1953年6月、木下恵介『日本の悲劇』松竹

  27, 2017 11:03
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子どもをえらくしようと思うと、ほんとに骨が折れますねェ。

製作:小出孝・桑田良太郎 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 企画提供:新映株式会社 美術:中村公彦 録音:大野久男 照明:豊島良三 音楽:木下忠司 監督助手:川頭義郎

伊豆の山々、月淡く。国は敗れて、草木深く、政治は貧し。日本に近代市民などない!(色川大吉)

これはまたある意味大胆な、登場人物の目線の高さに、ガンとカメラを据えて撮りに撮ったり、ワンシーン。木下さんは深く静かに怒る人。弟の忠司の出番がないというほど装飾を削ぎ落とした超絶ドキュメンタリータッチ。(せめて挿入歌だけはと思ったら古賀メロディーでした)

この半年前に封切られた『カルメン純情す』では上流階級の暮らしぶりを徹底的に笑いのめしていたわけですが、今度はその対極にあった暮らし。

大島渚『日本の夜と霧』で中年組が追想していた1950年代の社会不安が、そのまんま映し出されております。一部に実録フィルムが使用されており、女子学生が学生運動に参加して機動隊と衝突し、怪我をしたらしき姿も見えます。

冒頭には昭和天皇を迎えて涙する高齢女性たちの姿も映し出されております。

最近、溝口や木下を観ていて思うことは、誰が観たんだ、と。1950年代の若い男たちは、ここでも観られるように、街頭宣伝車に乗っていたわけですよ。スクラム組んでジグザグっていたわけですよね。

どう考えても、この手の作品は男性が拍手喝采して喜ぶような話じゃありません。登場する男たちは基本的に悪役なのです。それも小悪党。男の眼から見ても嫌な奴らなのです。俳優としては上手いわけですけれども。

よほど文芸路線に関心があるか、映画テクニックそのもののマニアでもないかぎり、若い男だけで誘い合って観に行くような作品じゃありませんわね。

中村錦之助・市川雷蔵などの美青年趣味を考え合わせても、1950年代の映画産業の隆盛を支えたのは、女たちだったんじゃないかと思う今日この頃。それがテレビによって自宅でドラマを観ることができるようになって、映画館へ行く足が減ったのです。まだ憶測ですけれども。

それにつけても「この」悲劇は何によるのか。戦争で働き手を失った後の女と子どもの物語ですから、みんな戦争が悪いんだと言うことはできる。

序盤には女子生徒の口から鋭い質問を言わせており、監督には女性の姿を通じて社会批判する気持ちがあるわけです。そのいっぽうで、愛情はないのに嫉妬だけする女、男に「甲斐性」を求めるのに自分では自活手段のない女が悲劇の一つの引き金でもある。

かといって、女性に教育を与え、社会進出させればいいというものでもなさそうで、主人公は自分の才能を活かしきっていないという面もある。子ども達の言うことにも一理ある。

そのいっぽうで、親孝行の美徳を取り戻せ、戦後の自由は何か間違っているというふうに観ることもできる。

また戦争があったかどうかにかかわらず、男から見ても嫌な男・ずるい男はどこにでもいる。監督自身も(有名人ですから)投資話や保証人になってくれなんて話を持ちかけられることもあったのでしょう。

もとより単純ではないところが木下映画のいいところです。黒澤映画が破城槌のように太い主張をまっすぐに押し込んでいくとしたら、木下は本当に日常的な、淡々としたリアリズムの中に主義主張を忍びこませている。主張どうしが相反することもある。

やっぱり両方観るのがいいよね……(次記事は黒澤作品です)



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