2017/02/09

もう一つの「同人はフェミとは別」の意味。

まず、BLの母親トラウマ原因論も論理的ではありません。

もし、二次創作BLファン全員が「私の場合、厳しい母親がトラウマになっているので、アニメキャラクターを無断利用せざるを得ない」と言うなら、母親を集めて再教育すれば、著作権問題がなくなることになってしまいます。

旧式なBL論は、市販の中高生向け漫画雑誌によって二十四年組以来のプロ作品を鑑賞する少女と、とっくに成人していた二次創作同人を混同していたので、説明になっていないのです。

仮に少年少女が飲酒喫煙などの非行に走った原因が、家庭における虐待(ネグレクト)であって、口唇愛期的満足を求めてタバコをくわえずにはいられないという説明がなされたとしても「じゃあ吸ってもいいよ」というわけには行かないはずです。

まずは不適切行動を中止させ、しかる後、保護者を呼んで、親子そろってカウンセリングを受けましょう、必要なら児童に措置入院させましょうってことになるはずです。

創作物に即していえば、若い女性を集めて「皆さんが母親になったあかつきには、子どもを伸び伸びと育てましょう。女の子だからといってスポーツや学問を禁止してはいけません」と教えてやって、その後も進学などの際に適宜サポートしてやれば、次世代ではBLを描く娘も、著作権問題を起こす娘もいなくなるということです。

フェミニズム批評を真に受けて、または体よく利用して、自分の活動を言い訳する同人がいるのであれば、話はそういうことになってしまいます。

だからこそ、同人の先輩たちは「同人はフェミとは別よ」と言うのです。それを汲み取れずに、なんか言い訳したがる同人もどき(に取りつかれている人)には、困るのです。

【一段ふみはずしたのです】

ほんとうは「いまや多くの少女が幻想を打破して、お嫁さんに憧れることをやめ、自分の腕一本で生きて行くことを願って、漫画家や小説家に憧れているが、そのうちの一部はBLという表現を好み、さらにそのうちの一部が二次創作という技法を選択する」なのです。

その前段階として、漫画家や小説家だけではなく、ファッションデザイナーや、アスリートや、音楽演奏家など、おのれを空しうして他人に尽くすというよりは自分自身が注目されるという職業が、いくつかあるわけです。

自立したい少女 > 自己表現の才能によって注目されたい少女 > 創作の道を選ぶ少女 > なんでも描く創作家 > BLしか描かない創作家 > 二次創作BLしか描かないアマチュア

途中で枝分かれした先には「マリエよりもカジュアルラインが得意なデザイナー」とか「マラソンは早いが球技は苦手な運動家」とか「ショパンは弾けるがジャズは無理なピアニスト」とか、いるわけです。

そのそれぞれについて「それではいけない」と言われても。

ここまで突き詰めると、BLだけを取り沙汰する理由は、取り沙汰するほうの差別意識に還元されるわけですね。

その差別意識は、同性愛そのものに対する違和感によるのかもしれない。女のくせにという気持ちのほうが強い人もいるかもしれない。「決まりは決まりだから」という倫理感によって著作権問題を放置できないと思う人もいるかもしれない。混ざってるかもしれない。

かつてのフェミニストは、自分自身が(二次創作)BLが好きだという気持ちがあったのでしょう。だから過剰防衛になって、多様性の一部という発想を持つことができなかったのです。

誰よりも本人たちに弱者意識・被害者意識が強く「女性はみんな私たちの味方ですよ!」って言いたかったのです。(まことに残念ながら、弱者ほど群れたがる法則です)

なお、マルクス主義の見直しが歴史学の分野で行われるようになったのは1970年代後半。社会学では、ちょっと遅れたのかもしれません。1980年代後半に盛んに「パラダイムシフト」って言っていたような気がします。

【もう一つの「同人とフェミは別」】

同人活動 and/or BL購読を続けたいが、それとは別にフェミニズム運動も推進したい、です。

なぜなら、女性である以上、すべての女性が事件の被害者にならず、自分なりの夢を実現して、平和に暮らせるのがいいからです。そういう社会が来るのを願っているからです。

百歩譲って本当にトランスゲイだとしても、肉体が女性である以上、体格が小さいからといって、腕力が乏しいからといって、差別されたり、襲われたりしないのがいいわけです。また「俺以外の女性なら襲ってもいい」ということもないからです。

とすれば、少女漫画も少年漫画もレディコミもBLもアニメ専門誌も、ゲイ雑誌でさえも等価値です。誰しも自分の読みたいものを読んだ上で自由なのがいいです。

「そんなに少女漫画が好きならヒロインのように努力しろ」とか「そんなにレディコミが好きなら俺とホテル行こうぜ」とか言われないのがいいです。

テニス漫画を読めばテニス、百人一首漫画を読めば百人一首をやってみようかなと思うことはあるけれども、それは自分の意志であって、強制されたくはないですね? また「どうせお前には似合わないよ」なんて、からかわれたくもありません。

少女漫画が好きであること・ヒロインに憧れることをからかわれた人が、男性への当てつけのために、無理してBLを読むようになるってことはありません。

逆に、BLなら女性を摂食障害にしないという保障もありません。病弱な美少年のようになりたいから絶食するとか、しょせん本当の男にはなれないと絶望してリストカットに向かう可能性も、ゼロではありません。(やっちゃダメですよ)

自分は少女漫画に感情移入する人だから実在のゲイなんか傷つけばいいってこともないし、自分はBLキャラクターに感情移入する人だから、少女漫画の購読が禁止されて、少女漫画ファンが泣けばいいってこともありません。

少女漫画が好きすぎて現実の男性に興味ない人もいるだろうし、レディコミみたいに豪華な恋愛ならいいけど、姑のいる家に入るなんて真っ平御免よという人も大勢いるはずです。

誰もが、ごく当たり前に、女性として、自分を含めたすべての女性が自由に生きられる平和な社会を望んでいるだけです。

【もしも、優しくするよって言われたら】

「俺、がんばってジェントルマンになるから、きみはBLをやめてくれたまえ」って言われたら?

「いや、いいよ。そんな無理しなくて……」って言いますよね。そうかといって、殴られたくもないですよね。

なにも婚活を有利にするために、無理して好きでもないBLを読んでるってことではありませんよね。そういう取引ではないですよね。

男性がふつうに真人間で、ふつうに礼儀正しくて、ふつうに優しくて、しかも自分はBLを読めるのがいいですよね。

もともと「何々が悪いからBL、何々ができないからBL」という代償説は、話がおかしいのです。複数の選択肢からの単一選択、または二者択一が無反省に前提されているからです。(マルクス主義または冷戦体制の影響です)

実際には「少女漫画でもBLでも読む」という複数選択、および「フィクションはくだらないから何も読まない」という無選択もあり得るのです。

どの道を選ぼうとも、女性として、男性から暴力を受けたくはないです。また、ほかの女性から侮辱されたくもないです。

だから、一次と二次の対立も、30年前の売上自慢も、ぜんぶくだらないです。無用です。

ごく当たり前に人権が尊重された上で、創作物くらい自由気ままになんでも読めるのがいいです。男性も同じなはずです。

「ロリ」だからって実在に手ェ出しちゃいけないくらいのこたァ分かってるし、いちいち女性に厭味言われたくないし、お見合いしろとかお節介やかれたくないし、ほかの男から侮辱されたくもない。以上。

って思ってるはずです。

【結婚忌避的BL論を怒る必要はありません】

実際に実家から電話が掛かってきて、お見合いしろと言われて、小一時間も喧嘩したという女性が、BL読んだら清々したぜってことはあり得ます。

実際に男女の結婚が描かれていないんだから、嫁姑バトルも描かれていないし、嫁さん同士の旦那自慢合戦など、女同士の人間関係も描かれていないわけで、そういうめんどくさい将来を思い描いていたら暗くなってしまったという人を気分転換させてくれる効用は、じゅうぶんにあり得ます。

だから「なぜBLなのか」という問いに対して「自分の結婚を考えなくていいから」と答える人があったからといって、あなたが「まだそんなこと言ってるのか!」といって怒る必要はありません。

彼女は二十年前を思い出してそう言ったのではなく、いま・ここに生きる自分自身の感想として「BL読んだら救われた」と言っているのです。

ただし、嫁姑バトルが描かれていない創作物はBLしかないので、無理して苦手なものを読んでいるってことではなくて、もともと好きなものだから、いやなことがあった時にも読むことができるのです。

それは、人によってはスイーツやけ食いしたとか、韓流を観て泣いたとか、たたきつけるようにピアノを弾いたとか、夜の街をジョギングして来たとか、いろいろなストレス解消方法があるうちの一つです。

結婚してしまえば、スイーツ独り占めできないかもしれないし、ビデオを観る時間も取れないかもしれないし、ピアノはうるさいって言われるだろうし、走りに行くこともできなくなるかもしれません。

よっぽど気のいい旦那が見つかれば結婚だけはしてもいいけど、子どもはまだちょっと……とか、姑がいたら困るな……とか、悩みは同じです。BLを読もうが読むまいが、結婚にまつわる女性の悩みは、だいたい同じです。

ほんと言うと、男だって同じことで、結婚したら好きな時間にビデオを観られなくなるし、イベント行けなくなるしと思ってる人は大勢いるのです。ほんというと、昔の人も「一生銀座で踊って暮らしたいな」と思っていたかもしれないのです。

ただし、中高年以上がそれ言っちゃうと、生まれた子どもたち(皆さん)が生まれてきたことが間違いだったことになっちゃうので、それは中高年以上の口からは言わない約束なのです。

逆にいえば中高年以上が「結婚サイコーー!」って言うのは、自分の人生の選択はまちがってなかった・うちの子いちばん可愛いと自分に確認しているのです。

だから、人間誰しも自尊感情は大切だから自己満足したいのはいいですけれども、あなたの自己満足と僕・私には関係ありませんって言っていいです。

言い方によってはよけい叱られるかもしれないので黙っててもいいですが、心の中で、そう思ってていいです。いちいち「コンプレックス」などと感じて、自分の精神のバランスを損なうより、ずっといいです。

(その上で、もし「いい人」が見つかったら、そこは柔軟かつ礼儀正しく対応してください)



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