Misha's Casket

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妖怪「同人もどき」のしわざです。

ウスラカゲ族。学業に行き詰まりを感じている暇っぽい青年(女子の部を含む)に取りついて、漫画と小説を混同させ、二次創作で簡単にかせげると勘違いさせてしまう。

妖怪不祥事案件で言うところの「一生アニパロ同人で食っていけるつもりだったから就職しなかったのに、人気が低下したのでアブハチ取らずになってしまい、生涯賃金を棒に振っちゃった件」を引き起こす恐ろしい妖怪。

被害者の人数は確認されていませんが、1985年頃から1990年代にかけて、猛威をふるった可能性があります。

【妖怪のしわざ1:小説の存在を不可視にする】

もともと同人活動というのは、紅葉や潤一郎や由紀夫や青成瓢吉のように、高学歴な若者における余技です。漫画同人も基本的にはプロを目指す人々です。

その漫画同人会の集まりが「コミックマーケット」ですが、一名を同人誌即売会と称したために、同人誌つながりということでアニメファンクラブと文芸サークルが自主参加して来たので、混合文化が発生しました。ごく簡単にいうと「アニパロ」同人誌とは、そういうものです。

で、これにまつわる勘違いが、いろいろと問題行動を引き起こしているのです。そうです。勘違いです。

とくに、1980年代に特有の勘違いというのがあって、自分自身がプロ漫画作品とパロ小説作品を同じ隠語で呼んでいたせいで、自分が書いているものが小説であることに気づかずに、有名な漫画家と関係があるような気分になってしまい、そのうち自分の小説も出版社の漫画雑誌編集員に認められて漫画家にしてもらえると思ってしまったのです。

じつは、初期の出品物は小説が主流だったのです。

正確にいうと、初期コミケには少女漫画が出品されていたという話がありますが、そりゃもともと全国の漫画同人会を招待した業界内イベントだったんだから当たり前であって、その間に割り込む形で進出してきた「アニパロ」というものの主流が小説形態だったのです。

だから、小説家の栗本薫と自分を比べながら、漫画家である高河ゆんに嫉妬する人がいるのです。

また「コミック」マーケットに出展する人々について解説してやるといいながら、インターネット掲示板に投稿された文章を作品例として転載紹介する自称ライターもいるのです。(プロ記者のくせに他人の文章を無断転載するもんではないです)

その人が1983年頃に購読したという「同人誌」が、「アニパロ」を名乗る小説本だったのですね。

そういう混同を、当時の仲間同士で注意し合うことができなかったのなら、似たような勘違いをしていた人が大勢いたのです。

もし、あなたの周囲に「同人やっていた」と自慢する人があって、どうも話が噛み合わない・言ってることがおかしいと感じられたら、妖怪のしわざです。もうそういうことでいいです。

確かに「男同士」という主題、なぜそれを女流が手がけるのかという議題を心理・社会問題としてあつかっているかぎりでは、表現媒体の違いを意識しなくてもいいのですが、一生続けていく・プロデビューするとなると、勘違いは致命的なのです。

高河ゆんは、もともと萩尾望都に憧れて漫画の描き方を勉強していたから出版社の編集員を唸らせるほどの漫画を描くことができたのであって、彼女を横目で見て嫉妬しながら文章を書いて、その挿絵と称して人物の顔だけ描いていても、漫画家にはなれないのです。

せめて枠線の引き方と、コマ配置くらいは勉強しましょう。点描も打てたほうがいいです。液晶タブレットの時代になっても、アナログが基本です。

【妖怪のしわざ2:本質に気づかなくさせる】

ギリギリで1983年までの「ジャンル」は、テレビオリジナルSFアニメ番組でしたから、当時のパロディ同人は自分たちの手がけているものが「漫画家同士だから」という理由では説明のつかない著作権問題を抱えていることを理解していました。

だからこそ、プロ漫画家の作品と混同され、いたずらに注目されないように、プロとは違う自虐的な名称を必要としたのです。ポスト二十四年組とも呼ばれる若いプロ漫画家が紹介したとされる言い回しを流用したのは、まさに流用であって、本来の意味とは違う意味を含ませた隠語です。

「山も落ちもないが、著作権問題はあるから、会場の外で宣伝するな」だったのです。

が、宣伝しちゃった人々がいたわけです。同級生に見せて「次のイベントに一緒に行こうよ」と誘った。まずいことに「ジャンル」がテレビオリジナルから漫画原作アニメに遷移することが起きた時代と「ひのえうま」後の多子世代の成長期が重なってしまいました。

その世代が注目したのは著作権問題ではなく、男同士という主題でした。

著作権については「漫画家同士だから大目に見てもらえる」という誤解を共有してしまったのです。実際に自分が読んでいるものは、小説だったのに。

小説としてのアニパロ同人誌は、少なくともその一部に小難しい漢字を使いたがる特徴があったことから、もともと三島由紀夫などの(文学史上における正しい意味の)耽美派の影響を受けた文芸サークルの活動だったと考えられます。

歴史的順序からいって、小説のほうが漫画より先ですから、コミケ初開催(1975年)の時点で読み応えのある作品をリリースできる能力を持っていたのが文芸同人だったことに不思議はありません。

それが面白かったからこそ、よく売れる・噂が噂を呼ぶということが起きて、模倣も発生したのです。

じつは漫画というのも、絵本とちがって、子どもが自分で読むのが基本ですから、あまり幼くて文字の読めない子のものではありません。一例として『ドラえもん』は1969年連載開始ですが、赤ちゃんに読んで聞かせるという親は(めったに)ありません。赤ちゃん自身が10歳前後にまで成長し、自分で読むことから漫画人生を始めて、20歳前後で漫画家として独立するまで、約十年。

1979年から1989年。ちょうど、高河ゆん・CLAMPなどが成長し、プロ漫画家として自己確立するまでの時期に当たっています。

ちょっと上の世代が高橋留美子で、1980年頃から『うる星やつら』によって、たいへん注目されるようになりましたね。男性なら、あだち充(『タッチ』)を挙げると良いサンプルと言えると思います。

1982年にはアニメ専門誌『アニメージュ』が創刊され、アニメの絵を参考に(小説ではなく)イラストを描くという子どもも増えました。

が、まだ小説としてのアニパロが勢いを保っていたので、その頃に同人誌即売会に自主参加(出展)するようになった中学生というのは、主題が似ているという理由によって、パロ小説とプロ漫画を混同し、同じ自虐的な隠語で呼んでしまったのです。

それによって、自分が何やってるのか認識することができなくなってしまったのです。もともと中学生だから、自分を客観視するということが苦手で、将来の夢がもう実現したかのように思ってしまうお年頃だったのです。

その後、漫画同人が成長するにつれて腕を挙げたので、アニパロ同人誌というものも、文芸から漫画へ完全にシフトしたのです。

【妖怪のしわざ3:当てが外れ、同人全体を恨む】

妖怪にとりつかれた人は、実際には漫画を描いていないですから、漫画の描き方を知りません。コマ割りやフキダシ配置の法則、背景画を描くコツを知りませんから、アシスタントにもなれません。

いっぽう、山も落ちもないという言葉を真に受けて、導入部も伏線も教訓的結末も何もない自称「小説」ばかり書いていたから、小説のプロにもなれません。ポルノだって無理です。自分でキャラクターと世界観を設定できないからです。

また、出版社の社員にもなれません。明治時代とはちがって、同人会の先輩が自分で出版社を立ち上げているわけではありません。先輩の「顔」で入社させてもらえることはありません。

有名な少年漫画雑誌の編集部を擁する大手出版社の就職面接をふつうに受ければ、ライバルは一流大学の卒業見込み、および編集や写真そのものの専門知識を持った連中ばかりです。

「漫画雑誌の編集部に大目に見てもらえる」と思いながら小説を書いて、もう漫画業界に入ったような気分になっていたのは、自分(と仲間)だけです。プロの編集員・人事担当者から見れば、ただの勘違いした素人です。

あらゆる当てが外れた後で、残ったものは「同人誌」の赤字在庫です。

自分自身が高校・大学を卒業してしまえば、高校生・大学生の「乗り」が分からなくなるので、自分より若い人には売れなくなり、同級生もそれぞれの地元で就職してしまうので、買いに来てくれなくなるからです。

そして同人界全体を恨んでしまう。裏切られた・だまされたなどと思ってしまう。いまの若い人はアニメを共有して楽しくやっているという話を聞いていることができない。「どうせ同人なんて、カネのことしか考えてない連中だよ。きたないことばっかりやってるんだよ」と悪口を言う。

誰よりも自分自身が、そういう了見でやっていただけなのに。

【過渡期の悲喜劇】

以上が、すでに同人として成功していた人々をうらやましがって、本来の漫画同人会を結成せずに、自分勝手に「同人」を名乗って、即売イベントに個人参加した人の末路です。

同人会に所属していれば先輩から受けられたはずの注意を受けていない。言っていいこと悪いことの区別も教わっていない。

くり返しますが、そのタイプ同士で漫画と小説の混同を注意しあうことができなかったのなら、同じ勘違いをしていた人が、かなり大勢いたのです。

まずいことに、初期のBL専門誌『JUNE』も小説と漫画の両方の投稿を受けつけており、さらには初期のアニパロ専門誌(と思われることもある)『月刊OUT』も文字作品・イラスト作品の両方を受けつけていたので、どっちを送っても編集部のほうで振り分けて採用してくれるということがあり得た。すなわち投稿者のほうであまり意識せずに済んだのです。

おおきく見れば、明治時代以来の文芸同人活動が、ミッキーマウスの映画デビュー(『蒸気船ウィリー』1928年)から約70年をかけて漫画に遷移していく過渡期に起きた悲喜劇です。

念のため、いまの若い人も気をつけてください。あなたが書いている「二次創作BL」は、小説ですか? 漫画ですか? おなじ向きの顔のイラストしか描けないのに漫画家になれると思ってしまっていませんか?

人間社会の諸相を妖怪のしわざにすることは、自分自身の心理・行動を客観視することなので、意外なほど哲学的というか、重要な機能を持っています。

もし、あなたが本当に学業(または仕事)に行き詰まって「二次創作でもやれば楽ができるかな」と考えてしまったら、いま妖怪に取りつかれそうになっていたと思って、目を覚ましてください。


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