2017/02/09

少女漫画の代償説は、論理的ではありません。

単純に、論理の問題です。いろいろな記事の中で言ってきたことですが、一度、手短に言っておきます。

少女漫画が読めないからといって、BLが読めるとはかぎりません。世の中には性的な話題が全般に苦手で、ディズニープリンセスのハッピーエンドとしてのキスシーンも苦手で、BLも読めないという女性がいます。

少女漫画が面白くないという人は、BLも読まなくてもいいのです。

たとえばの話、蟹が食えないからといって、海老を食うとはかぎりません。海老がきらいな人は、どっちも食わないだけです。飛行機が怖いという人が船で行くとはかぎりません。船酔いする人は船にも乗らないだけです。

そう考えてくると、BLを読む人というのは、BLを読める人なのです。ということは、じつはこれといって性愛に関する「トラウマ」がなく、かつ、BLそれ自体にカネを出してもいいほどの価値を認めている人です。

その価値は、もともと好きだったアニメキャラクターが描かれていることによるのかもしれません。男性の(ほかでは見つけにくい)性的な姿態が描かれていることによるのかもしれません。女性のように綺麗な顔した男が二人も登場することがお買い得に感じられるからかもしれません。男女よりも打算的でない崇高な愛情が描かれているように思うからかもしれません。

細かい理由は人それぞれでいいです。ありていにいって、BL読者十万人いたら、十万通りの答えがあると思えばいいです。それが「多様性」です。

けれども、その細かい詮索に入る一歩手前の論理的段階として「少女漫画が読めない人が、もれなくここへ来た」では説明がつかないわけですね。

べつに何も読まなくてもいいですし、自分が感情移入しやすい女性キャラクターを描けばいい・ふつうのスポーツ少年漫画を描けばいいなど、反論はいくらでもあり得るからです。

旧来のBL論は「読める人」を前提にしていたので、唐突に細かい詮索に入ってしまっていたのです。だから、お互いに「でも私の場合は」という水掛け論になるのです。その必要はないのです。そこは上記の通り、十万通り(または百万通り)でいいのです。

議論の前提として、最初に認めるべきは「BLの独自価値」です。

(これが分からない人は、たぶん数学が苦手なのです。苦手だから分からなくていいんじゃなくて、これを機会に分かる努力をしてください)


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