2017/01/10

構築主義の否定はフェミニズムの自滅です。

女は女に生まれるのではありません。女になるのです。

同性志向者は異常に生まれるのではありません。成長してから、異性志向者によって「男同士でやる奴らは異常だ」と言われるのです。

異性志向者が、同性志向も正常だと認めて、彼ら同士の結婚を許可すれば、男同士は異常ではなくなるのです。女同士も同様です。

【構築主義の否定はフェミニズムの自滅です】

古い映画には「女性が自活できないので男性のお荷物になるのが悲劇の元」という話が多いですね。

これに対して「女性が自活できて、しかも屈辱的ではないという仕事をもらえれば、女性は誰でも喜んで独立するから男性の負担もなくなりますよ。ウィン・ウィンの関係です」というのは、なるほどうまいこと考えたな、こいつは一本取られたって話です。

このコペルニクス的転回が分かる人は、同性志向男性の言う「われわれが異常だと思われているのは、きみたちが異常だという先入観を広めているからだ」という理屈も分かるはずなのです。

「女は無能だから独立させられない」と決めているのは男性自身であり、男同士は異常だと決めているのはストレート自身なのです。

男性が女性の能力を認めて自活できるだけの有償業務を与えれば、男性自身が楽になれるのです。もっとしっかりしてよとか、早く出世してよとか、好きでもない男の嫁に行かされるのがいやだから私を連れて逃げてとか、どこまでもついて行くとか、捨てないでとか、私を捨てたら一生恨んでやるとか、あなたと別れるくらいなら死んだほうがましとか、こんなに好きになりすぎて苦しい思いをするくらいなら会わなければよかったとか、いっそ今すぐ一緒に氏んでとか言われなくなるのです。

依存的な女に付きまとわれ、悲劇のヒロインぶりっこに付き合わされずに済むようになるのです。じつに爽快です。

すると「遅くならないでね」とか「昨夜はどうしたの」とか「今夜はどうするの」とか言われる心配をせずに、いつでも好きな時に酒を飲みに行くことができるようにもなるのです。

男性が女を扶養する義務から解放されて、楽になれるのです。それがフェミニストの望んだユートピアです。そしてそれは、一代で終わるのです。でも誰もそのことに気づかなかったのが1990年代だったのです。

これは、突き詰めて考えるとこうなる、という話です。論理的試行です。デストピア的諷刺小説の一種として読んで頂いてもいいです。

いずれにしても、当時の評論家などが、ここまで考えることができなかったのなら、思考停止に陥っていたということです。また、ゲイコミュニティから「我々を搾取しているのはきみたちだ」と言われて、返す言葉がなかった(ので話をそらした)のであれば、残念ながら、日本のフェミニズムの黒歴史ということになります。

繰りかえしましょう。人は女に生まれるのではなく、女になるのです。時には自らの偏見によって。


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