Misha's Casket

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可哀想と思うことが悪いわけではなく。

相手に聞こえるように「可哀想」と言っちゃってもいい、と思っていることが差別なのです。

車椅子使用者を指さして、どっかの子どもが「可哀想」と言った。母親らしき大人の女性も「可哀想ね」と言った。俺は可哀想なのか?

人権擁護啓発ポスターの一節ですけれども、ここは「車椅子使用者は可哀想かどうか?」を議論するところではないです。

「思っても言わない気遣いができるかどうか」です。

だって「可愛い」とか「かっこいい」とか「きれい」とか「頭よさそう」とかだったら、他人を指さして、いきなり言っていいと思っていますか?

思っても言いませんよね? なぜですか? 失礼だと思うからですね? では、なぜ「可哀想」と言う時だけ失礼だと思わないことにしているのですか?

あなたは誰からそのような訓練を受けたのですか? あなたは何に操られているのですか?

実際に可哀想だと思うことはあり得るのです。体が不自由というくらいですから、不自由な思いをしているにちがいないのです。不慮の怪我・病気などなら痛い思いもなさったでしょう。お気の毒に、ご家族ともどもご苦労なさったんでしょうね……という気持ちが湧き起こったから、募金して差し上げるとか、手を貸して差し上げるとか、そういった気持ちの動きが悪いわけはないのです。

でも「可哀想」と言う前に、さっと手を貸してあげるのがスマートですね?

人は可哀想だと思った時、相手を自分と同じレベルの存在ではないから、失礼なことを言ってもいいと思ってしまいがちなのです。



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