原作つき映像作品語り。

  28, 2012 08:15
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時代に合わせて、あるいは合い過ぎないように、

設定変更したら後は映像の勢いでよろしく。

・・・・・・ということなのだな、と『清盛』と『トータル・フィアーズ』と『MW』を考え合わせて思っている。

史実では距離を置いていた二人を大親友設定にしちゃったもんだから、「そのくせ大して協働していない」という矛盾を生んでしまった。
信西が辣腕をふるっていた頃、清盛が「平家の金を使ってくれ!」と言っていれば、もっとすごいことが実現できたはずだが、それでは史実と合わなくなってしまう。

中東の砂漠から出土したものを中東の人間が利用した話だったのを、白人至上主義者の仕業にしたもんだから、大国の一方の正規軍にも協力者がいることになり、勝手にスクランブル発進したが、その動きが中央の司令部に伝わって、「反乱だ! 奴らこそ犯人だ!」とバレてしまうはずが、そうはならない。

原作では高官を色仕掛けでたらしこんで基地深部に潜入できたはずが、そうは描けないので、画面きり換わったらもうバイオハザードルームにいることになっている。
また、70年代の話だったのを現代にしたもんだから、セキュリティが生体認証など偽造しにくいものに変更されているはずで、そこをいかに切り抜けるかが一番面白いところでもあるはずなんだけど、そこをスッ飛ばした。

観客は「いま変なとこなかった?」「どうなってんの? なんで作中の人は誰も気づかないの?」などと思うんだけど、絵の美しさとテンポのよい編集で幻惑され、「ま、いっか」と収まる約束になっている。イリュージョンのステージみたいなものだ。

とすると、

辻褄があっていて、しかも情緒に訴えるところがあり、絵的にも美しい作品が「A級」で、
辻褄があっていないが、見るぶんにはカッコいいというようなのがB級で、
辻褄があわず、絵的にも洒落ていないというのを、C級と思うことにしておこうかな。
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