BLの存在意義と、武士の作法。

  03, 2017 11:05
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ここは、かろうじて植民地にもならず、分割統治もされずに済んだ敗戦国です。

北方領土を奪われたまま、外国の軍隊を駐留させ、自前の防衛力を警察予備隊と称してごまかした国です。

そこに生まれ育った女たちが、いたずらに外国に憧れた挙句に、金髪の若者たちが立派に成長して政治家やスポーツマンとなって日本人を打ち負かすという物語ではなく、性的遊戯にふけった挙句に、自分の国の悪いところ(人種差別や麻薬の流行など)によって自滅していく姿を描いた。

これは、日本の男性にとって、ちょっと面白い事態なのです。

国内ウーマンリブ大会が開催されるいっぽうで、アメリカ企業と日本政府要人の癒着が明るみに出て世を騒がせていた1970年代にあって、男性中心社会の中で女性として生きることと、欧米中心世界の中で日本人として生きることは、完全に一致し得たのです。

それが外国(西欧)の男性中心社会を遠くから見た日本女性による皮肉・揶揄の意味合いを持つ限りにおいて、日本男性が「支援する」と言い得たのです。

それを外人が見たとき不愉快だと言って来たからといって、日本人が「じゃあ発禁にします」とは言うな。口出しさせるな。

これが、日本におけるBLの存在意義です。

ビックリしちゃいますよね。そんなにおおげさな話じゃないでしょと思いますよね。でも突き詰めると、そうなのです。

学生運動がひと段落した1970年代以降に成長した日本人は、わりと当たり前に「表現の自由」を信じています。けれども、もし外人さんが「日本の自由はおかしい」と言って来たら「他人が口出すことじゃないでしょ!」となるのです、やっぱり。

「こういうものは自分の国に輸入したくない」というのは現地の勝手です。その国の中で話し合えばいいです。けれども日本政府を通じて日本国民の行動をコントロールしようというなら、話が違う。

そういうことです。

いっぽう、おなじヒット曲をまた歌うということのできない創作業界の必然として、昔の外国ではなく現代の日本の青年を描くようになった挙句に、日本人が「日本のゲイに失礼だ」と言い出したら?

これは日本人どうしの闘いですから、武士道を守りつつ応戦するということになるのです。

だから、クレームの際も言葉使いは大事なのです。

「二次創作の権利」というのも同じ理屈で、外国の企業または政府が口出しするなと言う時と、日本人が「原作者または原作ファンの心情に対して失礼だ」と言って来た時では意味が違うのです。

後者に対しては、同人側の答え方ひとつで世論が180度変わるのです。

世論が動けば政府が動く。世論という錦の御旗を得た民主主義政府は無敵です。

さらにまた、日本女性が「BLはただのビジネスよ」と言えるまでに自由なのは、全面的に連合国軍総司令部肝いりの日本国憲法のおかげです。表現の自由は120パーセント守りたいが、九条だけは要らないということが可能かどうか、腹の底から考えましょう。

同人はつねに二面作戦です。BLにもさまざまな戦線があります。自己を過信してはいけません。拡大感に酔ってはいけません。猪突猛進は匹夫(または匹婦)の勇です。気をつけましょう。



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