B級グルメとサブカル。

  15, 2017 11:04
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ラーメン食いながらジャンプ読むですよ。店主がそろえたコミックスを読破したくて焼きそば屋に通うですよ。

インターネットがなかった時代、若者たちはそうやって時間を過ごし、自分を癒したのです。

仕事がつまらねェと思ってる人もいたでしょう。勉強が分からねェと思ってる人もいたでしょう。サラリーマンも、ガテンもいたでしょう。東京都の隅っこから来た人もいたでしょう。地方でいちばんの都会から上京したら「ただの人」になってしまったということもあったでしょう。

でも、ほとんどの者が麻薬にも買春にも手を出すことなく、B級グルメで命をつなぎ、漫画で文化的欲求を満たしたのです。

それは、もう一回申しますが、多くの場合、農地解放で土地を手に入れた「もと小作人」たちの末裔であり、一億総白痴化と言われた(言った本人も日本人ですが)テレビの申し子であり、高度成長とオイルショックとバブルとその崩壊を経験した日本の姿です。

ラーメン・焼きそば・焼きうどんなんてのは、戦後の物資不足の時代に配給の小麦粉を工夫したり、中華そばが買えないから乾麺を使ったりしたものが、肉体労働者の間食として広まったものです。

漫画はテレビがなかった時代に貸し本として広まりました。手塚治虫も宮崎駿も市川崑も、ウォルト・ディズニーには頭が上がりません。

それは貴族的ではありません。華族的でもありません。ニューヨークの最先端でもありません。花のパリでもありません。だからなんだ。

ここは、かろうじて植民地にならずに済んだ敗戦国です。極東軍事裁判の結果を受け入れ、外国の軍隊を駐留させ、自前の防御力を警察予備隊と称してごまかして来た国です。

庶民が徴兵から解放され、未曾有の経済成長を経験し、つめこみとマークシートによって教育の質を高めたら、こうなったのです。

それを否定するなら、日本の戦後をすべて否定するに等しい。もう外国に住めばいいじゃんって話です。

業界内部で「若い奴はもっと頑張れ。萩尾先生を見習え」というのは話が別です。「東京の子は名古屋の子より情報が早いのよ」ってのも話が別です。そういう業界内ヒエラルヒーは必ずあります。だからこそ切磋琢磨も発生するのです。

けれども「日本のサブカル」と、ひとくくりにされたら、手塚も萩尾もまとめて否定されたってことです。敵は海外と、海外のほうがえらいと思ってる一部の日本人ってことになります。

根本的に、中華世界として見ても、近代世界システムとして見ても、ニューヨークを流行の発信地として見た場合にも、日本は極東であって、辺境です。「海外って都会的ー!」という価値観をもってすれば、日本人は何をやっても田舎の子です。

ただし「そこがいいんだ」という価値観の逆転はあり得ます。

古民家カフェが流行する風潮と、地方都市(の郊外)を舞台にした漫画・アニメ映画がヒットする現象は、もちろん関連しています。田舎はお空が広くて空気がおいしいズラよ!

いっぽうで「ほかのやり方もあったはずだ」という問い直しも、つねにあっていいです。海外の良いところも、日本の古い伝統の良いところも取り入れればいいです。自分を枠にはめる必要はありません。B級グルメもどんどん変化していきます。トリュフが乗っかっちゃったりすることもあります。

だから、「日本のサブカル」を変えて行きたければ変化を起こすのは自分です。あなたは、子どもたちに何を教えてあげられますか?

あなた自身が身につけたことは、なんですか?




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