Eテレ新春能狂言、観世流『西行桜』

  06, 2017 10:33
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惜しむべし惜しむべし、得がたきは時、逢ひがたきは友なるべし。

むくりと起きると6時40分。迷わず点ける教育テレビ。ずらりと並んだ花見客。脇方のボスは声がよく、小鼓方はナイスガイ。(ヒタメンチェック終了)

まだまだこれから雪のニュースが聞かれる頃合いに、ふた足早くおシテの視線とともに春爛漫を思い描き、表象を共有するのが日本人の作法でございます。外国の皆様もごゆるりとお寛ぎあそばして。なお詳細な出演者リストはNHKを始め、専門サイトにおまかせ致します。

お花いっぱいの作り物が微笑ましく、幕が外されると眼に鮮やかな朱色のお装束。立ち上がると灰色の大口袴。新春らしい明るさ、めでたさに満ち、後座とも呼応して、一体感のある上品な配色でした。

それにしても筋立てを知らずに観てればこのワンレングスのお爺さん誰だろうと思われることで、脇方による説明の重要さがよく分かります。お、お坊様この老木の精(本名:野村四郎。1936年生まれ、80歳)を本気で怒らせてしまいましたね……

脇僧は覚悟を決めた!(決定ボタンを押す)

お年寄りを怒らせてしまった時は最後まで愚痴を聞いて差し上げましょう。途中で脚を組み替えてはいけません。

日本から世界へ、ロールプレイング・ビデオゲームの傑作が発信されたのは、このややのんびりめの物語展開を好む伝統からかもしれないな、などとも思いつつ。

能面のように無表情とはよく言いますが、じつは無表情なのは能役者であって、能面というのは表情豊かなものなのです。眼玉も動くのです。そう思って見れば。

老桜の精は自己弁護のために出てきたわけで、だいぶ怒ってるもようです。けれども祟りをなすのではなくて、このお坊様なら分かってくれそうと思って出て来たわけです。

都の花より山の花。長年見おろしてきた谷々の春景色。誇りと喜びに満ちた今生の思い出を誰かに聞いてほしかった。

翁さびて脇能のようでありながら、じつは脇能のシテは龍神であったり、まだ若い男性の神様であったりして勇壮なわけですけれども、これは植物であり、現世における生命あるものであって、そろそろ枯れる身であることを悟っている。だから怒ってるようだけれども、どこか哀れで、風情が優しい。

桜が咲く頃は、まだ夜気が冷たく、まして山の夜は、いかに世捨て人といえども、花が美しいといえども、野宿したくはないのが本当です。もとより、これは都で筆を執る人が生んだフィクションであって、惜しむべき花と役者が完全に一致して、残される者とひとときの友誼を結ぶという、想像力をもってしか味わうことのできない、心の贅沢なのでした。

伝統芸能は75歳からという声もありますが、お歳を召されたおシテの演技は「自分自身があと何年生きて、何回演能に接することができるのか」という感慨を呼ぶもので、日本流メメント・モリは桜の香りとともに胸に沁みるのです。

名残惜しげに友を見返る老桜の少年の春の夜は明けにけりや? ここは反語ととらえたいですね。身は老い続け、心の花は咲き続けるのです。

幕の降り方も、そっと静かなものだったと思います。傘寿のおシテならでは、気品と悲哀と優しさを湛えた美しいお舞台でした。

テレビ能は、めずらしい曲を見せて頂ける貴重な機会のように思います。小書で調整する手もあるのでしょうが、この曲も花見客が四人必要なら、もうそれだけで実演のハードルが高いですし、そうかといってスペクタクルでもない。

物着もない一場ものでは、おおがかりなのか、こじんまりしているのか、どの曲の間に置いたものか。しかも、しっとりとした情趣のまま「本日の番組を全て終了いたしました」としたい。詞章が美しく、くりかえし鑑賞したい曲ですけれども、能一番として出すとなると意外にむずかしいようにも思われ、あらたまの年の始めに、心の宝物をいただいた思いです。出演者の皆様にも、放送スタッフの皆様にも、本当にありがとうございました。


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