2017/02/07

1954年9月、木下恵介『二十四の瞳』松竹

ああ、意気地なしでもええ。誰にもほめてもらわんでもええ。

製作:桑田良太郎 原作:壺井栄(光文社版) 脚色:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:中村公彦 録音:大野久男 照明:豊島良三 音楽:木下忠司 監督助手:川頭義郎

昭和29年度芸術祭参加作品。文部省特選映画。優秀映画鑑賞会第一回特選作品。ハンカチーフのご用意はよろしゅうございますか?

絵で語ることにかけては抜群のセンスを誇る木下さん。割烹着姿の婦人たちと、セーラー服姿の女学生たちが小旗を打ち振る壮行会を遠間から冷淡に撮る男の心意気。

まずは、深呼吸したくなる映画です。点景的人物の周囲に余白をおおきく取って、小豆島の大自然を取り込んだ画面は「カラーで撮りたかった」と思いつつも、薄墨色の濃淡が美しく、白い道のまぶしさが瀬戸内の陽射しと潮の香りまで伝えてくれるようです。

木下が松竹蒲田撮影所の撮影補助としてキャリアを始めたのは1933年。昭和8年。日本にトーキーが入って来たのは昭和6年ですから、木下も2年前まで無声映画を観たり勉強したりしていたわけです。

無声時代を知っている人は、字幕の使い方が上手いと思うわけです。

キャスティングクレジットのトップは「二十四の瞳」の持ち主である 猿と鳥 子ども達。トリは大石先生(高峰秀子)。

リリィ・カルメンさんだった頃から吹っ切れた演技力を見せてくれた高峰のナチュラルな加齢演技に驚かされますが、子ども達の成長ぶりには「まさか5年かけて撮った?」と心配になってしまうほど。(配役にすごく気を使ったと思われます)

撮影時点のふた昔前のふた昔前から始まる物語ですが、黒澤が舞台上のような虚構的世界を構築することに心血を注ぐなら、日常生活にキャメラを持ち込んじゃったようなのが木下。今回は子ども目線(よりも下)まで下がったので特に低め。

忠司が選んだ音楽も、この日のための新作ではなく、少なくとも公開当時には誰でも知っていた、一緒にくちずさみたくなる唱歌の数々でした。(受け継ぎたいですね)

というわけで、モノクロ撮影ということもあって、ほんとうに戦中に制作された作品のような気がして参りますから、まずは確認しましょう。

撮ってる時点で1954年です。サンフランシスコ平和条約が発効(1952年4月)して2年。63年前の新一年生は、今年(2017年)70歳。この点ではドキュメンタリーと申していいでしょう。女児を気遣う男児の雄々しさよ。授業参観気分。

この時期の映画監督は(人にもよりますけれども)日記をつけるように毎年映画を撮っていたので、世相に反応して笑ったり怒ったりしていた監督自身の息吹が伝わってくるように思われるわけですけれども、ここへ来て戦中史を総覧し、自分の中で一区切りついたということではなかったかと思います。

命を伝える女たち。次世代を残さないまま自らが若き輝きの結晶となる男たち。

圧倒的なのは、じつは見た目に最も地味な戦争末期の一場面かと思われます。食べるための工夫をしながら吐露される母心。

いかにも、戦後民主主義的文部省は全力でこれを推さねばなりません。

なお、シャーロック・ホームズ物語の中に『美しき自転車乗り』というのがあったような気がしますが、日本では(少なくとも小豆島では)20世紀になっても珍しかったようです。

小石先生をへこませるのは二十四の瞳じゃなくて、義経もはばかった「人の口」なのでした。女同士の嫉妬には(自分自身がとらわれないように)気をつけたいですね。

木下調の淡々とした描写が胸を打つのは、じつに淡々としているからなのです。共感できる人が共感して、自分で自分の胸をえぐるからなのです。

過剰演出には押しつけがましさを感じる人・それをまぎらすために途中で笑い出してしまう人も、黙っておじいちゃんおばあちゃんのアルバムを見せられたとき、こんな若い人が戦争に行ったんだ、立派な兵隊さんといっても、みんな誰かの小さな子どもだったんだと自分から気づいたとき、……。


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