1958年12月、黒澤明『隠し砦の三悪人』東宝

  11, 2017 10:32
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真壁六郎太! 男ぶりが一段と上がったぞ!

脚本:菊島隆三・小國英雄・橋本忍・黒澤明 撮影:山崎市雄 美術:村木興四郎 録音:矢野口文雄・下永尚 照明:猪原一郎 音楽:佐藤勝 美術鑑修:江崎孝坪 香取神道流:杉野嘉男 大日本弓馬会武田流:金子家教・遠藤茂 振付:県洋二

でこぼこ水掛け漫才と男のロマン溢れるアクション巨編をシェイクして、能楽を小匙一杯、コンテンポラリーダンスを一振り、仕上げにリボンの騎士風味を添えて。

装わぬ人の世は、ロケハン大成功で役者たちの「監督のバカヤロー」という心の声が聞こえてきそうです。

タイトルからも勇壮なオープニング楽曲からも吹っ切った感が予想される通りの娯楽大作から直ちに連想されるのは宮崎アニメですが、これをまァ撮っちゃう人も撮っちゃう人なら描いちゃう人も描いちゃう人だと思います。糸井重里『海馬』(新潮社)で印象的だったエピソードは宮崎監督の仕事ぶりですが、黒澤さんも本当に人生これ映画という人だったのでしょう。

なお、歩兵目線だと騎馬武者というのがたいへん威圧的で恐ろしいものであることがよく分かります。

『戦艦ポチョムキン』トリビュートかもしれない人海戦術的負け戦リアリズムは、ハリウッド顔負けの金かかってる感炸裂、申し添えるまでもありませんがCGではありません。『日本の夜と霧』より、よっぽどこっちのほうが人民を煽動しそうです。鉄砲はすでに普及していた模様。

ロケ地はどこだろうと呆然としながら「狂言方」の体当たり演技に感心することしばし、「シテ」の登場シーンは黒澤映画史上最高に印象的かもしれません。こんばんわ。ああ笑顔が明るい。

「シテツレ」というべき姫君は日本映画史上有数の気持ち良い女性キャラクターで、恋心の表現もなかなかに直截。敵役の描き方も悪どくはなく、全体に「少年向・家庭向」といってもよい明るさを湛えております。

やや長尺ですが、登場人物間の身分の違いというものがよく活かされていて、先行き不透明なハラハラ感を醸し、目が離せません。撮影班大活躍のカーチェイスならぬ馬チェイスも拝見できます。

全体に「すごいことやってるんだぜ俺たち感」と申しますか、活動屋魂の誇らしさと喜びに満ちております。

なお、能楽は何度か存亡の危機を経験したわけですが、明治政府が落ち着いた頃に皇族・華族(旧大名家)・新興財閥の庇護を受けるようになったので、江戸時代に引き続き上流階級のものとして、一般には禁忌感が残っていたのだろうと思います。

だからこそ庶民には文楽・歌舞伎・講談があったわけで、いっぽうに夢野久作のようにやや揶揄的・自嘲的に能楽(謡曲)に言及することもあったわけですが、戦後の映画に真顔で能楽の要素が入って来たのは、華族制度が廃止されて、能楽も解禁ということになったのでしょう。

空襲で焼かれた舞台が再建されたり、新しい能楽堂が建設されたりしたのは、当然ながら戦後ですが、それはまた当然ながら日本経済が復興してからのことで、薪能の流行なども、そんなに古い話ではないのです。

若者たちがロカビリーやビートルズなどを受け入れていたのと並行して、能楽も一般への普及が進んだのです。意外なようですが、能楽がすたれて洋楽の時代が来たのではないのです。

それには白洲正子・円地文子のような女流の活躍や、女性観客の行動と経済的自由度が増したことも影響したにちがいなく、能界自体も女性を取り込んで民主化したことを示す必要があったのだと思いますが、女優を使って能楽ライクな演出を映画でやられちゃ、その後から能界が引きずられるように変わるというわけにはいかない。

ので、あちらは引き続き(女流も含めて)禁欲的かつ肉厚な男の美学なのです。だから見るからにほっそりした美少女を主役にした「アニメ能」は無理だろうと思われます。

対する黒澤・三船コンビは、あけっぴろげな男の美学とでも申しましょうか。

ここで作品の話に戻すと、黒澤映画の主演俳優として三船の先輩にあたる藤田進が抜群の貫禄を見せ、特別出演状態かと思われたところ、名台詞が出ました。

なるほど、これをアニメにすると「青空侍」になるわけです。



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