1950年、小津安二郎『宗方姉妹』東宝

  10, 2017 11:01
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新しいってことはね。いいかい? いつまで経っても古くならないってことなんだ。

原作:大仏次郎「宗方姉妹」より(朝日新聞連載) 脚本:野田高梧・小津安二郎 撮影:小原譲治 照明:藤林甲 録音:神谷正和 音楽:斉藤一郎 美術:下河原友雄 助監督:内川清一郎

『晩春』の翌年。蒲田仲間の豪華キャストによる東京、京都、奈良、神戸ロケをつないだ新東宝の文芸大作。

高峰秀子が面白すぎます。カルメンさんにもう一人ねえちゃんがいた感じ。小津さんの楽しいところは女性に夢があるんだかないんだか、若い女優の台詞がスーパーナチュラルで、男の子みたいにざっくばらんなのでした。

田中絹代のほうは「武蔵野夫人にアプレ妹がいた」といったところ。男性監督の采配のもとで女二人が結婚観を闘わせるのも不思議っちゃ不思議です。

奥行きを活かした構図と、画面を縦に切り取る線が魅力的。建具の連続は重なり具合まで計算されているようです。お話の背景の説明という以上のフェティッシュをもって建物や屋内調度が映し出されているのも印象深いです。

人物を撮るには土間に座り込んだみたいに低く構えて。撮影現場を見学したい監督ナンバーワン。タンゴが流れる昭和モダンなBARに和服の女。家事をする女たちが同じ姿勢で座って、位置だけちょっとずれてる構図も興味深いです。

ニュースキャスターみたいなバストショットを撮るには役者の真正面にカメラを据えなきゃいけないはずで、それと役者同士が差し向かいに座ってる画が編集してあるのですから、一見するとさもない茶の間の無駄話のような場面が細かい計画のもとに分割して撮られているのです。

お芝居として考えれば、役者があっちにいて、観客がこっちにいるわけですから、それをそのまま撮ってもいいのです。つまり、差し向かいの外側にカメラを置いて、回しっぱなしにしてもいいわけですが、役者自身の目からはこう見えるはずだというのを監督が頭の中で想像して、それを実証したのです。理知的な話法と申しますか。

ただし、お話はなかなか見えて来ないです……。一見素朴で、じつは精巧な漆器で提供される懐石料理をひと品ずつ噛みしめる感じで。もぐもぐもぐもぐ。

原作は美しい言葉使いで女心を再現した品格ある文芸のようですが、だいぶサックリ端折ったようで、公開時のパンフレットでは悲劇性を強調しつつも、小津調のややシニックな、乾いた味わいを湛えているような気が致します。

田中と笠智秀が小部屋で食事をする場面が印象的ですが、小津の軽やかな感じは数奇屋ふうなのかもしれません。

成瀬『山の音』ではほぼ川端だった山村聡の姿は、芥川や太宰などをも連想させますが、インテリたちは戦前には特権的だったわけで、戦後の価値観の転換に耐えかねたのかもしれません。(谷崎は京都に引きこもったので無事だったのです)

【以下、物語に直接言及しますので未見の方はご注意ください】





歯に衣着せぬ勢いで女心を吐露した挙句に、ふられた男に共感する男性観客が納得する結末になっているわけです。

1950年という発表年からいって、これは戦争未亡人が新たな第一歩を踏み出す足を、すごく引っ張ったかもしれません。

女性は左右脳の情報交換量が多く、想像力豊かで、こまかいことによく気づくわけですが、自分自身の将来も想像しすぎてしまって、もう一生を生きて結論が出てしまったような気分になってしまう。事実上の殉死です。『人生劇場 続・飛車角』でもやってましたね。女はめんどくさいなァと思います。

暗い影がまつわるからこそ、二人三脚で乗り越えればよさそうなもんだし、自分の胸一つにたたんで男をいい気分にさせてやったってよさそうなものです。

本当に怖いのは、周囲の女性の「なくなる前から縒りを戻していたんですって」とか「別れさせたんですって」とかいう事実無根の陰口なので、貧乏長屋だとつらいですが、この相手の場合はフランスへ行ってしまうという手もある。

もともとフランスへ追って行くことだって出来たわけで、それを諦めて嫁いだなら古い日記は焼却してもよさそうなもんだし、結局一人の女が我がままばかり言って自己満足して、周囲の全てを不幸にしただけじゃなかったか。

背景に控えているのは父親の影だとすると、結局は娘(とくに長女)が父親離れできないという話なのかもしれません。

そして重要なのは、映画ですから、それならそれで田中絹代がそのような(一見行儀がいいようだが、じつは他人の手に負えないという)女性を演じきれているかどうかなわけでございまして、もちろんその点はエネルギー充填200パーセントなのでした。

小津映画というのは、監督自身はドライな知性のある人で、女性描写も突き抜けたリアリズムを持っており、画的なセンスの無敵っぷりからしても見応えは高いんですが、結論が面白くねェな……ってことがあるわけでございまして、これは小津のせいではなく時代性なのかもしれません。

(端的には「離婚は困る」という興行主の思惑ですけれども、興行主にそう思わせるのは世論ですから、やっぱり社会性・時代性なのです)

こうなってくると、女性の口から「ようするに最初から結婚しなきゃいいじゃん」という声が挙がるのも時間の問題……のはずなんですが、そういうことが声高に言われるようになったのは1970年のウーマンリブ大会の後なわけで、ここからまだ20年を要したのでした。


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