BLは、もともと女性文化の多様化です。

  26, 2017 11:04
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父親の思い出をつづって、文章力を認められた森茉莉。女だてらにSF・ゴシックロマン・歴史に造詣があるところを見せた二十四年組。ついでに白洲正子。

検閲制度が廃止された戦後社会にあって、例外的に教養を高めた女性の中から「男の世界ではこういうこともある」という暴露がなされたわけですね。三島由紀夫も寺山修司も舌を巻いた。

そこに表現されているものは、やっぱり男性の性的関心の独善性である。年上の者から誘われ、受身として訓練を受けた者は、こんどは自分から他人を誘うようになる。自分は悪くないと開き直る。じつは男役も女役も、やってるこたァ同じで、他人の人生をねじ曲げ、自分に付き合わせようとするわけです。それが男の本質というわけ。

男性読者・評論家から見て、けっして気分のいい指摘ではないのです。けれども創作家としての技量は認めざるを得ない。自分の口から「発禁」と言うことは、自由な表現の権利という観点からも望ましくない。

とくに1970年代まで「反権力」という意識が男性にも強かったわけです。

有名キャラクター(の名前)を利用する「二次創作」というのも、プロを目指して修練を積んでいた漫画同人会の集まりにアニメファンクラブが自主参加して来たことによって混合文化が生じたものです。

それが創作物として現れて来た以上、すでに創作技法を身につけた人からでなければ生じ得ない。少なくとも漫画原稿として最適な紙を買い、ペンとインクもそろえて枠線を引くことができなければならない。小説(と称する文章)を原稿用紙に清書することも同じです。大学ノートのままでは製本できない。

それは女性としては例外的に自立に近づいた人々から生じた余技であり、題材の多様化だったのです。

男性はいやがって描かないけれども女性は当事者感が希薄だからこそ描いてしまう。男性の一部が「百合」を書くなら女性の一部は「薔薇」を書く。

1870年代にシェリダン・レ・ファニュが『吸血鬼カーミラ』を書いていた以上、約100年後の日本の女流漫画家が美少年同士の吸血鬼物語を描いたのは、いろんな意味で快挙であり、また当然の流れでもあるのです。西欧から日本へ、小説から漫画へ、男から女へ。

先行したものが後発のものによって完全に否定されたのではなく、少し形を変えて受け継がれたのです。

革命だって、ほんと言うと政治家の面子が変わるだけで、社会と産業はそんなに変わらないのです。農場では野菜が育ち続け、工場は(破壊されないかぎり)操業を続け、天然資源の埋蔵量が急に増えるわけでもない。

話を戻すと、「二次創作」できるお姉さん達に中学生が憧れて真似をしたなら?

家事労働の担当者として消費・搾取されたくない気持ちの表れとは言える。ただし、それは独立したい気持ちの表れとは限らない。パラサイト・シングル希望かもしれない。すでにこの時点で多様なのです。

というか、独立したら(いきなりお手伝いさんを置けるほどの金持ちになるのでないかぎり)家事は自分でやらなきゃいけないわけですから、子どもの考えることとしては、一生パラサイト・シングル希望です。

ほんとうに実の親の抑圧・虐待に悩んでおり、一日も早く家出したいという子は少ない。多くが一日コミケで遊んだら、親の家へ帰って、ママが作ってくれた御飯を当たり前のように食べるわけです。夏休みが終われば学校へ行く。学費を出してくれるのは多くの場合、父親です。

それは少女の自立願望を表していない。

それは「一生、親の家でディズニープリンセス映画を見て暮らしたい」という願望と等価です。「一生ファミコンやっていたい」でもいいです。

それを女権運動のイデオロギーに取り込むために「いまや全ての少女が男性中心社会に抵抗し、BLしか読めなくなりつつある」と言ったとき、不具合が発生するわけです。多様性を全体主義に押し込めようとしたとき、どうも話がおかしいぞとなるわけです。

もともと多様化であり、枝分かれであり、多様性の共存であって、少女漫画的生産様式からBL的生産様式への移行論争は必要なかったのです。

茉莉も恵子も、女性目線のエッセイ(的漫画)や、少女を主人公にした小説(または漫画)を発表しており、読者も全巻そろえたわけですから。1990年代まで、少女向け雑誌に少女漫画と美少年漫画が両方載っていたわけですから。

常日頃はそちらで両方読んで、コミケ開催日だけコミケへ行って、二次創作BLだけ買って帰る(そういうものはコミケでしか売っていないから)という両立・共存・複数選択が、当たり前に行われていたはずです。

いまもって少女漫画読者とBL読者を截然と分かつ有意差など発見されておりません。

残念ながら日本の社会学者・評論家の一部がしたことは、証拠の捏造であり、現象のイデオロギーの鋳型へのはめ込み合成であり、嘘の報告だったのです。

がっ、それを克服できないまま利用してしまう人もまだいるわけでございます。

「私の好み=あなたの好み、イナゴ=コミケ、二次創作BL同人=ゲイコミュニティ」という連帯ごっこには、本人も周囲も気をつけましょう。


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