第四十二回「鹿ヶ谷の陰謀」

  03, 2012 18:02
  •  -
  •  -
草深い伊豆にもほどちかい駿州の片隅から遅い感想をお送りします。

撮影は細野氏、演出は渡辺氏。映像は相変わらず工夫がきいており耽美的、選曲は小粋で大人の味わい。伊豆の事情で京の事情を(ほぼ)サンドイッチする構成も、お約束になってきたらしく、話の流れが頭に入りやすくて良い。

行綱役は裏切り者にふさわしい面構えをした、いい俳優だった。これは俳優にとっては誉め言葉になると思う。
「頼政のターン」も嬉しかった。清盛は色気を増した。

清盛と西光の直接対決があるので、赤坊主が二人では……^^;という配慮だろうか、あるいは西光に信西の面影をまとわせようというのか、衣装の色がいつもと変わっていたのも気が利いていた。伊藤五の兜姿のアップもファンとしては嬉しかった。

雨降らし隊スタッフの皆様、お疲れ様でした。いきなり嫁にふられたカネタカ殿がお気の毒ですな……^^;

と楽しく拝見した上で、明雲捕縛のあたりが紙芝居すぎるのも、ナレーションがないと理解させられないらしいのも、物語が穴だらけなのが気になるのも、まぁいつものことだ。

清盛はのんびりと我が世の春を楽しんでいたからこそ熊野詣としゃれこんで、信西をみすみす討たせてしまったのだし、信西も恐れをいだいていなかったから清盛に護衛を頼むでもなく金勘定に夢中になっていたわけで、あの時点で「いやな感じ」を味わっていたのは作者と視聴者だけだ。

行綱は「摂津源氏の自分がこの場に呼ばれた意味」をまったく理解していないし、頼政は頼政で平家の何を知っているというのか。経子はあの程度の用で院御所まで押しかけてくるのが異常で、兄ちゃんに手紙でも出せばいいじゃないか(その後の二人の述懐を引き出したかったんだけどね)

清盛は「様子がおかしい」と気づいているなら時忠でも使って情報を集めるべきだし、盛国は下命がなくてもそのように動けばいいし、院は院で気取られるようじゃ意味がない。

麗しのごっしーは、要するに下手を打ってばかりいるわけで、清盛の政敵足り得ていない。乙前は「駒が減るのは当たり前」って思い上がったようなことを言ってないで鎮魂の舞でも舞ったらよろしい。
どいつもこいつもテレパシー使いすぎで先を見通しすぎなくせに間抜けだ。

そもそも最初から大穴が開いている。

清盛を出世させたのは「誰」なのか? 彼は直接的な武力(暴力)で位や官職をおどし取ったわけではない。武士にとって越えがたい垣根だったはずの四位と三位の間の一線を、清盛に限って越えることを許したのは誰だったのか。第二部では説明されなかった。保元の乱と平治の乱で功績を上げた結果、なんとなくいつの間にか三位になっちゃいました、と取ってつけたようなナレーションが聞こえただけだ。教科書に書いてある程度のことが確認されただけである。

公卿たちの合議の結果だったのか? 信西が演説をぶったのか? 後白河の鶴の一声によるものだったのか? 清盛が賄賂を送りまくったのか? 女を使ったのか? 誰かを暴力で脅したのか? 

すでに忠盛が昇れるところまで昇ってしまっていたので、「功績を上げた者には位を与える」というシステムが機能しただけなのか? どうも脚本はそのように思ってしまったようだ。教科書に書かれた裏で、当時なにがあったのか? そこは問い返されなかった。

かろうじて、先例大事の公卿たちを牽制するために、後白河(信西)が平家の財力と武力を必要としたという説明はなされたが、公卿たちが運営する「出世システム」が、その意味では平等に働いて、すでに四位だった清盛を三位に押し上げてしまった……とするなら、信西たちは「しまった」って言わなきゃいけないところだ。

ごっしーは五節の夜をほっつき歩いて「清盛を太政大臣にしてやるが思い通りにはさせない」と啖呵を切ったが、高官を任命する権利を彼の手に残しているのでは意味がない。

なぜか、天皇も院も信西も公卿たちも為す術がなく、あるシステムに従って清盛が出世していくのを指をくわえて眺めており、後になってキレる……というふうになっている。

まるで「GHQには何を言われても逆らえない」と最初から諦めている戦後日本の無力な民主主義のようだ。「お父さんの決めたことだから仕方がない」と最初から諦めている女子供のようだ。

この傾向は第一話から顕著で、忠盛は白河院へ人情と平等な扱いを要求するが、本人は一門にむかって威圧的であり、「陰陽師など信用するな」「俺は正体不明な女を嫁にする」と一喝するだけで、じゅうぶんな説明・弁明をしない。

「清盛が傷つく」ことが前提されてしまっているので、彼は街の子供(うさぎ)に一言いわれただけで、それまで七年間一緒に暮らしてきた家族への信頼をかんたんに捨ててしまう。

「清盛がもっと傷つく」ことが前提されているので、(養子を嫡男とする棟梁の判断力に疑義を呈する)忠正の主張こそ平家の団結を危うくするものである・彼こそ自重すべきだ、と諫言する者がない。逆に彼へ同調して反乱を起こす者もいない。

いつも何かが前提されており、予定調和のなかにあり、ある「お約束」に従って、ストーリーの進んでいく方向があらかじめ決められている。

その代わり常識的な行動をとるキャラクターがいない。エピソードは史実を無視した思いつきの寄せ集めであり、史実との整合性が悪く、したがってどのキャラクターも頭が悪いように見える。

同時代だからというだけで清盛と信西の間に濃い友情を演出するべきではなかった。清盛は権力を手にしてからも科挙を実施しないし、遣宋使を派遣しないし、税制を見なおして庶民の負担を減らしてやるわけでもなければ都を改修して庶民の暮らしを衛生的にしてやるわけでもない。羊の病は流行り放題だ。

それをいみじくも、というか、あざとくも西光の口から「復讐にすぎない」と言わせたが、あれは話がこんなことになってしまったことへの制作陣の言い訳だ。清盛はそれへ言い返すことができない。

彼は宋銭の価値の理解者である西光に手を出してはいけなかった。僧体の身でさらし首となった彼を見て世人はどう思うか。「清盛のいうことを真に受けて宋銭なんか使うと祟りがあるぞ」だろう。清盛自身のもっとも望んでいない結果になってしまう。彼はまったく先が見えていない。信西の遺志を実現するどころじゃない。

信西との友情を設定したことが西光との友情の描写を導き、それが鹿ヶ谷の陰謀に西光も与していたことと合致しない。結果は清盛の言動不一致、口先三寸の言い訳、信用できなさ、愚かさを描き出す……ということになってしまう。

どんなに時代が変わっても臣下は臣下であり、法王その人の身柄に手をかけるわけにはいかないので、その代わりに側近を失脚させて牽制するというなら、すでに失点のある成親を一気につぶすべきだった。重盛が真っ青になるかもしれないが、まぁいつものことだから気にするな。

しかもこのあと承久三年のクーデターってものが控えており、結局法王その人に手をかけてしまうのだから、最初っからそうすりゃよかったじゃないか、なに考えてんだ清盛って話になる。あまりにも成り行きがおかしいから「鹿ヶ谷の陰謀・陰謀説」まで提出されているわけだが、それじゃ絵にならないから「あった」こととして(ホラータッチで)描いたわけだが、辻褄があってなさすぎだ。

盛国は先走って「修羅の道ならおともします」って話をまとめてしまったが、兎丸をうしなった清盛は「もう友人を裏切ることはしない、一門を言い訳にしない」と決意してもよかった。兎丸との対立は、ばんやむを得ない仕儀というほどではなかった。清盛は単なる「発注者」ではない。現場監督に無理な注文をつけるだけではなく、盛国に命じて人足を召集し、三交代にさせるなど頭の使いどころはあったはずであり、残念な結果になってしまったことをじゅうぶんに反省すべきだった。それをしないから、反省しない人物である、そのていどの頭の持ち主である、という結論になってしまう。

身寄りのない子供を密告役にするのは、現代人が見ても、当時の庶民から見てもえげつない仕業であり、だからこそ平家物語の中に語り継がれてきた。「これも人助けのうち」という強弁は時忠の言であり、清盛自身がどう思っていたのか、彼のアイディアだったのか、描写されなかった。何もかも「いつの間にかそうなっていた」のであり、「軍記物に書かれている通りです」ってだけだ。

「犬と呼ばれていた我々が今こそ巻き返す時」というようなことを口走ったが、では彼を「差別によって復讐心で凝り固まってしまった哀れな男」として描きたいのか。せっかく位人臣を極めながら、後世に響きのよい名を残すことも、神仏の祟も恐れぬ成り上がり者、乱世の奸雄、悪役ということでよろしいのか。アンチ・ヒーローに新たな光をあてるのではなかったか。「復讐心によって度を失い、先を見失って、滅びるべくして滅びた」ということでまとめるのか。

「頼朝に髭切を与えたのは、逆らえるものなら逆らってみろ、俺に天誅を与えてみろという意味だった」というようなことが示されたので、どうもそういう方向のようである。

絵的にはいいんだけどねぇ(´・ω・`) では次回は、重盛がんばれ。



Related Entries