2017/02/17

新宿二丁目を困らせる家出娘ごっこ。

当方の同人・BL論は、当初から「女性があまりにも能天気にゲイと連帯できると信じて新宿二丁目へ乗り込んでしまうことを防ぐ」という目的を持っています。

そういうことをする人がいると知ってビックリしたというのが本音です。とくに「同人やっていた」という人は、同人会の先輩から「絶対に行くな」という注意を受けているはずなのです。なんで今ごろ先輩の言いつけに背くのか。

「女性の同人は上下関係に厳しかった」というのは他のサイトでも言われていることですが、その緊張感に基づく上意下達によって、他コミュニティとの軋轢を減らし、先輩をも巻き込まないように気をつけさせるという意味があったわけです。よくも悪くも「仁義」のようなものがあったのです。

残念ながら「ノンセクシュアル」を自称する人は、ふつうの少女漫画を読めばいいのであって、1980年代の『花とゆめ』の例でよければ、美内すずえ・遠藤淑子・山口美由紀などを読めばいいのです。性的な話題なんて出てこなかったんだから。

それがそうじゃなくて、わざわざ少女漫画の少女キャラクターを無視して男性キャラクター同士のBL展開を期待していたというのは、先に「アニパロ」のほうを知ってしまい、そういう読み方しかできなくなってしまっただけです。

だからこそ、同人の世界に恨みを持ってしまい、社会人になってから、職場ストレスを口実に、ふたたび同人仲間と楽しくやるというのではなく、ゲイを頼ってしまうということがあります。

が、これは迎えるゲイの側から見ると、家出娘が急に泊まりに来たみたいなもので、迷惑なのです。

(なお「同人やっていた」という言葉使いの下品さに自分で気づきましょう。感性の低い人はゲイの世界で歓迎されません)

【家出娘ごっこ】

ストレートの社会でいやなことがあったからといってゲイの世界へ乗り込む人は、実家でいやなことがあったから従兄のおにいちゃんの家へ泊まりに来ちゃったという家出娘みたいなものなのです。

でも、その家にはその家の主婦がいるわけです。ゲイの世界にもゲイの世界のお局様みたいな人がいて「俺の男に手を出すな」って言うに決まってるのです。

主婦がおコメが足りるかしらと心配するように、お店のマスターさんは椅子が足りるかしらと心配なさるわけです。女性客のせいで本来の常連客をお断りしなければならなくなるのがいちばん困る。

女性のほうで「私は女の子だから、どこへ行ってもサービスしてもらえる」と思っていることが勘違いなのです。その状態で「私もう子供じゃないわ。ばかにしないで」とか言っても説得力ないのです。

まして中年女性が世間知らずな若い娘のふりをしても、だんだん周囲のゲイ達が目を合わせてくれなくなるというふうになるのです。しまいに「あんた、いつまでいるつもり?」と言われるのです。

もともとゲイバーというのは、毎日ゲイ団体の貸し切り予約が入っているお店だと思えばいいです。

その扉を叩いて「私たちにも開放しなさい! 男だけで楽しんではいけません!」というのは、悪いフェミニストです。

それやっといて「私は同人やっていたから、同人はフェミとは別だから、私はフェミとは別よ」とは言えません。その三段論法は成り立ちません。

【BL女子の弱点】

あまり早いうちからBLに親しんでしまった人は、本気で自分を「女性キャラクターに感情移入できない」と思い込んでいるので、女性が出てくる漫画・小説・映画などを全く鑑賞したことがないということがあります。

だから女性の悪いところが諷刺的に描かれた姿に接したことがない。したがって「あ、私にもこういうところがある。気をつけよう」と思う機会がないのです。

創作物の重要な機能は「客観視」です。愚痴っぽい庶民、責任逃れの多い役人、私利しか考えていない企業人など。そういう姿を他人のこととして眺めることによって「恥ずかしいことだ」と認識するのです。

映画監督などがそのような諷刺を描くのは「みんなもこういう人になるといいよ!」という意味ではありませんね? 観客のほうで「真似しないようにしよう」と決意するわけです。

BLしか読んでいない人は、それを女性についてやっていないので、自分の姿に気づかないということがあります。自分が思いついたことが他人の眼から見てどうかという客観視の視点を持っておらず、なんでも正しいと思ってしまう。

これに「女性の弱者特権」という意識が加わると、言動が暴力的になります。他者に対して侵害的になるのです。さまざまな越境行為を起こすのです。コメント欄荒らしも一例です。お墓荒らしも一例です。徹夜しないというルール破りも一例です。ついにゲイバーに顔を出しちゃう人もいるというわけです。


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