで学生身分を保障されながら革命の夢を見ていた若者たちには、自分自身の姿は見えていたのか?

というわけで、以下詳細につき未見の方はご注意ください。



まずは1960年組に向かって「また安保やろうず」と呼びかける映画ではないですよね。ここで諦めてはいけないというメッセージはあるっちゃあるけれども、それが主眼ではない。

歴史学さえ「党」のご機嫌うかがいみたいになっていたことを湯浅赳男が駁撃したのが1980年代も半ばに来てからだったことを思うと、活動屋の諷刺精神は図太かった。

……と考えるなら、活動屋の良心にかけて日本と日本の学生運動の本質をえぐり出したと観ることができ、監督自身はどちらのイデオロギーにも属していないと考えることもできますが、基本的に台詞のやり取りだけで進行する密室劇の、その台詞がいかにも学生運動の連中が言いそうなことを完全再現している。

とてもじゃないが、なにも知らない人が想像だけで書ける台詞とは思われず、監督/脚本自身が運動の渦中にあったことを偲ばせるわけで(とここで検索して)、やっぱりガチだったと分かればむしろ安心するくらいですが、そうとう1950年代の運動について言いたいことが溜まっていたのでしょう。

アメリカ帝国主義または米日反動に抵抗するといいつつ、いとも簡単にフォークダンス部に改変されてしまう日本の、要するにどっちに転んでも独立できてないっていうグダグダ感を自虐的なまでに「自己批判」するとともに、「党」を徹底的に批判したわけで、これを配給会社が恐れたとするなら、なにを恐れたのか。

60年代組は「またデモに行こう、いなくなった奴を説得しよう」ということで走り出して行きますから、煽動する要素がないとは言えないですけれども、党の公認が得られないことはちゃんと(ってのも変ですが)言っておりますし、彼らが脇役として描かれていることは観る人が観れば分かる。

いっぽうで、50年代組にとっては、とても「また頑張ろう」と言いたくなるような代物ではなく、さりとてこれが痛烈な諷刺であることを分かって観ることができるほどの者は、今さら正義感ぶって配給会社へ殴り込みをかけるわけでもないでしょう。

それとも映画会社も相対的大企業なので、本物さんからブルジョワジーのくせに我々をネタにするなという申し入れがあったのかもしれないと考えてみるのも一興だけれどもいかがなものか。

なお、1950年代の若者たちが「貴様」って言葉を使ってるのも印象的で、いまの人は使わないと思われます。これ、時代劇では武士が使う言葉で、町人は使わないのです。

天下国家を憂える学生は、まずは「学」のある人々だったわけで、お武家さんの流れを汲んでいたと言ってもいいのかもしれません。赤穂の国家老も塩を売りに出していましたが、文武両道のかけ声のもとに算盤はじいていた武士たちは、まさに江戸時代のプチブルだったということもでき、1950年代現在の武士(サラリーマン)のすぐ横には、現代の憂国の志士もいたのでしょう。


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Misha

Author:Misha
スマホ時代にさからう評論系長文ブログ。冷静に通読できる大人の読者様を想定しています。

「若い人」に直接呼びかける文章は、18歳以上のヤングアダルト対象です。高校生は受験を最優先してください。

書く人は、新旧とりまぜて映画とアニメを見ながら文芸書に取りくんでみたり、昔の漫画を思い出したり、お国の先行きを心配したりしております。

記事中の色つき文字は、映画中の台詞・挿入歌からの引用です。あらすじは、あまり申しませんので、楽しみに御覧ください。取り上げる作品は、暴力・エロスなど特殊な要素を含んでいることもあります。

ときおり、耽美・BL・同人・LGBTに言及します。いずれの分野からも、偏見と差別と自虐がなくなるといいと思っております。

「二次創作の責任を二十四年組に押しつけるな」「実在同性愛者に甘えるな」が基調です。

全体として、二十四年組ファンが社会学者に物申すという珍しい構図。一部同人を叱責することによって全体を守るという意図もあり、ときにかなり辛口です。

記事は時々予告なく手直し・削除・分割しております。保存は個人的閲覧の範囲で、お早めに御随意に。転載・改変利用は固くお断り申し上げます。

解題


Casketとは、玉手箱。

でも検索すると棺桶がならびます。来世まで持っていきたい好きな作品の記録帳とご理解ください。